私立灘高等学校のある生徒さんから、
糸井重里に依頼のメールが届きました。
それは「あのメール、すごかったね」と
社内で話題になったほど、
熱意と真摯さのあふれた文面でした。
彼の依頼をきっかけに、灘高校の
「ひときわ癖ある、議論好きな生徒」さん18名と、
糸井が言葉を交わす場が実現。
全員で、粘り強く答えを探すことそのものをたのしみ、
ほかにない対話をかたちづくりました。

この対談の動画は 「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

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第4回 夢は契約じゃない。

Mさん
僕は「人と違う価値観や個性を持ちなさい」
「夢を持ちなさい」
と言われることがよくあるのですが、
あまり「夢に向かって突き進む」ことが
できていない気がするんです。

糸井
僕も、自分の「夢」については、
ずっとはっきりしたことがわからないです。
でも、仕事は「あなたを応援してるよ」という人が
集まってくれることで成り立つので、
夢や目標のようなものを語る機会が多いです。
スポーツ選手もよく
「応援してくれる人の望むことを、
できる限り実現したいです」と言いますよね。
いまの社会では、夢や目標を「約束」という形で
話すことが要求されているんです。
夢を持ちづらい理由のひとつは、
「夢は約束じゃないよ」ということを、
多くの人が忘れてるからだと思うんですよ。
とくに現在の、いわば資本主義の社会では、
いろんなものを数字に置き換えたり、
効率を求めたりしています。
「約束」ということにしておかないと、
実現しなかったときのペナルティーもなければ、
達成したときのご褒美もない。
だから「全部約束にしよう」と
決めてしまいがちです。
それが西洋社会のロジックであり、
契約社会の思想なんです。
でも、ほんとはでたらめ言っていいんですよ、
夢ってね。
1日しか見なかった夢について
語ってもいいんです。

糸井
そこでほぼ日は、ちょっとずるいんだけど、
「夢に手足を。」って言ってるわけです。
この言葉は、夢を「自分たちに扱えるスケール」
にしてくれるんです。
だから僕らは、「世界一の◯◯をつくる」といった
規模の大きな夢は掲げたことがありません。
僕らが夢だって言っていることは、
ほんとうにやりたいことなんですよ。
「ほんとうにやるぞ、という、本気の話をするよ」
という意思表明が、
僕らにとっては「夢に手足を。」なんです。
この言葉のおかげで、僕らは夢を
「実現できるもの」のスケールにできているけれど、
基本的には、夢なんて、
全部でたらめでも構わないと思う。
僕の長続きした夢は「漫画家になりたい」
だったけれど、実現はしなかったです。
逆に「アマゾン川で釣りがしたい」という夢は
実現しましたが、実現したからといって
誰かの役に立ったわけでもありません(笑)。
それでいいんだと思います。
ネットや制度上のやりとりでは、
「その定義はなんだ」
「ここから1ミリでもずれたらダメだ」
といった言い争いがよく起こります。
その環境のなかにいると、
夢は「絶対にやり遂げます」
という約束でなければならないと思いがちだけど、
実際の社会では、みんなもっと、許してるから。
なぜかって、人間がやってるからです。
だから、もう割り切ってしまって、
ほんとうは自信がなくても
「はい、僕の夢はこれです!」
と言っちゃってもいいと思う。
さっき話に出た横尾忠則さんだって、
もともとは郵便配達員になるのが夢で、
実際は毎日大きな絵を描く人になったんですからね。
‥‥大丈夫ですか、この答えで。
Mさん
はい、ありがとうございます。
いったん、気負いすぎずにがんばってみます。
糸井
うん。
「夢を叶えるまで監視してやる」なんて人は
いないから、大丈夫ですよ。

Yさん
僕は、夢や目標ができて、新しいことを始める前に
「これ、いつまでやるんやろう」と、
終わりを考えてから始めることがあります。
糸井さんは、
ほぼ日のお仕事をいつまでやるか決めていますか。
それから、いま、
糸井さんがリーダーとして考えていることは
どんなことでしょうか。
糸井
終わりは、何年も考え続けていますね。
自分がまだやりたいことがあるかどうか、
あるいは、自分に望まれていることがあるかどうかは
考えないわけにいきません。
なので、自分の立ち位置や役目を
自分と相談しながら、
いつか「やめる」ときの練習はずっとしています。
そして、僕のリーダーシップはね、
ゼロにしたいんですよ。
強いて言うなら、
「チームプレーをやりたい」という強い思いが
僕なりのリーダーシップかもしれません。
ほぼ日というチームがもっと大活躍するために、
「もっとそこに力を入れて」と
仲間に伝えることはありますし、
自分に「ここはちゃんとやろうよ」と
言うこともあります。
そんなふうに、自分もチームの一員として
チームプレーをするためのことを
一所懸命やっていて、
「自分がリーダーかどうか」という発想は
持たないですね。
理想は、リーダーがいない状態で、
生き物としてのチームが
ガンガン上に登っていくことです。
自分が褒められるより、その集合体の一部として、
みんなで褒められたほうがやっぱりうれしい。
自分ひとりで「俺はもっとできるぞ」と
言うことは、僕はできないけれど、
チームのなかなら「自分たちはもっとできるぞ」
と言えますからね。

(明日に続きます)

2025-06-09-MON

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