『MOTHER』と『MOTHER2』には、
発売当時に雑誌や攻略本などで使われていた
キャラクターたちの粘土フィギュアが存在します。
ドット絵で描かれたゲームのキャラクターたちを
粘土や針金をつかって立体物として表現したもので、
それぞれのゲームの取扱説明書に記載され、
『MOTHER』シリーズの世界を象徴するものとして
多くのファンの記憶に残っています。

この粘土フィギュアの作者・トットリさんは、
攻略本で紹介されていたり、
以前から糸井が「作者はトットリくんでね‥‥」と
言っているのを耳にしてきましたが、
本名も連絡先もわからず、
長い間、謎の人でした。

2025年7月、
『MOTHERのかたち。』展を催すにあたり、
なんとかしてお話をうかがいたいと思い、
当時、交流されていた
みうらじゅんさんにお尋ねしたところ、
すぐにトットリさんにつないでくださって、
いっしょに遊びに来てくれました。
『MOTHER』開発当時のおふたりのお話は、
知らないことがいっぱいで、
混乱するほどおもしろいです。

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01. トットリさんとみうらさん。

みうら
きれいに残っているねえ。
トットリ
こっちが『MOTHER』で、
こっちが『MOTHER2』でしょう。
──
そうです。
みうら
さすが、造形担当者、よく覚えてるねえ。
トットリ
だって、なんかねえ、
やっぱり、『MOTHER』のほうが、
ちょっと下手っていうか。
みうら
えっ、そんなの、わかるの?(笑)。
トットリ
わかる。
みうら
どこらあたりが?
トットリ
このあたりサンドペーパーの
削りあとが多いでしょ。
『MOTHER2』のにはないでしょ。

みうら
はあー(笑)
削ってたもんね、毎日ねえ。
トットリ
毎日、削ってた。
いや、よく残っていたなあ。
みうら
よく残しておいてくれたよね。
──
久しぶりに粘土フィギュアをごらんになって、
いかがですか?
トットリ
「いや、すっげえなあ、俺」と思いました(笑)。
「こんな、作ってたんだ」と思って、
今さらながら、びっくりしてるんですけども。
ただ、大変だったことしか覚えていなくて。
『MOTHER』は全部作ったんですけども、
実は注文されたキャラクターを
全部、作りきれなかったんですよ。
なので、『MOTHER2』の粘土フィギュアは
僕と他の2ヵ所で作って。
だから、『MOTHER2』は、
3分の1ぐらいしか作ってないです。
──
そもそも、この粘土フィギュアは、
ゲームの取扱説明書や
攻略本のために作ったんですよね。
みうらさんはご存じでした?
みうら
もちろん、知ってます。
そもそも、今日は、
その誰も知らないことを言いに、
僕は付き添ってるわけですから(笑)。
この人のこと、
「トットリ」だと思ってるでしょ? みな(笑)。
まず、そこを第一、わかってもらおうとね。
──
はい。今回、みうらさんに
トットリさんのご連絡先をうかがったときに
トットリさんの本名をはじめて知りました。
みうら
この人は、僕の美大時代の友だちで、
鳥取県出身であるがために、
「トットリ」っていう、
あだ名を付けられていました。
本名は◯ヤマ◯トシっていいます。
──
ありがとうございます。
みうら
僕が言いたかったことは、
それだけです(笑)
──
ふふっ。
えっと、『MOTHER』の粘土フィギュアを作る、
謂われとか動機については?
みうら
『MOTHER』の粘土フィギュアを
作るようになる経緯は、
そりゃよく知ってるし、
トットリが、この人形を作っていたとき、
一緒に高円寺のアパートに
住んでいましたからね。
美大を卒業して、すぐだったよね。
トットリ
そう。

みうら
そのアパートに当時、
糸井さんのアシスタントをしていた
石井くん(※)がよく遊びに来ていてね。
石井くんも武蔵美で、違う科だったんだけど、
トットリがこういう人形を作るのが
上手いっていうことを、知ってたんだよね。
※みうらさんが美大時代に
同じアパートの上下に住んでいた親友、
京都出身の石井基博さん。
元東京糸井重里事務所とエイプの社員。
「糸井とみうらの長い年月。」参照。
トットリ
フィギュアって、人形ね。
みうら
当時はまだ「フィギュア」なんていう言葉も、
一般には普及してなかったもんねえ。
ところで僕が最初に
トットリが住んでた学生寮で
見せてもらった怪獣フィギュア、
なんで作ってたんだっけ?
トットリ
プラスチック粘土。
プラスチック粘土って、
体温で、こう、やわらかくなって、
自由に作ることができて、
子どもの頃から好きで。
大学に入りたての友だちがいない時期に、
うちでひとりで作ってたんですよ。
それを、じゅんちゃんが
遊びに来たときに見つけて、
「これ、なに?」って言われ。
みうら
冷蔵庫に入っていたよね、それ(笑)。
トットリ
ハハッ。熱に弱いんです。
みうら
あの部屋、特に暑かったもんな(笑)。
ゴジラや、ガラモン、バラゴンもあったね。
怪獣話で意気投合して、
それが現在も続いているわけで(笑)。
いやあ、それが見事な出来なんですよ。
小さいフィギュアなんだけど、
歯の1本1本、入ってる完成度の高さ。
ぶったまげましたよ。
その頃はまだ海洋堂も、
マニアしか知らなかった時代だったしね。
だからトットリは将来的に海洋堂に入って、
フィギュアの造形師になるのがいいと思ってた。
トットリ
それ、飾っていたのかな。
みうら
だから、冷蔵庫に入ってたんだって(笑)。
トットリ
僕、あの‥‥寝てる間に、なんか‥‥。
みうら
それは僕といっしょに住んでたアパートのことね。
これも話せば長い話になるけどさ。
冷蔵庫も二人共用のものだったし、
トットリは遠慮して、
何体かは本棚のところに置いてたんだと思うよ。
そのアパートの見取り図っていうのが、
僕の部屋に入るのには、
トットリの部屋を
必ず通らなきゃいけない作りで。
トットリ
シェアハウスだったんだ。
みうら
オシャレにいうとね(笑)。
そこに石井もよく遊びに来てたし、
糸井さんもたまにプラッと
来られることがあって。
たいがい夜中なもので、
電気を消して寝ているトットリの
手を踏んだり、足を踏んだり(笑)。
トットリはその頃勤めていたから、
大変悪いことをしたと思ってます。
トットリ
たぶん、その時に人形を
見られたんじゃないかな。

みうら
石井もトットリのフィギュア、
糸井さんに見せたかったんだと思うよ。
しばらくして、
『MOTHER』の粘土フィギュアを
作るってことが
急遽、決まったんだよね。
制作は何日ぐらいかけたんだっけ?
トットリ
いやあ、それはねえ‥‥。
みうら
もう、老いるショックで
覚えてないの?(笑)。
トットリ
これは、紙粘土でしょう。
乾かさないと、削ったり、細かい作業ができない。
で、乾かすのに石油ファンヒーターを使って(笑)。
夏でも、そのファンヒーターがないと
乾かせなかったから、
ファンヒーターをつけてたの。
──
夏に?
トットリ
夏、やったっていう覚えがあるから。
みうら
勤めから帰って、ずっとやってた印象があるよ。
トットリ
帰ってきてからと、土日、祝祭日。
みうら
しかも、徹夜でやってる日もあったよね。
トットリ
そうなの。
仕事の話をいただいたときは、
昭和天皇が崩御された‥‥。
みうら
じゃ、まだ寒い頃だったね。
トットリ
そのときは、ファンヒーターが活躍してた。
だから、冬から半年以上やってたような
気がするんだ。
──
いちばん心に残ってる苦労はなんですか?
トットリ
やっぱりあれでしょうね、
暑いときに作業をしたっていうことですかね。
みうら
そこかよ(笑)。
でも、その時はトットリの部屋に、
クーラー、あったんじゃなかった?
トットリ
あったと思うんだけども、
常にファンヒーターの前で
やらなくちゃいけないから。
みうら
そうか、そうか。
──
どのくらいで乾くものなんですか。
トットリ
いや、どれぐらいだったかなあ‥‥。
すぐではないですよね。
で、放っておくと、
ちょっと焦げちゃったりするから(笑)。
──
焦げるほど、近づけて‥‥。
トットリ
あと、時間ですよね、ええ。
睡眠時間(笑)。
──
夜、帰って来られて、
ご飯を食べたあと寝るまで。
トットリ
そうです、そうです、寝るまで。
みうら
でも、トットリは学生時代から、
すごい付き合いがいい奴で、
「ラーメン、行かへん? 」って言ったら、
「ええよ」って、
どんな時間でも付き合ってくれてね。
翌日、僕は夕方近くまで寝てんのに、
トットリは朝ちゃんと起きて
会社に行っているんだもん(笑)。
──
本業は、フィギュア作りとは別の仕事ですか?
トットリ
そうです、ふつうのデザイン会社。
──
どちらもハードでしたね。
家に帰っても、勤務中も。
トットリ
そうですねえ。土日はお休みだったけど。
──
土日はフィギュア作りでつぶれる。
トットリ
そうそう、そうです。
──
終わって、ほっとしましたでしょう(笑)。
トットリ
そうです(笑)。

(つづきます)

2025-07-25-FRI

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