
おもしろいゲームには、
たくさんのアイデアと多くの技術、
さまざまなテクノロジーが取り入れられています。
『MOTHER2 ギーグの逆襲』のなかにも、
多くの人たちのアイデアや努力がたくさん詰まってます。
そのゲーム開発の現場の中心人物のひとりが、
ゲームデザインを担当した
「三浦兄」こと、三浦明彦さんです。
『MOTHER2』はどのようにして生まれたのか。
これまで知られていなかった『MOTHER2』の
開発エピソードをたっぷりと語っていただきました。
三浦明彦(みうら・あきひこ)
ゲームデザイナー。明治学院大学非常勤講師。
宇都宮大学入学と同時にゲームソフト輸入、販売、開発会社に入社。
黎明期の北米ビデオゲームを学ぶ。
セディック、エイプでゲームソフト、テレビ番組、書籍を制作。
クリーチャーズ、ポケモンで『ポケモンカードゲーム』などを手掛ける。
ジニアス・ソノリティの設立に加わり、
2011年よりミウラアニ・アンド・アソシエイツとして、
『Pokémon Trading Card Game Pocket』など
さまざまなゲーム開発に関わっている。
『MOTHER』シリーズ関係者からは
「三浦兄(みうらあに)」と呼ばれる。
- ──
- 岩田聡さんのお話がありましたが、
『MOTHER2』は製作が難航していて、
途中から岩田さんと
ハル研のスタッフが参加したことで
一気に完成に向かったという話が有名です。
三浦さんも、岩田さんの、あの、
有名なことばをお聞きになったんですか。
- 三浦
- え、あのことば、というと?
- ──
- 岩田さんが『MOTHER2』に参加するときに
おっしゃったという‥‥
「いまあるものを活かしながら
手直ししていく方法だと2年かかります。
イチからつくり直していいのであれば、
半年でやります」ということばです。
- 三浦
- ああ、聞きました、聞きました。
会議ではっきりおっしゃってましたから。
- ──
- おお、あれをナマで聞いた人、ですね。
- 三浦
- いや‥‥そう言われると‥‥
言ってたと思うけどなあ(笑)。
すみません、もうあまりに昔のことなので。
当時、岩田さんがそうおっしゃった、
ということは知ってます。
かっこいいことをおっしゃるなあと思いました。
その一方で、それまでつくっていた
膨大なデータをほんとうに
引き継ぐことができるのかなとも思いました。
- ──
- 開発開始から岩田さんが参加されるまで
3年から4年近くかけて、
みなさんがつくっていた素材がありますから、
引き継ぎはたいへんですよね。
- 三浦
- そうなんですよ。当時の『MOTHER2』は
とても高度なものをつくろうとしていて、
いつまでもできあがらないことに、
みんな鬱屈した気持ちを味わいながらも、
「すごいものをつくっている」という
実感はもっていたんです。
でも、そこに岩田さんとハル研究所の
みなさんが参加してくださって、
いったいどうなるんだろうと思っていたら、
まず、切らなきゃいけないところは切って、
優先順位をつけて、いろいろな作業を
合理化してくださったんですね。
正直、ぼく自身も停滞した状況を
つくりだしてしまった側だったので
複雑な気持ちもありましたし、
いまだに恥ずかしい気持ちもあります。
でも、岩田さんたちが参加したことで
「本来は完成しないものが完成してしまう」
「世紀に一度のクリエイティブかもしれない」
というジャーナリズム的な興奮も感じていました。
- ──
- そのころの状況を確認したいんですけど、
仕様書は最後までできていたんですか。
ゲームの流れは終わりまで見通せてるというか。
- 三浦
- それはだいたい見えていましたね。
もう材料はすべできあがっていたんです。
材料はあるのに、まだ料理をしていなかった。
岩田さんたちが、その材料で
料理を完成させてくれたという感じです。
- ──
- 岩田さんたちが開発に参加されてから、
三浦さん個人はどんなふうに動かれたのでしょうか。
- 三浦
- まず、岩田さんに
ゲーム全体の仕様を把握してもらうために、
自分が先行して山梨のハル研に行って、
3週間ほど籠ってすべてをお伝えしたんです。
自分は車の免許をもっていなかったので、
山梨に行くと岩田さんが車で迎えにきてくださって。
岩田さんは、当時、まだ珍しい
ハイブリッドカーに乗られていて、
その仕組みをうれしそうに
説明してくださったのをよく覚えています。
- ──
- 説明する岩田さんが目に浮かぶようです(笑)。
- 三浦
- そうやって送り迎えしていただく日々のなか、
朝から晩まで仕様の説明をするという毎日でした。
「こういうふうにしたいんです」って。
- ──
- 岩田さんたちが東京に来ただけでなく、
三浦さんたちも山梨に行ってるんですね。
- 三浦
- そうですね。まずぼくが行って、
だいたいの仕様と材料の説明をして、
そのあと、戸田(昭吾)さんが
運転するバンに開発機材を積んで、
開発メンバーみんなで山梨に行きました。
だいたい、1週間おきに山梨で
7泊9日を繰り返す、みたいな感じでしたね。
- ──
- 山梨のハル研で合宿しているような。
- 三浦
- まさにそうですね。
ハル研のそばのホテルが取れないときは、
石和温泉のほうまで行って、
そこでみんなで素泊まりしたりして。
でも、ハル研での作業が遅くまでかかったので、
旅館に着く時間が深夜になってしまって、
怒られたこともありました。
- ──
- 開発は過酷だったんですね。
- 三浦
- みんな疲れてへとへとでした。
せっかく温泉に泊まっているのに、
温泉には一度も入れなくて。
東京に帰る日が迫ってくると、
みんな2日くらい寝ないで
作業を続けていましたね。
いまの時代だったら許されないような体制で
『MOTHER2』はつくっていたんです。
- ──
- ちょっと確認なんですが、
三浦さんはチームのメンバーから
「三浦兄」さんと呼ばれていました。
ということは「三浦弟」さんもいらっしゃるわけで、
それが三浦昌幸さん。
兄弟で『MOTHER2』の開発に
参加されていたわけですよね。
- 三浦
- はい、「三浦弟」もいました(笑)。
昌幸は糸井さんとコンビで『MOTHER2』の
シナリオ班をやっていました。
当時の糸井さんはPCでタイピングをせずに、
口頭でセリフを伝えていたんです。
昌幸とシナリオ部屋にこもって、
誰も邪魔しない環境で、糸井さんがしゃべり続ける。
それを昌幸がPCにタイピングしていく。
糸井さんがそれを見ながらさらに
「いや、違うな、もっとこういうふうに」と
自分でどんどん直していって、
それを昌幸がニヤニヤしながらタイプしていく。
そういう感じでずっとシナリオをつくっていたんです。
- ──
- どういう経緯で弟さんが参加されたんですか?
- 三浦
- 自分が巻き込んじゃったんです。
昌幸が大学生として上京してきたときに、
いっしょに住んでいたんですが、
「いいバイトがあるんだけど、手伝わない?」って(笑)。
それで、『MOTHER2』開発時には
セディックに入社していたんです。
- ──
- そうだったんですか(笑)。
- 三浦
- 彼はゲームをつくっていたわけじゃないんですけど、
彼は文章を書くのが好きだったし、
文学系の知識があったんです。
当時のゲーム業界は、文系の人が少なかったので。
- ──
- 三浦さんご自身は理系ですか?
- 三浦
- じつは僕も文系なんです。
将来は国語の先生になろうと思っていました。
- ──
- そんな経歴が。
- 三浦
- それもあって、ぼくは
バトルのメッセージも担当していましたね。
昌幸はバトル以外のメッセージを担当していて。
あと、戸田さんが「ダンジョン男」とか、
メッセージを部分的に担当していたり、
でも、基本的にぜんぶを糸井さんが書いていて、
昌幸は糸井さんのファンでもあったので、
糸井さんのことを理解しながら
スクリプトに起こしていましたね。
- ──
- いいコンビだったのですね。
- 三浦
- ほんとうにそうなんです。
糸井さんって、分岐とかフラグの状態とかを
そこまで把握されてなかったと思います。
でも、昌幸は妥協しない性格なので、
パーティの組み合わせに合わせてセリフを変えたり、
主人公がきぜつ状態のときに
話しかけられたらどうするんだ、
というような可能性を考えられる人なので、
そういう場合に備えて
「そんなひといないみたいだけど‥‥」
みたいなセリフに分岐するようにしたり。
- ──
- あー、なるほど。
『MOTHER2』は状況にあわせていろんなことばが
かなり細かく準備されているんですけど、
それは三浦弟さんの力が大きいんですね。
- 三浦
- あと、昌幸の功績で大きいのは
エンディングもだと思います。
シナリオを進めているとき、糸井さんが
「最近のRPGは、最後の戦いが終わったあと、
エンディングでみんなに話しかけることが
できなくなっているのがよくない。
あの会話がたのしみでやってるのに!」とおっしゃって。
それで、『MOTHER2』は、エンディングで
たくさんの人と会話できるようにしたんです。
昌幸は完璧主義者だから「いいですね」と言って、
誰も気づかないようなセリフを
たくさん仕込んでうれしそうにしてました。
- ──
- サマーズのストイッククラブが潰れてたり‥‥。
- 三浦
- ああいうのはみんなで
大笑いしながらつくっていました。
糸井さんもノリノリでセリフを考えてくれて。
「もっと居酒屋みたいな感じで!」
って言いながらやっていましたね。
『MOTHER2』の開発チームは、
そういうノリがわかるチームだったんです。
(つづきます)
2026-08-29-SAT
