
- 糸井
- 高校生で、きょうの
メタ的な話まで理解できているみなさんは、
すごくいい大人になると思います。
「どこまで聞く・聞かない」というのは、
思いやりの話ですから。
コミュニケーションについては
「もったいないから、これは聞いとこう」
という気持ちがいちばんよくなくて、
「きょうはここまでにしときましょう」
っていうのが、カッコいいんです。
論語でも「君子の交わりは淡きこと水の如し」
と書かれているように。
現代では、その感覚は、
かなり失われていると思います。 - 7年前、
「浪人して医学部を目指していますが、
医者になることがほんとうに自分の
『やりたいこと』なのか悩んでいました」
というメールをくれた、
ほぼ日の読者がいらっしゃいました。
僕はその方にお返事を書いて、
「もしお医者さんになったら、
またメールください」と付け足しました。 - その方が、なったんですよ、お医者さんに。
7年経って、ちょうどきのう
「4月から研修医としての生活が始まります」
とメールが届いたんです。
うれしいですよね、こんなことがあったら。 - 僕は、具体的なアドバイスはできなかったし、
メールに書いてあったことを
深堀りして聞いたわけでもなかったけれど、
7年経ってから、ちゃんと返事が届いて。
そのお医者さんと僕のあいだに、
その7年間が生まれたことって、
すごく素敵だと思います。
‥‥だから、みなさんも、
7年経ったらメールをください(笑)。
「また会うかもしれない」
「また話ができるかもしれない」という感覚は、
僕が大事にしているもののような気がします。
- Iさん
- きょうのお話のなかでも、
糸井さんが僕たちに対して、
「ここまで聞く・聞かない」といった気遣いや、
粋なはからいをしてくださっているのを感じました。
一方で、糸井さんは
「人に言葉を渡すときには、
素直さを大事にしている」
とも、よくおっしゃっている印象です。
粋は「ほんとうはAだとわかったうえで、
あえてBと言う」ことで生まれるカッコよさなので、
「素直さ」と両立するのは難しい気がします。
糸井さんはどうやって、粋と素直の
バランスをとっているのですか?
- 糸井
- うわあ、いい質問ですねぇ‥‥。
たしか、Iさんは俳句をやってるんだよね。
- Iさん
- はい。
- 糸井
- いまの質問は、
まさに僕が俳句をつくるときに悩む問題です。
自分の心に素直になって俳句をつくろうとすると、
十七音に入り切らないし、
俳句としてカッコよくならないんです。
では、「心にもないけれど、粋なことを言う俳句」を
つくればいいのかというと、それは嫌なんです。
「正直なふりをする」ということを、
僕は絶対にやりたくないので。
でも、たまに「粋」というか、
自分で「ここ、いいんだよね」と思えることを
混ぜないと、満足できないときもあって。 - という感じで、僕は答えが出せていないんだけど、
Iさん自身は、俳句をつくるとき、
どう考えてつくっているんですか。
- Iさん
- 僕は‥‥夏井いつき先生がよくおっしゃっている
「狙ったら出せない」ということは意識しています。
- 糸井
- あぁー。
- Iさん
- 「狙わずににじみ出る感覚」が
すごく大事だと思っているんですが、
そのうえで「粋」を表現できるのか?
というところでドツボにはまってしまうんです。
- 糸井
- わかります。
- Iさん
- いちばん簡単な答えを出すとしたら、
「粋と素直さを両立できる人には、
天性の才がある」ということですが‥‥。
- 糸井
- たぶん、その答えは違うんですよね。
「粋」と言われる行動には、
意識せずにやってしまうものと、
わざとやるものの2種類があると思います。
「これが粋だ」という意識を
共有する人たちのなかで、
わざと粋なことをするのは、
ある分野にすごくくわしい人たちが、
あえて専門用語を使って話すようなことです。
その「僕たちはほかの人たちよりわかってるんだ」
という優越感の世界に対しては、
僕は距離を置きたい。 - ここまでいろいろと考えていても、俳句となると、
僕はうまくつくれないんですよ(笑)。
きっと、「たいしたことない作品はつくりたくない」
みたいな、妙な意気込みが邪魔してるんですね。
- Iさん
- 僕も「意気込み」の厄介さは、すごく感じています。
僕の場合、外でご飯を食べるときに
料理が来るのを待っているあいだのような、
力を入れていない時間に
よく俳句を思いつくんです。
自分でも気に入っているし、
周りからも「うまくなったね」
と言ってもらえる俳句は、
意気込みがない状態でつくった作品で。
- 糸井
- ああ‥‥うらやましい。
- 一同
- (笑)
- Iさん
- 僕が「うまい俳句を出そう」と思って出すと、
自分にも、ほかの人にも
「あ、これ、物語をつくったな」
とわかってしまうんです。
なので、一回「うまくやろう」という意識からは
離れようと思っています。
- 糸井
- 『プレバト!!』で俳句をつくる
タレントさんたちが、ものすごく上手ですよね。
夏井いつき先生にお会いしたときに、
「彼らはどうしてあんなに上手なんですか」
と訊いたら、
「ものすごく努力してるから」なんですって。
もうね、『歳時記』を
手放さないような人だらけなんだそうです。
とくに上のクラスの人は、
番組の収録以外の時間も
ずっと俳句のことを考えていて、収録が終わってから
夏井先生に質問することもあるんだって。
- Iさん
- スポーツなどでも全部そうですけど、
技術があるからこそ、
自分のなかにゆとりができるんですね。
- 糸井
- そういうことだと思います。
- Iさん
- ゆとりができたら、その空白を
「じゃあ、どう遊ぶ?」と考える段階に
行けますよね。
ずっと、その遊び方を考えていると、
遊ぶこと自体がたのしくなってくると思うんです。
その段階を踏んでいくことが
すごく大事な気がしています。
- 糸井
- なるほど‥‥Iさんは、もう僕の俳句の先生です。
- Iさん
- いや、僕はペーペーです。
- 一同
- (笑)
- Iさん
- 先ほど例に出した、
ご飯が来るのを待つあいだのような
「頭のなかがぽっかりと空く時間」って、
いまの人にとってはあまりない気がしています。
なんとなくスマホを触っているあいだも、
頭は働いていますし。
- 糸井
- そうですね。
僕もたぶん、なにも考えていない時間はないです。
- Iさん
- 僕は最近、横尾忠則さんに影響を受けて、
「1日に10分は坐禅を組もう」と
思い立ったのですが、
2分、3分しか耐えられないんです。
これから20代、30代に入っていったとき、
濃密な時間を過ごしたいと思うと同時に、
ぽっかり空いた時間に耐えられる自分に
なっていきたい気持ちもあります。
- 糸井
- はあぁ、そうか、坐禅か。
僕も試すべきですね。どれくらい耐えられるかな。
- 菅野
- ‥‥糸井さん、そろそろ、
3時間くらい経ってしまいました。
- 糸井
- 3時間も経ったんですか。
じゃあ、最後に、Iさんからひとこともらえますか。
- Iさん
- はい。
きょうのお話をうかがっていて、
「少数なれど熟したり」という言葉が
頭に浮かびました。
ほぼ日って、まさにこの言葉のとおりだなと。
いまは、「みんなついてこい」と言い切れる、
ひとつの正解がある時代が終わって、
中心的なパイプラインが届かないところで、
いろんな人ががんばっている時代だと感じています。
ほぼ日には、
そんな「小さいけど、すごいぞ」というものが
たくさん求められている時代の、
ロールモデルになる強さがあると思いました。
「絶対にこれが正義だ」という考えではなく
「これもいいんじゃない?」
と思っているチームだからこそ持てる強さを、
ひしひしと感じました。
- 糸井
- ありがとうございます。
ほぼ日を、
そんなふうに見てくれている人がいることを
心に留めて、元気でやっていきたいです。
僕も、みなさんの話が
ほんとうにおもしろかったですし、
こういう話ができたこと自体にも、
希望のようなものを感じました。
これからも、仲よく、
いろんなことをたのしんでいってくださいね。
- Iさん
- はい!
きょうはほんとうに、ありがとうございました。
- 一同
- (大きな拍手)
(終わります。お読みいただき、ありがとうございました)
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