元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(12歳)と、
自由で食いしん坊な次男(8歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

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東武鉄道の夜

ふわりと鼻先をかすめるようにそれは通り過ぎた。
黄緑色に揺れる、小さな光。

ホタルだった。

ああ、これは小学生のとき見たのと同じ光だ。
レモンサワーを片手に、
デッキチェアで記憶がよみがえった。

日光のキャンプ場でホタルに「再会」できたのは、
わたしの謎の強運と長男のある言葉のおかげだった。

つい先日、ニンテンドーSwitch2の抽選に当たった。
220万人が参加した任天堂公式の第1回抽選。
自分の引きの強さは喜ばしかったが、
仕事に追われ、触れる時間などまったくなかった。
Switch2は箱に入ったままリビングの隅に放置された。
任天堂にも、落選したゲーマーたちにも、
申し訳ない気持ちだった。

「転売しちゃえば? 儲かるよ」。
周囲の人の声に長男は「みんな浅はかだね」と
少しあきれたように笑った。
「転売して数万円?
そんなお金、母さんならすぐ稼げるでしょ。
第1回抽選で勝ち取ったSwitch2を
持ってるってことが、価値なんだよ」。
長男は、いつも大切なことに気づかせてくれる。
転売ヤーに爪の垢を煎じて飲ませたい。

最近、わたしは少しずつ、
モノよりも経験にお金を使うようになっている。
生活必需品はだいたいそろい、
家の中にはもう十分すぎるほどのモノがある。

息子たちにも、オモチャなどではなく、
記憶に残るような時間をあたえてあげたい。

そんなことを考えていたとき、
東武鉄道の「おもてなしキャンプ」という企画を知った。
テントやタープ、道具一式はもちろん、
朝昼晩の食材、軽食、ジュース、夜はお酒も飲み放題。
さらに、運営スタッフが常にそばで見守ってくれる。
至れり尽くせりの内容だが、
参加できるのはわずか15組。
ダメ元で応募してみた。
すると、なんと、またもや見事に当選した。

シングル家庭にはキャンプはなかなかハードルが高い。

これまで2回、ゲーム仲間の声かけで
合同ファミリーキャンプに参加したことがある。
車も道具もないので、最寄り駅まで迎えに来てもらった。
不慣れで、現地に着いても、
設営をただ眺めているだけだった。
わたしがやったことといえば、
子どもたちの夜のトイレの付き添いくらいだった。

家族で、ちゃんとキャンプを経験してみたい。
今回の「おもてなしキャンプ」は、
道具や食材こそ用意されているものの、
基本的にはわが家だけの背水の陣だ。
乗り切れば、キャンパーへの一歩になるかもしれない。
日光・新高徳駅近くのキャンプ場は、
特急で乗り換えなし、駅からは徒歩2分で着く。
アクセスの良さも初挑戦にはちょうどよかった。

はずだったのだが。
出発前に息子たちが言った。
「浅草から乗ろう」。
東武特急の始発駅である浅草駅まで、
わざわざ戻って乗りたいという。
どうしても始発からの「体験」をしたいらしい。
でも、正直、面倒くさい。
交渉の結果、最寄り駅から、行きはリバティ、
帰りはスペーシアXに乗ると決着した。

小さな波乱を経て、キャンプ場に着いた。
すでにタープが張られ、
テーブルや椅子が並べられていた。
クーラーボックスには氷と冷たい飲み物。
受付でお土産の袋まで手渡された。
キャンプというよりホテルのようなおもてなしだ。

でも、ちゃんと「キャンプ体験」も用意されていた。

まずはテント設営。
説明を聞きながら布とポールを組み立てていく。
スタッフがいとも簡単に組み立てる横で、
初体験のわたしたちは四苦八苦していた。
長男が黙々とペグを打っている間に、
次男はいつの間にかトンボを追ってどこかに消えた。

炎天下のテント設営で体力の過半を使い切った後も、
薪割り、火起こし、竹ランタンづくり、
焼きマシュマロなどが途切れなく続いた。
息子たちはすっかり夢中になっていた。
わたしはタープのデッキチェアから見守っていた。

タープの陰にいても、うだるような暑さ。
疲れもあってぼんやりしていたとき、
ポーッという汽笛の音が遠くから聴こえてきた。
東武鉄道のSL大樹だ。
煙を吐きながら、目の前の鉄橋を通り過ぎていく。
残された白い煙は、やがて空に溶けていった。
自然と時間の流れが溶け合う、
穏やかなひとときだった。

キャンプ場のスタッフが話してくれた。

「キャンプって、
大人になって初挑戦する人は少ないんです。
子どものうちに経験しておくことで、
自然に向き合う気持ちが育つんですよ」。

その言葉が、じんわりと胸に残った。
体験は、その場限りのものではなく、
時間を経て、心に響くものなのだ。
大人になって、ふと思い出して、
「また行ってみたい」と感じる。
そうやって何かが心に根づいていく。
そんな経験こそが、
子どもにとっても、わたしにとっても、
いちばんの「価値」なのかもしれない。

夜の食事の時間。
準備されたレシピは、
日光の食材をふんだんに使った
「オレンジパエリア」と「アヒージョ」だった。
息子たちは複雑な表情を見せた。
「美味しいよ、冗談とオレンジ抜きで、美味しい」
と、すこしホンネまじりで長男が言った。
息子たちは、料理に使う予定の食材を
炭火の素焼きで食べはじめた。
キャンプ飯に、凝った工夫は要らないのかもしれない。

食後、子どもたちは
運営スタッフと一緒に「星空観察体験」へ。
わたしは椅子にもたれて夜空を見上げていた。

そのときだった。
鼻先をかすめてホタルが通り過ぎたのは。

そうだ。
わたし自身、子どもの頃に何度か
キャンプに行ったことがあった。
何十年もの時を経て、今、同じ輝きに出会ったのだ。

きっといつか、
子どもたちにもわかる日が来るだろう。
このキャンプで過ごした家族の時間が、
かけがえのない経験なのだと。

じっとりとした湿度と、
ランタンのやさしいオレンジの光のなかで、
ぬるいレモンサワーが五臓六腑にしみわたった。

さあ、帰ったら、Switch2を開封して、
「経験」に変えねば。

イラスト:まりげ

2025-07-28-MON

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