元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(12歳)と、
自由で食いしん坊な次男(8歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

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生きててよかった、そんな夜をさがしてる

生きててよかった、そんな夜をさがしてる。

「深夜高速」。
フラワーカンパニーズの曲だ。
長崎でひとり暮らしをしていたころ、
友人に連れられて小さなライブハウスに行った。
彼らを知らなかったけれど、
今でもこの一節だけがふと頭をよぎる。

男児を育てていると、
何もなくても胸がざわつく日がある。
さりとて、仕事を休んで備えているわけにもいかない。
それが「何もない日」で終わることを、
遠くからいつも祈っている。

優等生タイプで、
問題を起こしたことのない長男が入院したのは、
ちょうど二年前のことだった。

仕事から帰ると、長男がうなだれていた。
落ち込んでいるわけではなく、
首が痛くて動かせないのだという。
首は斜めに傾き、床に向かってぼそぼそと状況を話す。
体育の授業で後転をしたとき、
変なふうに首をひねったらしい。
学校からも連絡はなく、
「大丈夫、大丈夫」と首をなでた。
心配症なところもあるし、たいしたことないだろう、
そう思っていた。

ところが翌朝、今度は声が出ないという。
かすれた声で「びょういん、つれていって…」と、
ささやく。
近所の整形外科へ駆けこむと、
レントゲンを見た医師の顔が曇った。
「大きな病院を紹介します」。
紹介状を握りしめて向かった先で告げられた傷病名は、
「環軸椎回旋位固定」。
首の骨がずれて神経を圧迫しているらしい。

即入院。
二十四時間、首をけん引して様子を見るという。
手術にならなかったことに安堵したが、
問題はつき添いだった。
コロナ禍の余波で、面会は禁止。
一緒に泊まるか、一週間会えないかの二択。
次男は実家に頼めても、
当時転職したばかりのわたしに、選択は重かった。
長期休暇など、とても言い出せる空気ではない。

長男もそれをわかっていたのだろう。
なにも言わなかった。
いや、声が出なかったのかもしれない。
「もう四年生だし、ひとりでも頑張れるかな」と
医師が声をかけても、うつむいたまま動かない。
そこから、ぽたり、ぽたりと水滴が落ちた。
「一緒にいるよ」と声をかけると、
右手で小さくグッドサインを出した。

さいわい、会社は有給を認めてくれた。
個室は断り、八人の子どもがいる大部屋で、
一日二百円の簡易ベッドを借りた。
息子のベッドに横づけして横になると、
床よりはまし、という硬さ。
つき添い食は、一食八百円。
会社のとなりの定食屋より高い。
病棟には「コンビニ自動販売機」なるものもあった。
この販売機、好きなものが選べない。
先頭にランダムに出てくる製品を買わされる。
それでも競争率が高く、
昼前には売り切れると看護師が笑った。

入院前に一度だけ外出が許され、
わたしはインスタント食品を買い込んだ。
カップラーメン、焼きそば、お米タイプ。
最近のインスタント食品は、
種類が多くて飽きなさそうだった。
退院後、二度と見たくないと思ったけれど。

カーテンに仕切られた一畳ほどの空間で、
長男とふたりきり。
こんなに長く向き合うのは久しぶりだった。
初日は慣れない空間に緊張しつつも、
突然の休暇を楽しんだ。
二日目には飽きた。
首を固定された息子はじっとテレビを見続け、
わたしは運動不足解消に、
息を殺して病室の床でバーピージャンプをして、
ただ時間が過ぎるのを待った。

四泊五日で退院できたとき、
ようやく息ができる気がした。
実家に預けていた次男が「もう帰ってきたの?」と、
そっけなく言い放つ。
その無邪気さに、ほっとした。

数か月後、今度は次男からの呼び出しがきた。

年末の納会。
関係会社も集まる大きなイベントの日だった。
会場準備の最終段取りをしていると、電話が鳴った。
「息子さん、のどに魚の骨が刺さってます」。
保健の先生の真剣な声に、一瞬耳を疑った。
魚の骨?
そんなことで?
「ご飯を丸めて飲み込ませてみては」と提案するも、
あっさり却下。
「今すぐ病院へ」。
納会をドタキャンし、小学校へ急行した。

次男の口を開けさせると、
上あごの奥にたしかに小骨が見えた。
「取ってあげる」と指を伸ばした瞬間、
「いやだっ!」と叫んで逃げる。
校内を逃げまわる息子。追う母。見守る先生方。
病院でも、展開は同じだった。
医師が「見えてるからすぐ終わるよ」と鉗子を出した瞬間、
次男は椅子からひらりと逃げた。
つかまっては逃げ、つかまっては逃げ。
外来が終わるころには、医師の笑顔が消えていた。
「今日はもう無理です。明日また来てください。
固形物は禁止です」。
もはや兵糧攻めである。
わたしは深々と頭を下げ、トボトボ帰宅した。

家でも次男は頑なに食べなかった。
「あんな鉗子を口に入れられるくらいなら、食べない」
と言い張る。
まあ次男の体格なら三日くらい平気か、と放っておいた。

翌日、また電話が鳴る。
「骨が取れるまで食べないようにと
言っていたのですが‥‥」
先生の声が申し訳なさそうだった。
給食のパンを盗って逃げ、
逃げながら飲み込んだ勢いで骨も一緒に流れたという。
なるほど、うちの次男らしい結末だと思った。

家では、けろりとテレビを見ている。
「あーそういえば魚の骨だけど、自然に取れちゃった」
と笑った。
その笑顔を見て、力が抜けた。

そんな大きな事件は年に一度、いや二度くらい。
小さなトラブルは日常茶飯事。
高いところから意味もなく飛び降りて足をひねり、
道端の石のオブジェを飛び越えようとして血だらけになる。
用事がある日にかぎって熱を出し、
隠れてアイスの箱を空にして腹痛で一晩中起こされる。

予定は崩れ、翻弄され、髪を振り乱して対応に追われる。
怒りとも哀しみともつかぬ感情に心を支配され、
数年分老けこんだような気がする。

それでも。
彼らがすやすやと眠る寝顔を見ると、つくづく思うのだ。
「今日も、元気に、生きててよかった」と。

生きててくれて、よかった。そんな夜ばかりである。

深夜、ごくわずかな平穏の時間。
マグカップのミルクティーを口に運ぶ。
アチッ。
ひとり苦笑いしながら、つぶやく。

3人で、生きててよかった。

イラスト:まりげ

2025-10-28-TUE

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