私立灘高等学校のある生徒さんから、
糸井重里に依頼のメールが届きました。
それは「あのメール、すごかったね」と
社内で話題になったほど、
熱意と真摯さのあふれた文面でした。
彼の依頼をきっかけに、灘高校の
「ひときわ癖ある、議論好きな生徒」さん18名と、
糸井が言葉を交わす場が実現。
全員で、粘り強く答えを探すことそのものをたのしみ、
ほかにない対話をかたちづくりました。

この対談の動画は 「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

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第9回 粋と素直。

糸井
高校生で、きょうの
メタ的な話まで理解できているみなさんは、
すごくいい大人になると思います。
「どこまで聞く・聞かない」というのは、
思いやりの話ですから。
コミュニケーションについては
「もったいないから、これは聞いとこう」
という気持ちがいちばんよくなくて、
「きょうはここまでにしときましょう」
っていうのが、カッコいいんです。
論語でも「君子の交わりは淡きこと水の如し」
と書かれているように。
現代では、その感覚は、
かなり失われていると思います。
7年前、
「浪人して医学部を目指していますが、
医者になることがほんとうに自分の
『やりたいこと』なのか悩んでいました」
というメールをくれた、
ほぼ日の読者がいらっしゃいました。
僕はその方にお返事を書いて、
「もしお医者さんになったら、
またメールください」と付け足しました。
その方が、なったんですよ、お医者さんに。
7年経って、ちょうどきのう
「4月から研修医としての生活が始まります」
とメールが届いたんです。
うれしいですよね、こんなことがあったら。
僕は、具体的なアドバイスはできなかったし、
メールに書いてあったことを
深堀りして聞いたわけでもなかったけれど、
7年経ってから、ちゃんと返事が届いて。
そのお医者さんと僕のあいだに、
その7年間が生まれたことって、
すごく素敵だと思います。
‥‥だから、みなさんも、
7年経ったらメールをください(笑)。
「また会うかもしれない」
「また話ができるかもしれない」という感覚は、
僕が大事にしているもののような気がします。
Iさん
きょうのお話のなかでも、
糸井さんが僕たちに対して、
「ここまで聞く・聞かない」といった気遣いや、
粋なはからいをしてくださっているのを感じました。
一方で、糸井さんは
「人に言葉を渡すときには、
素直さを大事にしている」
とも、よくおっしゃっている印象です。
粋は「ほんとうはAだとわかったうえで、
あえてBと言う」ことで生まれるカッコよさなので、
「素直さ」と両立するのは難しい気がします。
糸井さんはどうやって、粋と素直の
バランスをとっているのですか? 

糸井
うわあ、いい質問ですねぇ‥‥。
たしか、Iさんは俳句をやってるんだよね。
Iさん
はい。
糸井
いまの質問は、
まさに僕が俳句をつくるときに悩む問題です。
自分の心に素直になって俳句をつくろうとすると、
十七音に入り切らないし、
俳句としてカッコよくならないんです。
では、「心にもないけれど、粋なことを言う俳句」を
つくればいいのかというと、それは嫌なんです。
「正直なふりをする」ということを、
僕は絶対にやりたくないので。
でも、たまに「粋」というか、
自分で「ここ、いいんだよね」と思えることを
混ぜないと、満足できないときもあって。
という感じで、僕は答えが出せていないんだけど、
Iさん自身は、俳句をつくるとき、
どう考えてつくっているんですか。
Iさん
僕は‥‥夏井いつき先生がよくおっしゃっている
「狙ったら出せない」ということは意識しています。
糸井
あぁー。
Iさん
「狙わずににじみ出る感覚」が
すごく大事だと思っているんですが、
そのうえで「粋」を表現できるのか?
というところでドツボにはまってしまうんです。
糸井
わかります。
Iさん
いちばん簡単な答えを出すとしたら、
「粋と素直さを両立できる人には、
天性の才がある」ということですが‥‥。
糸井
たぶん、その答えは違うんですよね。
「粋」と言われる行動には、
意識せずにやってしまうものと、
わざとやるものの2種類があると思います。
「これが粋だ」という意識を
共有する人たちのなかで、
わざと粋なことをするのは、
ある分野にすごくくわしい人たちが、
あえて専門用語を使って話すようなことです。
その「僕たちはほかの人たちよりわかってるんだ」
という優越感の世界に対しては、
僕は距離を置きたい。
ここまでいろいろと考えていても、俳句となると、
僕はうまくつくれないんですよ(笑)。
きっと、「たいしたことない作品はつくりたくない」
みたいな、妙な意気込みが邪魔してるんですね。
Iさん
僕も「意気込み」の厄介さは、すごく感じています。
僕の場合、外でご飯を食べるときに
料理が来るのを待っているあいだのような、
力を入れていない時間に
よく俳句を思いつくんです。
自分でも気に入っているし、
周りからも「うまくなったね」
と言ってもらえる俳句は、
意気込みがない状態でつくった作品で。
糸井
ああ‥‥うらやましい。
一同
(笑)
Iさん
僕が「うまい俳句を出そう」と思って出すと、
自分にも、ほかの人にも
「あ、これ、物語をつくったな」
とわかってしまうんです。
なので、一回「うまくやろう」という意識からは
離れようと思っています。

糸井
『プレバト!!』で俳句をつくる
タレントさんたちが、ものすごく上手ですよね。
夏井いつき先生にお会いしたときに、
「彼らはどうしてあんなに上手なんですか」
と訊いたら、
「ものすごく努力してるから」なんですって。
もうね、『歳時記』を
手放さないような人だらけなんだそうです。
とくに上のクラスの人は、
番組の収録以外の時間も
ずっと俳句のことを考えていて、収録が終わってから
夏井先生に質問することもあるんだって。
Iさん
スポーツなどでも全部そうですけど、
技術があるからこそ、
自分のなかにゆとりができるんですね。
糸井
そういうことだと思います。
Iさん
ゆとりができたら、その空白を
「じゃあ、どう遊ぶ?」と考える段階に
行けますよね。
ずっと、その遊び方を考えていると、
遊ぶこと自体がたのしくなってくると思うんです。
その段階を踏んでいくことが
すごく大事な気がしています。
糸井
なるほど‥‥Iさんは、もう僕の俳句の先生です。
Iさん
いや、僕はペーペーです。
一同
(笑)
Iさん
先ほど例に出した、
ご飯が来るのを待つあいだのような
「頭のなかがぽっかりと空く時間」って、
いまの人にとってはあまりない気がしています。
なんとなくスマホを触っているあいだも、
頭は働いていますし。
糸井
そうですね。
僕もたぶん、なにも考えていない時間はないです。
Iさん
僕は最近、横尾忠則さんに影響を受けて、
「1日に10分は坐禅を組もう」と
思い立ったのですが、
2分、3分しか耐えられないんです。
これから20代、30代に入っていったとき、
濃密な時間を過ごしたいと思うと同時に、
ぽっかり空いた時間に耐えられる自分に
なっていきたい気持ちもあります。
糸井
はあぁ、そうか、坐禅か。
僕も試すべきですね。どれくらい耐えられるかな。

菅野
‥‥糸井さん、そろそろ、
3時間くらい経ってしまいました。
糸井
3時間も経ったんですか。
じゃあ、最後に、Iさんからひとこともらえますか。
Iさん
はい。
きょうのお話をうかがっていて、
「少数なれど熟したり」という言葉が
頭に浮かびました。
ほぼ日って、まさにこの言葉のとおりだなと。
いまは、「みんなついてこい」と言い切れる、
ひとつの正解がある時代が終わって、
中心的なパイプラインが届かないところで、
いろんな人ががんばっている時代だと感じています。
ほぼ日には、
そんな「小さいけど、すごいぞ」というものが
たくさん求められている時代の、
ロールモデルになる強さがあると思いました。
「絶対にこれが正義だ」という考えではなく
「これもいいんじゃない?」
と思っているチームだからこそ持てる強さを、
ひしひしと感じました。
糸井
ありがとうございます。
ほぼ日を、
そんなふうに見てくれている人がいることを
心に留めて、元気でやっていきたいです。
僕も、みなさんの話が
ほんとうにおもしろかったですし、
こういう話ができたこと自体にも、
希望のようなものを感じました。
これからも、仲よく、
いろんなことをたのしんでいってくださいね。
Iさん
はい! 
きょうはほんとうに、ありがとうございました。
一同
(大きな拍手)

(終わります。お読みいただき、ありがとうございました)

2025-06-14-SAT

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