
- Sさん
- 糸井さんは、たくさんインタビューや対談に
出ていらっしゃいます。
自分の話したことをあとから見て、
「あれ、こう言ったつもりではなかったんだけどな」
あるいは
「この話、おもしろかったんだよな」
と感じることはありますか。
- 糸井
- 自分の話したことは、
見返したり見返さなかったりなのですが、
「あのタイミングでこの話をしたとき、
いまの自分よりいいことを言えているな」
という発言を見つけると、すっごくうれしいですね。
一方で、「このときの俺、なんて馬鹿なんだ」
という発言も見つけます。これは、きついです。
でも、取り消せないから、
「もう誰も見ませんように」と祈ってます(笑)。
- Sさん
- 糸井さんに比べると規模はとても小さいですが、
僕も、小学生のころに書いた作文を見返すと、
「あれ? 僕、こんなことをやってたんだな」
と思うときがあります。
- 糸井
- ああ、僕も、小学校の文集に書いた「将来の夢」が、
いまでも恥ずかしいんですよ。
いままで人に言ってこなかったけど、うん‥‥、
もう言うか。
- 一同
- (笑)
- 糸井
- 当時、『紅白歌合戦』が大人気だったんです。
その司会が、アナウンサーの高橋圭三さんで。
「僕は、高橋圭三さんのような
感じのいいアナウンサーになりたいです」
って書いたんですよ。
あまりにも身の程知らずで、恥ずかしい。
- 糸井
- きょう、こうして話していることも、
記事になって残りますからね。
いつか、みなさんの子どもが生まれて
この記事を読んだら、「これ、お父さんだ」
って言われるかもしれないよ(笑)。
- Sさん
- うわあーっ。
ちょっと恥ずかしいかもしれないです。
- 糸井
- でも、最高だね、そんな未来があったら。
- Sさん
- そうですね。
- Kさん
- 僕は、中学3年になってから、
自分のやりたいことが徐々に見えてきました。
親は「やってもいいんちゃう?」
と言ってくれるのですが、
どうしても「ほんまにやっていいんかな」みたいな、
申し訳ない気持ちが出てきてしまって。
もし、実際にやったとしても、
「やったからには達成しなければならない」
と考えてしまって、
自分がほんとうにやりたいこととは離れてしまう
気がしています。
- 糸井
- みんな、似た悩みは持っているように思います。
ピュアだったり、全力だったりすることって、
人生にそんなにたくさんはないんですよね。
最初の「好き」の話と同じだけど、
多くの場合、
「自分はこれが好きだ」
「俺はこれにする」と、意識して決めているんです。
その「純粋な気持ちではない部分」への引け目は、
たぶん、ずっとあります。
だから、いまKさんが思っていることは、
ごく自然なことだと思う。
そして、おそらくですけど、
親御さんもわかっているんじゃないかな。 - きっと「あの子は100%あれに夢中だから、
手伝ってあげよう」と思っているわけではなくて、
「やめるかもしれないけど、応援しよう」
と考えていると思います。
それは、だいたいの大人は、
自分も「一度決めたことをやめた」経験が
あるからです。
- Kさん
- ああ、たしかにそうかもしれません。
- 糸井
- ここで、僕が
「Kさんがやりたいことってなんですか」と
聞いたら、話がおもしろくなるだろうけど、
Kさんは言いたい?
- Kさん
- えっ。‥‥うーん、あんまり‥‥。
- 糸井
- そうか。じゃあ、やめよう。
- 糸井
- 少し、話をするときの技術について
メタ的な話をしますね。
いま、僕がしつこく聞いたら、
きっとKさんは答えてくれました。
そして、そのほうが
「Kさんがほかで言っていないことを聞けた!」
という「特ダネ」を得られたかもしれない。
でも、僕たちはこの場で、
特ダネが欲しいわけじゃないんです。
それよりも、この場をどういうふうに
いい教室にするかのほうが大事なので、
「おもしろくする方向をやめましょう」って、
いま、言ったんです。
このあたりは、僕だけじゃなくて、
うちの会社の人たちには
けっこう共通した感覚だと思う。
ちょっと、永田さんに聞いてみましょうか。
- 永田
- 僕も、いま、糸井さんが
「じゃあ、やめよう」と言ったのと同じタイミングで、
それ以上聞かないほうがいいな、と思ってました。
ほぼ日では、「読者が知りたい!」ということよりも、
出てくださった方の「出てよかったな」という
気持ちを優先していると思います。
ほぼ日に出演してくれた人が
「自分の出たコンテンツが残るの嫌だな」
と後悔するくらいなら、
話としてのおもしろさが少し下がったとしても、
満足して帰ってもらえるほうがうれしいです。
もし後悔させてしまったら、その人はもう
ほぼ日に出てくれないかもしれないし、
次のおもしろくなるかもしれない機会に
つながらないからです。
- 永田
- ついでに言うと、
「いま、あえてこれ以上聞かないことにしたんだよ」
と自分からバラしたのが、
糸井重里という人のおもしろいところです。
- 一同
- (笑)
- Hさん
- 糸井さんは、対談中に
「こういう質問をしたいから、
この流れに持っていく」
といったコントロールはされますか。
- 糸井
- それは、しないです。
明確な「会話の法則」があって、
それを使う、ということはほぼないです。
意識せずに法則を使ってしまってから、
「この話し方は、
何度も使ううちに法則化していたんだな」
と気づくことは、ときどきありますが。 - 一般的に、「こういうときはこうする」
という法則をいっぱい持っている人が
「仕事ができる」とされます。
でも、僕はあまりそのやり方は好きじゃなくて。
どうして好きじゃないんだろう‥‥
あ、たぶん、つまんなくなっちゃうからですね。 - 「なにが出るかわからない」
ということがいちばんたのしいから、
それをなるべくやりたいんです。
みなさんも、質問を用意してきてくれたけれど、
なるべく「いま、このときだけのなにか」を
出そうとしてくれているのが伝わってきます。
この姿勢はすばらしいと思うので、
みなさんのなかの、伝統にしてほしいですね。 - 僕たちは、
取材者としてだれかに会っているんじゃなくて、
「人と人」というベースで会っています。
だから、相手に失礼のないようにしたいし、
できることならば「この人と会ってよかったな」
と思ってほしい。
さらに言えば、僕からも
「この人に会えてよかった」と思いたい。
それが、人と人が会うときの前提です。
ほぼ日は、
「解決するためにある文章や、
契約するためにある調査のような、
きれいにまとめられる話がすべてじゃない」
ということを伝えたいメディアなんです。
きょう、みなさんと会う場ができたのも、
こんなふうにほぼ日をやってきたからですよね。
だから、よかったなあと思います。
(明日に続きます)
2025-06-13-FRI


