私立灘高等学校のある生徒さんから、
糸井重里に依頼のメールが届きました。
それは「あのメール、すごかったね」と
社内で話題になったほど、
熱意と真摯さのあふれた文面でした。
彼の依頼をきっかけに、灘高校の
「ひときわ癖ある、議論好きな生徒」さん18名と、
糸井が言葉を交わす場が実現。
全員で、粘り強く答えを探すことそのものをたのしみ、
ほかにない対話をかたちづくりました。

この対談の動画は 「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

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第6回 いい子ってなんですかね。

永田
そろそろ、糸井さんから、
灘校のみなさんに質問をお願いします。
せっかく、たくさんの
生徒さんに来てもらっているので、
マイクを回していけたら。
糸井
そうだなあ。
「みんな『いい子』って言われすぎるの、
困らない?」っていう質問をしてみようかな。

Rさん
僕は‥‥、あまり言われないですね。
一同
(笑)
Rさん
たしかに、学校の前の喫茶店に入ったときなどに、
「灘校なんでしょ」と言われて、
「そうなんです」と答えることはあります。
僕たちに対して「日本の未来を担う若者」という像を
多くの人が持ってくれていると感じますし、
その自覚もあります。
だけど、もしかしたら、
まわりの人たちが思う「勉強が好きないい子」と、
僕たちにとっての「勉強が好き」は、
少し違っているかもしれなくて。
きょう、ここにいるのは、とくに
議論が好きな生徒たちなんです。
ただテストに答えるのではなくて、
ものを学んで、自分自身を壊して変化させていく
という意味での「勉強」が好きな人たちです。
なかでも僕はわりと適当なタイプなので、
「勉強は好きだけど、一般的に考えられている
『いい子』とは違うかも」という気がします。
Yさん
僕は、わりと「いい子像」にいると楽なんです。
だから、ひとりでいたいときや、
ほんまにしんどくて寝たいときは、
一回「いい子像」に入って、
元気になってきたら「いい子像」から出る、
みたいな使い方をしています。
一同
(笑)
Yさん
でも「嘘をつかない」というポリシーは、
大事にしています。
ふだんから嘘をつかないようにしているので、
まわりの人もわかってくれていて、
僕が少し「いい子像」からはみ出したときに
「なにかを誤魔化しているんじゃなくて、
事情があるんだな」と察してくれることが多いです。
なので、あまり「いい子像」に縛られる不自由さを
感じたことはありません。
糸井
ああ、いいですねぇ。

Nさん
うーん‥‥
「いい子」って、なんですかね。
糸井
あははは。なんだろうね。
Nさん
僕は、小学生のころから、
母に「いい子だけにはなるな」と言われていて。
糸井
おお。
Nさん
というのも、母によると、世に言う「いい子」とは、
「先生や大人に言われたことしかしない子」
らしいんです。
でも、「いい子」って、
そんなザックリとしたイメージでいいのかな? と
考えることもときどきあって。
そもそも「いい子」「悪い子」と
善悪で分けられるものでもない気がしてきて‥‥
考えているうちに、
よくわからなくなってしまいました。
Sさん
僕なんかは、自分で言うのもなんですけど、
周囲に「いい子だね」と言われて育ってきました。
でも、ほんとうにそう言われるのが嫌で、
一時期「ロックを聴いてやろう」と思ったんです。
それも、日本のロックじゃなくて、
ビートルズとかを聴いてやろうって。
そうしたら、親や友だちから、
「英語の歌聴いてるの、偉いね」って言われました。
一同
あははははは!! 
Sさん
もう「いい子」から抜けられないんですよ(笑)。
どうしたらいいんだと思って。
糸井
おもしろいですね。
こうして聞いていると、親御さんといる場が
どんな環境かによって、
みなさんの「いい子」への思いが
全然違うようですね。
いまの話はすべて、
それぞれの家庭のなかで生まれた考え方だから、
当たり前ではありますが。
Iさん
僕は最近、家族というまとまりについて
よく考えているのですが、
その話をしてもいいでしょうか。
糸井
もちろんです。
Iさん
僕の弟は、普段は普通なんですけど、
オンラインゲームをしているときだけ
「外の顔」になるというか、
家のなかに知らない人たちの空間を
入れてくるんです。
僕は、自分の生活を乱されるように感じて、
それが嫌なんです。
でも、弟は弟で
「ゲーム、たのしいからやりたいんだよ」
という意思を曲げなくて。
ここ6年間くらい、
妥協点が見つかっていないんですよ。
糸井
6年間も(笑)。
うーん、家族制度については、多くの人が
「家族はあったほうがいい」という思いと
「こんな制度があるからめんどうなんだ」
という思いの、両方を持っている気がします。
「生きるとはなにか」
と考えるのと同じようなことで、
答えが出ないんですよ。
なぜそんな問題を、昔から人間は
一所懸命考えてこなければならなかったのか。
それは、
「コントロールできないものに対する反応」が、
人間が自分の世界を成り立たせるための
大きな基盤だからだと思います。
コントロールできないものをどう受け入れるか、
どう無視するか、どう対峙するか。
仕事にも同じことが言えます。
家族がコントロールできないのと同じように、
仕事もコントロールできない。
そして、完全にコントロールできる仕事って、
おもしろくないんですよね。
やり方がわかりきっている仕事をしていると、
自分がどんどん消えていくから。
「自分がやる」ということに
喜びを感じられる仕事というのは、
アンコントローラブルなものだったり、
コントロールするにしても、
ほかの人と遊ぶようにやり取りしながら
進められるものだったりします。
それは、自分でない他者がいるおかげで
できることですから、ありがたいです。
でも、家庭に話を戻すと、
家にいられないほど関係が悪化してしまった
家族もあります。
そういった話を聞くと、家族の問題って、
「アンコントローラブルなところがいいよね」
とまとめられるほど
簡単なものではないとも思います。
僕の個人的な考えですが、家族というのは、
「解体しやすくなる」ことによって、
むしろいい成立の仕方ができるのかもしれないなあと
思っています。
いまは「冠婚葬祭に親戚をあまり呼ばない」とか、
「先祖代々のお墓に入らない」
といった選択肢が増えましたね。
家族についても、
「家族がいて助かった」という状況と、
「離れてもいいんじゃないか」という状況とが、
いまは両方あるように感じます。
しばらくは、その「両方ある」という状態の社会が
続いていくんじゃないかと思っています。

Wさん
個人的な悩みなのですが、
自分がいまたのしんでいる趣味などは、
いまいる環境によって成り立っているのではないか
と考えることがあります。
いずれ社会が変わって、
家族など、まわりの環境も変化していったとき、
たのしさを享受し続けられるのかという
不安があるのです。
このことについて、
糸井さんの考えをお聞きしたいです。
糸井
Wさんの不安は、
「自分を大切に思ってくれている人がいる」
という自覚から生まれているものだと思います。
つまり
「俺が社会的に見て変なことをしたら、誰か泣くぞ」
とわかっているんですよね。
それがわかっているなら、ある程度、
好き放題たのしんでいいと思います。
「『好き放題やってもいい』って、
糸井が言ってた」と、俺のせいにされたら困るけど。
一同
(笑)
糸井
僕自身の話をすると、
父親が「自分はあまり自由に生きられなかった」
という思いがあったようで、
息子である僕をなるべく自由に生かしてやりたいと
考えたみたいなんです。
それで、僕が高校を卒業する前に、
「大学には行くのか」と訊かれて。
灘校のような進学校ではないですけど、
僕がいた高校も
みんな大学受験をする学校だったので、
僕も当たり前のように進学するつもりでした。
でも、父が
「もし大学に行かないなら、100万円あげる」
と言ったんですよ。
「いま100万円やるから、
大学に行かずに好きにしてもいいぞ」って。
そう言われたとき、僕はそれまで
「自由が欲しい」なんて言っていたくせに、
「なんてこと言い出すんだ」と
びっくりしてしまって、父親の提案を
まともに受けとめられなかったんですよ。
結局、子どものほうが保守的だったということです。

糸井
幼児のときから
「お母さん、離れちゃいやだ」と言うのは
子どものほうですし、
受験に失敗したときに
浪人する覚悟が決まっているのは
意外と親のほうだったりします。
だから、じつは自分のほうが
社会や大人より保守的な場合がある、ということは
頭に入れておいてもいいかもしれませんね。
思いつきだけど、親御さんに
「一緒に遊びたいんだけど、なにする?」
って聞いてみたらどうかな。
一緒に遊んだら、
予想していなかったおもしろい場面が
あるかもしれないですよ。
親の目線から言うと、
親も「子どもに巻き込まれたい」
という気持ちがありますから、
乗ってくれるんじゃないかな。
Wさん
そうですね。このあいだ、家族旅行に行ったとき、
「せっかく家族みんな集まったから、
なにかして遊ぼうか」と考えたのですが、
結局、なんにも思いつかなくて。
糸井
そこなんだよね。
大人でも、「自由に遊ぼう」と言われて、
考えつくのは難しいんです。
僕は、そういうとき上位に来るたのしみは、
「人としゃべること」だと思っています。
いま僕たちがこうして話している時間は、
大金を払っても体験できない、かけがえない時間です。
家族のあいだでも、
たとえたいしたことのない内容だとしても、
一緒にしゃべる時間は
ものすごい「ごちそう」だと思うよ。

(明日に続きます)

2025-06-11-WED

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