
- 永田
- そろそろ、糸井さんから、
灘校のみなさんに質問をお願いします。
せっかく、たくさんの
生徒さんに来てもらっているので、
マイクを回していけたら。
- 糸井
- そうだなあ。
「みんな『いい子』って言われすぎるの、
困らない?」っていう質問をしてみようかな。
- Rさん
- 僕は‥‥、あまり言われないですね。
- 一同
- (笑)
- Rさん
- たしかに、学校の前の喫茶店に入ったときなどに、
「灘校なんでしょ」と言われて、
「そうなんです」と答えることはあります。
僕たちに対して「日本の未来を担う若者」という像を
多くの人が持ってくれていると感じますし、
その自覚もあります。
だけど、もしかしたら、
まわりの人たちが思う「勉強が好きないい子」と、
僕たちにとっての「勉強が好き」は、
少し違っているかもしれなくて。
きょう、ここにいるのは、とくに
議論が好きな生徒たちなんです。
ただテストに答えるのではなくて、
ものを学んで、自分自身を壊して変化させていく
という意味での「勉強」が好きな人たちです。
なかでも僕はわりと適当なタイプなので、
「勉強は好きだけど、一般的に考えられている
『いい子』とは違うかも」という気がします。
- Yさん
- 僕は、わりと「いい子像」にいると楽なんです。
だから、ひとりでいたいときや、
ほんまにしんどくて寝たいときは、
一回「いい子像」に入って、
元気になってきたら「いい子像」から出る、
みたいな使い方をしています。
- 一同
- (笑)
- Yさん
- でも「嘘をつかない」というポリシーは、
大事にしています。
ふだんから嘘をつかないようにしているので、
まわりの人もわかってくれていて、
僕が少し「いい子像」からはみ出したときに
「なにかを誤魔化しているんじゃなくて、
事情があるんだな」と察してくれることが多いです。
なので、あまり「いい子像」に縛られる不自由さを
感じたことはありません。
- 糸井
- ああ、いいですねぇ。
- Nさん
- うーん‥‥
「いい子」って、なんですかね。
- 糸井
- あははは。なんだろうね。
- Nさん
- 僕は、小学生のころから、
母に「いい子だけにはなるな」と言われていて。
- 糸井
- おお。
- Nさん
- というのも、母によると、世に言う「いい子」とは、
「先生や大人に言われたことしかしない子」
らしいんです。
でも、「いい子」って、
そんなザックリとしたイメージでいいのかな? と
考えることもときどきあって。
そもそも「いい子」「悪い子」と
善悪で分けられるものでもない気がしてきて‥‥
考えているうちに、
よくわからなくなってしまいました。
- Sさん
- 僕なんかは、自分で言うのもなんですけど、
周囲に「いい子だね」と言われて育ってきました。
でも、ほんとうにそう言われるのが嫌で、
一時期「ロックを聴いてやろう」と思ったんです。
それも、日本のロックじゃなくて、
ビートルズとかを聴いてやろうって。
そうしたら、親や友だちから、
「英語の歌聴いてるの、偉いね」って言われました。
- 一同
- あははははは!!
- Sさん
- もう「いい子」から抜けられないんですよ(笑)。
どうしたらいいんだと思って。
- 糸井
- おもしろいですね。
こうして聞いていると、親御さんといる場が
どんな環境かによって、
みなさんの「いい子」への思いが
全然違うようですね。
いまの話はすべて、
それぞれの家庭のなかで生まれた考え方だから、
当たり前ではありますが。
- Iさん
- 僕は最近、家族というまとまりについて
よく考えているのですが、
その話をしてもいいでしょうか。
- 糸井
- もちろんです。
- Iさん
- 僕の弟は、普段は普通なんですけど、
オンラインゲームをしているときだけ
「外の顔」になるというか、
家のなかに知らない人たちの空間を
入れてくるんです。
僕は、自分の生活を乱されるように感じて、
それが嫌なんです。
でも、弟は弟で
「ゲーム、たのしいからやりたいんだよ」
という意思を曲げなくて。
ここ6年間くらい、
妥協点が見つかっていないんですよ。
- 糸井
- 6年間も(笑)。
うーん、家族制度については、多くの人が
「家族はあったほうがいい」という思いと
「こんな制度があるからめんどうなんだ」
という思いの、両方を持っている気がします。
「生きるとはなにか」
と考えるのと同じようなことで、
答えが出ないんですよ。
なぜそんな問題を、昔から人間は
一所懸命考えてこなければならなかったのか。
それは、
「コントロールできないものに対する反応」が、
人間が自分の世界を成り立たせるための
大きな基盤だからだと思います。
コントロールできないものをどう受け入れるか、
どう無視するか、どう対峙するか。 - 仕事にも同じことが言えます。
家族がコントロールできないのと同じように、
仕事もコントロールできない。
そして、完全にコントロールできる仕事って、
おもしろくないんですよね。
やり方がわかりきっている仕事をしていると、
自分がどんどん消えていくから。
「自分がやる」ということに
喜びを感じられる仕事というのは、
アンコントローラブルなものだったり、
コントロールするにしても、
ほかの人と遊ぶようにやり取りしながら
進められるものだったりします。
それは、自分でない他者がいるおかげで
できることですから、ありがたいです。 - でも、家庭に話を戻すと、
家にいられないほど関係が悪化してしまった
家族もあります。
そういった話を聞くと、家族の問題って、
「アンコントローラブルなところがいいよね」
とまとめられるほど
簡単なものではないとも思います。
僕の個人的な考えですが、家族というのは、
「解体しやすくなる」ことによって、
むしろいい成立の仕方ができるのかもしれないなあと
思っています。
いまは「冠婚葬祭に親戚をあまり呼ばない」とか、
「先祖代々のお墓に入らない」
といった選択肢が増えましたね。
家族についても、
「家族がいて助かった」という状況と、
「離れてもいいんじゃないか」という状況とが、
いまは両方あるように感じます。
しばらくは、その「両方ある」という状態の社会が
続いていくんじゃないかと思っています。
- Wさん
- 個人的な悩みなのですが、
自分がいまたのしんでいる趣味などは、
いまいる環境によって成り立っているのではないか
と考えることがあります。
いずれ社会が変わって、
家族など、まわりの環境も変化していったとき、
たのしさを享受し続けられるのかという
不安があるのです。
このことについて、
糸井さんの考えをお聞きしたいです。
- 糸井
- Wさんの不安は、
「自分を大切に思ってくれている人がいる」
という自覚から生まれているものだと思います。
つまり
「俺が社会的に見て変なことをしたら、誰か泣くぞ」
とわかっているんですよね。
それがわかっているなら、ある程度、
好き放題たのしんでいいと思います。
「『好き放題やってもいい』って、
糸井が言ってた」と、俺のせいにされたら困るけど。
- 一同
- (笑)
- 糸井
- 僕自身の話をすると、
父親が「自分はあまり自由に生きられなかった」
という思いがあったようで、
息子である僕をなるべく自由に生かしてやりたいと
考えたみたいなんです。
それで、僕が高校を卒業する前に、
「大学には行くのか」と訊かれて。
灘校のような進学校ではないですけど、
僕がいた高校も
みんな大学受験をする学校だったので、
僕も当たり前のように進学するつもりでした。
でも、父が
「もし大学に行かないなら、100万円あげる」
と言ったんですよ。
「いま100万円やるから、
大学に行かずに好きにしてもいいぞ」って。
そう言われたとき、僕はそれまで
「自由が欲しい」なんて言っていたくせに、
「なんてこと言い出すんだ」と
びっくりしてしまって、父親の提案を
まともに受けとめられなかったんですよ。
結局、子どものほうが保守的だったということです。
- 糸井
- 幼児のときから
「お母さん、離れちゃいやだ」と言うのは
子どものほうですし、
受験に失敗したときに
浪人する覚悟が決まっているのは
意外と親のほうだったりします。
だから、じつは自分のほうが
社会や大人より保守的な場合がある、ということは
頭に入れておいてもいいかもしれませんね。 - 思いつきだけど、親御さんに
「一緒に遊びたいんだけど、なにする?」
って聞いてみたらどうかな。
一緒に遊んだら、
予想していなかったおもしろい場面が
あるかもしれないですよ。
親の目線から言うと、
親も「子どもに巻き込まれたい」
という気持ちがありますから、
乗ってくれるんじゃないかな。
- Wさん
- そうですね。このあいだ、家族旅行に行ったとき、
「せっかく家族みんな集まったから、
なにかして遊ぼうか」と考えたのですが、
結局、なんにも思いつかなくて。
- 糸井
- そこなんだよね。
大人でも、「自由に遊ぼう」と言われて、
考えつくのは難しいんです。
僕は、そういうとき上位に来るたのしみは、
「人としゃべること」だと思っています。
いま僕たちがこうして話している時間は、
大金を払っても体験できない、かけがえない時間です。
家族のあいだでも、
たとえたいしたことのない内容だとしても、
一緒にしゃべる時間は
ものすごい「ごちそう」だと思うよ。
(明日に続きます)
2025-06-11-WED


