私立灘高等学校のある生徒さんから、
糸井重里に依頼のメールが届きました。
それは「あのメール、すごかったね」と
社内で話題になったほど、
熱意と真摯さのあふれた文面でした。
彼の依頼をきっかけに、灘高校の
「ひときわ癖ある、議論好きな生徒」さん18名と、
糸井が言葉を交わす場が実現。
全員で、粘り強く答えを探すことそのものをたのしみ、
ほかにない対話をかたちづくりました。

この対談の動画は 「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

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第8回 いま、このときだけのなにか。

Sさん
糸井さんは、たくさんインタビューや対談に
出ていらっしゃいます。
自分の話したことをあとから見て、
「あれ、こう言ったつもりではなかったんだけどな」
あるいは
「この話、おもしろかったんだよな」
と感じることはありますか。
糸井
自分の話したことは、
見返したり見返さなかったりなのですが、
「あのタイミングでこの話をしたとき、
いまの自分よりいいことを言えているな」
という発言を見つけると、すっごくうれしいですね。
一方で、「このときの俺、なんて馬鹿なんだ」
という発言も見つけます。これは、きついです。
でも、取り消せないから、
「もう誰も見ませんように」と祈ってます(笑)。
Sさん
糸井さんに比べると規模はとても小さいですが、
僕も、小学生のころに書いた作文を見返すと、
「あれ? 僕、こんなことをやってたんだな」
と思うときがあります。
糸井
ああ、僕も、小学校の文集に書いた「将来の夢」が、
いまでも恥ずかしいんですよ。
いままで人に言ってこなかったけど、うん‥‥、
もう言うか。
一同
(笑)
糸井
当時、『紅白歌合戦』が大人気だったんです。
その司会が、アナウンサーの高橋圭三さんで。
「僕は、高橋圭三さんのような
感じのいいアナウンサーになりたいです」
って書いたんですよ。
あまりにも身の程知らずで、恥ずかしい。

糸井
きょう、こうして話していることも、
記事になって残りますからね。
いつか、みなさんの子どもが生まれて
この記事を読んだら、「これ、お父さんだ」
って言われるかもしれないよ(笑)。
Sさん
うわあーっ。
ちょっと恥ずかしいかもしれないです。
糸井
でも、最高だね、そんな未来があったら。
Sさん
そうですね。

Kさん
僕は、中学3年になってから、
自分のやりたいことが徐々に見えてきました。
親は「やってもいいんちゃう?」
と言ってくれるのですが、
どうしても「ほんまにやっていいんかな」みたいな、
申し訳ない気持ちが出てきてしまって。
もし、実際にやったとしても、
「やったからには達成しなければならない」
と考えてしまって、
自分がほんとうにやりたいこととは離れてしまう
気がしています。
糸井
みんな、似た悩みは持っているように思います。
ピュアだったり、全力だったりすることって、
人生にそんなにたくさんはないんですよね。
最初の「好き」の話と同じだけど、
多くの場合、
「自分はこれが好きだ」
「俺はこれにする」と、意識して決めているんです。
その「純粋な気持ちではない部分」への引け目は、
たぶん、ずっとあります。
だから、いまKさんが思っていることは、
ごく自然なことだと思う。
そして、おそらくですけど、
親御さんもわかっているんじゃないかな。
きっと「あの子は100%あれに夢中だから、
手伝ってあげよう」と思っているわけではなくて、
「やめるかもしれないけど、応援しよう」
と考えていると思います。
それは、だいたいの大人は、
自分も「一度決めたことをやめた」経験が
あるからです。
Kさん
ああ、たしかにそうかもしれません。
糸井
ここで、僕が
「Kさんがやりたいことってなんですか」と
聞いたら、話がおもしろくなるだろうけど、
Kさんは言いたい? 
Kさん
えっ。‥‥うーん、あんまり‥‥。
糸井
そうか。じゃあ、やめよう。

糸井
少し、話をするときの技術について
メタ的な話をしますね。
いま、僕がしつこく聞いたら、
きっとKさんは答えてくれました。
そして、そのほうが
「Kさんがほかで言っていないことを聞けた!」
という「特ダネ」を得られたかもしれない。
でも、僕たちはこの場で、
特ダネが欲しいわけじゃないんです。
それよりも、この場をどういうふうに
いい教室にするかのほうが大事なので、
「おもしろくする方向をやめましょう」って、
いま、言ったんです。
このあたりは、僕だけじゃなくて、
うちの会社の人たちには
けっこう共通した感覚だと思う。
ちょっと、永田さんに聞いてみましょうか。
永田
僕も、いま、糸井さんが
「じゃあ、やめよう」と言ったのと同じタイミングで、
それ以上聞かないほうがいいな、と思ってました。
ほぼ日では、「読者が知りたい!」ということよりも、
出てくださった方の「出てよかったな」という
気持ちを優先していると思います。
ほぼ日に出演してくれた人が
「自分の出たコンテンツが残るの嫌だな」
と後悔するくらいなら、
話としてのおもしろさが少し下がったとしても、
満足して帰ってもらえるほうがうれしいです。
もし後悔させてしまったら、その人はもう
ほぼ日に出てくれないかもしれないし、
次のおもしろくなるかもしれない機会に
つながらないからです。

永田
ついでに言うと、
「いま、あえてこれ以上聞かないことにしたんだよ」
と自分からバラしたのが、
糸井重里という人のおもしろいところです。
一同
(笑)
Hさん
糸井さんは、対談中に
「こういう質問をしたいから、
この流れに持っていく」
といったコントロールはされますか。
糸井
それは、しないです。
明確な「会話の法則」があって、
それを使う、ということはほぼないです。
意識せずに法則を使ってしまってから、
「この話し方は、
何度も使ううちに法則化していたんだな」
と気づくことは、ときどきありますが。
一般的に、「こういうときはこうする」
という法則をいっぱい持っている人が
「仕事ができる」とされます。
でも、僕はあまりそのやり方は好きじゃなくて。
どうして好きじゃないんだろう‥‥
あ、たぶん、つまんなくなっちゃうからですね。
「なにが出るかわからない」
ということがいちばんたのしいから、
それをなるべくやりたいんです。
みなさんも、質問を用意してきてくれたけれど、
なるべく「いま、このときだけのなにか」を
出そうとしてくれているのが伝わってきます。
この姿勢はすばらしいと思うので、
みなさんのなかの、伝統にしてほしいですね。
僕たちは、
取材者としてだれかに会っているんじゃなくて、
「人と人」というベースで会っています。
だから、相手に失礼のないようにしたいし、
できることならば「この人と会ってよかったな」
と思ってほしい。
さらに言えば、僕からも
「この人に会えてよかった」と思いたい。
それが、人と人が会うときの前提です。
ほぼ日は、
「解決するためにある文章や、
契約するためにある調査のような、
きれいにまとめられる話がすべてじゃない」
ということを伝えたいメディアなんです。
きょう、みなさんと会う場ができたのも、
こんなふうにほぼ日をやってきたからですよね。
だから、よかったなあと思います。

(明日に続きます)

2025-06-13-FRI

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