私立灘高等学校のある生徒さんから、
糸井重里に依頼のメールが届きました。
それは「あのメール、すごかったね」と
社内で話題になったほど、
熱意と真摯さのあふれた文面でした。
彼の依頼をきっかけに、灘高校の
「ひときわ癖ある、議論好きな生徒」さん18名と、
糸井が言葉を交わす場が実現。
全員で、粘り強く答えを探すことそのものをたのしみ、
ほかにない対話をかたちづくりました。

この対談の動画は 「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

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第5回 感想は出さなくていいです。

開始から、約1時間が経過しました。
Iさん
ここまでうかがったことを理解するために、
いったん自分のなかで
反すうする時間が必要そうです。
糸井
そういうものだと思いますよ。
僕は、講演のあとなどに
「レポートを書いてください」と
言ったことがないんです。
AIが的確に要約できるような内容よりも、
ボワッとした「おもしろかったなあ」
という感覚のほうが大事だと思うから。
その「おもしろかったなあ」から、
「どこがおもしろかったんだろう」
「あそこが一番気になったな」
「あのあたりは飽きたから、
あまり聞いてなかったな」と、
身体全体が感じた印象を
覚えていてくれたほうが、うれしいです。

糸井
昔、友だちだった任天堂の社長の岩田さんと、
交代で講演会をやったことがあります。
僕が任天堂で話して、岩田さんがほぼ日で話した。
岩田さんは、
「糸井さんがせっかく来てくれたから、
感想を送りましょう」と、
社員のみなさんからの感想を送ってくれました。
岩田さんは、
そんなふうにしっかりしたいい人だったんです。
でも、僕は
「岩田さん、申し訳ないけど、
うちからは感想送れないよ」と、正直に伝えました。
ほぼ日のメンバーには
「どうしても岩田さんに感想を送りたければ、
いつでも伝えるよ」と言いました。
失礼だったかもしれないけど、
それがこの会社の生き方なんです。
うまくまとまった感想よりも、
「この話を聞けて、よかったーっ!」という、
心が膨らんだような気持ちのほうが、
じつは大事なんだと思います。
心が膨らむというのは、
新しい意味や知識や考えを入れられるお皿が
大きくなるということですから。
だからきょうも、
みなさんはレポートを出さなくていいですからね、
と、ずっと言いたかった(笑)。

Iさん
ありがとうございます。
一方で、絶対に書かないといけないレポートも、
ときにはありますよね。
僕は、すごく真面目な話ではない限り、
レポートの書き方で遊んでもいいんじゃないかと
思っているんです。
「与えられたこの枠のなかでどう遊ぼうかな」
と考えて実行できる人が、
「おもしろい人」なんじゃないかと。
だけど、そのおもしろさって、
学んで身につけていくものではない気がします。
となると、
おもしろさは先天的なものなんでしょうか。
糸井
うーん、それは違うと思います。
「トライしていい環境」が、
おもしろいことをさせるんだと思う。
たとえば、
「きょうの僕の話を、
きちんと要約したレポートを出しなさい」
という課題に加えて
「もう1通、別のレポートをつくりなさい」
という課題が出されたら、悩むでしょう? 
それは「自分にとって、この場とはなんだったのか」
を考えなければならなくて、
「自分」を出さざるを得ないからです。
そこで、「どうやって自分を出そうか」と悩むのが
「トライする」ということですよね。
そのトライする環境、あるいは時間を
どういうふうにつくるかが、
とっても大事なんじゃないでしょうか。
なので、「誰が見るわけでもないけれど、
自分が満足するレポートを書いてごらん」
と言われたときは、
「先天的な才能」で対応するわけではなくて、
「その場をどうつくるか考える」ことで
対応するんだと思います。
「場」をどうつくるか、という試行錯誤が
いいクリエイティブだと思うし、
それは自分ひとりでできますからね。
Iさん
「場」という言葉のとおり、
自分の頭を自由にのびのびさせる環境は
大事だと思います。
一方で、社会のなかには
「なんでこれをしなきゃいけないんだ」
「なんでこんなふうに言われるんだ」という
理不尽もあるように感じます。
人間の社会だけじゃなくて、
自然のなかにもきっと、理不尽はありますよね。
「ほぼ日」という場所にも、
理不尽さはあるのでしょうか。
それとも、意識してなくしていっていますか。
糸井
理不尽なことがなるべくないようにはしているけど、
それで会社がめちゃくちゃになってしまったら
生活できないので、たぶん、
めちゃくちゃにならないための対策は
していると思います。
それは僕よりも、乗組員の永田さんのほうが
よくわかっていそうだから、
聞いてみましょうか。
永田さん、ほぼ日のなかで、
「めちゃくちゃにはならないけども、自由」
という環境が成り立っているのはどうしてですか。

永田
一例ですが、パッと思いついたのは、
「時間を守る人が、時間を守らない人に対して
偉そうに言うのはよくないので、
ほぼ日ではあまり『時間を守れ』と言わない」
ということです。
そうすると、逆にみんな、
時間を守るんです(笑)。
ほかには、たとえば「企画をいくつ出せ」のような
ノルマは、ほぼ日にはないです。
だから、企画を出さないでいようとすれば、
ずっと出さないでいることもできます。
でも、だんだん「出さない自分」が嫌になってきて、
企画を考えるようになるんです。
不条理で押さえつけないぶん、
自分で自分に課している人が多い気がします。
Iさん
糸井さんが、
乗組員さんたちをすごく信頼しているんですね。
永田
いや‥‥信頼されてるかはわかりません(笑)。
一同
(笑)
糸井
いま、聞いていて思ったんだけど、
僕だけがみんなを信頼してても成り立たないね。
乗組員同士、お互いが信頼していないとね。
永田
そうですね。
だから、ルールがないというのも、
けっこう厳しいことなんです。
「この人と仕事をしたいな」と思われる人には
仕事が集中するけれど、
逆に、あまり仕事を頼まれなければ
「自分は、一緒に仕事をしたいと思われる
信頼をされていないのか」と肌で感じるので。
糸井
そういう環境が好きな人が、
この会社には多いのかな。

永田
反対に、守るべきルールが
明確に決められているほうがやりやすくて、
ノルマを達成していく環境のほうが楽な人は、
ほぼ日で働くのは向いていないのかもしれないですね。
糸井
あと、これはきちんと
言っておかなきゃいけないんですが、
遅刻するのが褒められてるわけじゃないからね。
永田
そう、遅刻の推奨はされてないですよ。
一同
(笑)

(明日に続きます)

2025-06-10-TUE

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