
- Iさん
- ほぼ日では、
「好き」が企画の中心になっている
イメージがありますが、
「好き」の感情に没入しすぎないように、
みなさんは意識なさっているのでしょうか。
- 糸井
- 没入し切ってつくったコンテンツは、
ほとんどないと思います。
かといって、取材対象やテーマに対して、
冷たくなっているわけではありません。
必ずしも「好き」が不可欠ではないけれど、
その代わり「これは欠かしてはいけないな」
と思っているものはあります。
それは「敬意」です。 - 「その存在があってよかった」、あるいは
「その存在を守る手伝いをしたい」
「応援したい」「学びたい」とか‥‥、
そういう気持ちは全部「敬意」で、
「好き」以上に重要なんだと思う。
それをなくしたら、たぶんだめなんじゃないかな。 - 僕は、たとえ好きになれない人でも、
「あの人、こういうところはすごいんだよな」とか、
「彼に比べて、自分はこういうことができないから、
彼がいる場所に立たなかったな」と思うことは
ものすごくあります。
だから、「敬意」は「嫌い」を超えて、あります。
‥‥あ、いま、「なんていいこと言ったんだろう」
って、自分で思いました(笑)。
- 一同
- (笑)
- Iさん
- 「敬意」という言葉について、
ひとつ思い出したことがあります。
僕は、学校の先生から言われた言葉のなかで、
とくに大きな影響を受けたのは
「人から応援されるような人になれ」
ということなんです。
人から応援される、もしくは
リスペクトされるような人になろう、
という意識が、長いあいだ頭に残っていて。
でも、「敬意を持たれる人になること」を
ずっと意識しながら動くのは、
少し嫌な気もしているんです。
- 糸井
- それはきっと、くたびれるよね。
- Iさん
- だからといって、
他人をまったく気にしない人間になりたいわけでも
ないんです。
その塩梅について、お聞きしたいです。
- 糸井
- ここにいるみんなは、たぶん、
ずっと応援されて生きてきた人でしょう。
- Iさん
- はい。いまの自分の環境があるのは、
間違いなく周囲が応援してくれたからだと
感じています。
- 糸井
- 「あなたはすごい、敵わない」と
言われることも多いと思います。
でも、みなさんも知っているとおり、
勉強の世界も、運動の世界も、上には上がいます。
「こんなに勉強ができるのに、なぜかモテない」
という壁もあるかもしれないし。
- 糸井
- 自分たちが「すごいね」と言われているジャンルは、
限定的な空間なんだなということを、
すでにみなさんは知っているし、
これからも感じるでしょう。
なので、
「人が自分に活躍を期待しているジャンルだけで、
期待に応え続けようとするのは、どうなんだろう」
という疑問は、ずっと着いてくると思います。 - その疑問に対する僕の考えは、
「これは応えたいし、応えよう」と感じる期待と、
「俺はこれは応えない」と断っていい期待がある、
ということです。 - たとえば仕事と家庭のどちらを優先するか、
といった選択では、
どちらを選んでも全員が満足することはありません。
「よし、この分野で、応援される人間になろう」
と思って期待に応えるのはすごく気持ちがいいし、
期待している人にとってもうれしいことです。
だけど、「それは俺、やめとくよ」ということも、
自分で決めていいんだと思う。 - 極端な話をすると、
大勢で戦いの最前線に立ったとき、
囮として斬り込んでいく役って、
誰もやりたくないですよね。
でも、どうしても誰かがやらなければならない場合、
ひとりが「俺がやるよ」と引き受けたおかげで
みんなが助かるかもしれない。
機械が論理的に考えたら絶対に選ばない選択肢を、
人間は信念や良心に従って
選ぶ場合があるということは、
頭の隅にあったほうがいいと思います。
「それは、自分が選べるんだよ」ということは。 - そうじゃないと、ほかの選択も、
嘘になっちゃうと思うんです。
「俺はそこは譲らないんだ」というところが、
その人の美意識であり、生き方だから。
- 糸井
- 僕は、生き方というものは、
すべてに優先できるような気がします。
さっきの戦いのたとえで言えば、
「俺はここで逃げるぞ」あるいは
「俺は裏切る」という選択も、ひとつの生き方です。
それらも選択肢に入っているのが
人生だと思うんです。
- Iさん
- さきほど「好き」のテーマが出た際、
ある対象に熱狂することに、
人は物語としてのおもしろさを感じるという
お話がありました。
きっと、熱狂している最中は、
自分が選択しているとは感じていなくて、
あとから振り返ったときに
「自分はこういう生き方を選んでいたんだな」
と気づくことが多いのだと思います。
でも僕は、あえて「そんな選択をするの?」と
思われるほうを選ぶことでつくる物語も、
あると考えていて。
選択をするときに
「自分はいま、あえてこの生き方を選んだぞ」と
気づいていたほうが、
僕はおもしろい人生を送れる気がするんです。
- 糸井
- うん、うん。
- Iさん
- 僕は、自分で
「いやぁ、おもしろかったな、この人生」
と振り返れる人生を送りたいのですが、
周りを見ていると、
「あれ、案外、人生におもしろさを求めている人って
少ないのかな?」と感じて。
- 糸井
- あははは。そうかもしれないね。
- Iさん
- 「みんなほんとうに、とりあえず大学に上がって、
就職ができればいいのかな。
もちろん、それは大事だけど‥‥」
というところで、自分と周りのギャップを
感じてしまいます。
- 糸井
- たぶん、多い価値観と少ない価値観とがあって、
その多い少ないは「正しいか、間違っているか」とは
関係ないんです。
たとえば、ジャズが好きな人と、
K-POPが好きな人の数を比べて、
K-POPが好きな人のほうが多かったとしても、
「K-POPが正しくて、ジャズは間違っている」
とはならないですよね。
だから、
価値観は比べる必要がないと思います。 - 「この大学に行って、ここに就職すれば、
気が合う人たちといられそうだし、
自分を活かせそうだ」と思ったら、
「大学に行って、就職しよう」と考えるのは
自然なことです。
なので、自分の価値観と違っていても、
まずは「そう思うこともあるよね」と
理解するのが大事なんじゃないかなあ。 - つまり‥‥あの、海のなかで、
シャチがめっちゃ強いじゃないですか。頭もいいし。
だけど、「シャチ、すごいな。
こんなに強いなら、陸にいるトラっていうのと、
ちょっと戦ってみないか」
って誘われても、シャチ、
ついて行っちゃだめですよね。
- 一同
- (笑)
- 糸井
- 逆に、トラも「シャチのところに行かないか」
と誘われたら、
「いや、俺、行かない」って言っていいんです。
もしかしたら、そのうちシャチとトラが
違う会い方をするかもしれないし。
「他者と比べるとき」と「比べないとき」
というのも、自分で決められるんですよ。 - だから、人生の全部の時間が
つながっていると思わずに、
色分けしてもいいんじゃないでしょうか。
ある時期のなかで、
「いい大学に行って、いい会社に勤めて」
という練習をしてみるのもいいと思うんです。
それで、向いてないなと思ったら
違うことを考えてもいいし、
疑いを持ちながら続けてもいい。 - 僕自身のことを言えば、
ものを書くことは嫌いなんですよ。
なのに、こんなに長いこと書いて生きてきちゃった。
シャチが陸に上がってしまったようなことで。
- 一同
- (笑)
- 糸井
- そういうシャチをやっているんですけど、
これはもう、僕の生き方なので。
画家の横尾忠則さんも、
「絵は嫌いだ」と言いながら、
88歳になっても毎日、
ものすごく大きな絵を描いています。
しかも、絵を売ったら何千万という値段がつくのに、
売る気がないんです。
横尾さんにとっては、
通帳の残高が増えることは意味がない。
「横尾さんはなんで描くのか?」という理由が、
いまの社会のなかでは説明つかないんです。 - でも横尾さんは、
ものごとにお金を絡ませることで
成り立っている社会と、
その社会の考え方に馴染んでいる人たちを
否定するわけではなく、
「そういう考えもあるよね」と理解したうえで、
きょうも絵を描いているんですよね。
それはまさに、横尾さんの生き方です。 - 憶測ですが、もしかしたら、大谷翔平選手も
すでにそうかもしれません。
たぶん、彼はもう、通帳の0を増やすためには
野球をやってないですよ。
みんなが
「うわあ、大谷選手がここで打ったらいいなあ」
と思っている場面で打てたら、
10億円もらうよりもうれしいですよね、きっと。 - 僕自身が、なにかに秀でていたわけではないのに
なんとかなったのは、簡単に結論付けてしまえば、
運がよかったからです。
でも、運だけのおかげではないです。
きょうお話ししたような、
「好きな食べものはどうして好きなんだろう」
と考えたり、嫌いな人の「ここはすごいな」
というところに気づいてみたりしたことの
積み重ねに意味があったんだと思います。 - たとえば、
「僕と誰かがどんな対談をしたら、
人がおもしろがってくれるかな」
ということを考えていくと、
実現するチャンスが出てきます。
さらに、対談相手が僕にとって新しい事実を
教えてくれるかもしれないし、
別の誰かを紹介してくれるかもしれない。 - ひとつのきっかけを掴んだときに、
そのまま「連れてって」と、
相手の場所に遊びに行ったり、
相手をこちらに呼んで遊んだりしていくことで、
自分の世界がこう、モクッと増えるんです。
そうやって世界を足していったものが、
「自分」であり、自分の価値観なんじゃないかな。
(明日に続きます)
2025-06-08-SUN


