こんにちは、ほぼ日の奥野です。
昭和の東京喜劇で大爆笑を取り続けた俳優・
三木のり平さんを知る旅に出ます。
数多くの喜劇役者や舞台人に影響を与えた
「三木のり平さん」については、
世代的に「桃屋のCM」しか知りません。
もちろん、それだって大名作なのですが、
のり平さんが役者人生を賭けた
「生の舞台」については、
現在から遡って見ることは、むずかしい。
そこで、生前ののり平さんを知る人や、
のり平さんをリスペクトしている人たちに、
「のり平さんって、
いったい、どんな人だったんですか?」
と聞いてまわることにしたのです。
のり平さんの孫・田沼遊歩さんも一緒です。
第1弾は、高田文夫先生です。
のんびりじっくり、お付き合いください。
第4回
わざと憎まれ口を叩いたり
- ──
- 四谷のスナックで飲み友だちになって、
仲良くなって‥‥。
- 高田
- スナックちょんぼって、荒木町のね。
- 遊歩
- いまでもありますよね。
- ──
- 田沼さんにとってののり平さんって、
どんなおじいちゃんだったんですか。
- 遊歩
- 家族としては、気難しくて怖い人。
- わざと憎まれ口を叩くみたいなところも
ありましたし。
- 高田
- 自分のおじいちゃんが三木のり平だって
気がついたのは、いつごろなの。
- 遊歩
- 物心ついたときから気づいてはいました。
一緒に住んでましたから。
- 高田
- あ、そうなんだ。
- たしか地下に稽古場があるところだろ。
俺、行ったことあるよ。
- 遊歩
- その地下に住んでいたこともあります。
- 高田
- モグラだよ、それじゃ。
- 遊歩
- 父ののり一はほとんど家にいない人で。
- 高田
- 火宅の人だからね。
- 遊歩
- 母とぼくの母子家庭、みたいな感じでした。
- 高田
- で、目の前には、のり平さんがいるわけだ。
とんでもねぇな。
- 遊歩
- ちっちゃいころは相当かわいがられました。
おじいちゃんには。
- 高田
- そりゃそうだよ。初孫だったら尚更。
- 遊歩
- ぼくをおんぶして四つん這いになっている
三木のり平の写真もあります(笑)。
- 高田
- いいねえ。
- 遊歩
- でも、ぼくが小学生に上がったくらいから、
どういうわけだか、
憎まれ口しか叩かない人になったんです。
- 高田
- 口を開けばね。わざとなんだろうけどね。
- 遊歩
- そうなんです。家にいるときは、
だいたいリビングでずっとテレビをつけて、
お酒を飲みながら、
テレビにいろいろ文句つけてました。 - ただ、おばあちゃんはすごく社交的でした。
みんなに愛される人だったので、
クッションになってくれたのを覚えてます。
三木のり平のキツさが
子どものぼくに「直撃」しないように。
- 高田
- そうそう。キツいんだよ、まわりに対して。
言わなくていい嫌味を言ったりね。
- 遊歩
- たぶんそのせいで、
父はほとんど家に寄りつかなかったんです。
「おい、のり一は何をやってるんだ」
って、のり平がぼくに聞いてくるんですよ。 - でも、そんなのわからないじゃないですか。
- 高田
- たしかに、ハッキリ言う人だったもんなあ。
- 俺とふたりで飲んでてもさ、
「俺はね、談志とたけしが嫌いなんだよ」
って、いきなりこうくる。
俺が談志とたけしと仲がいいのを知ってて、
わざと言ってるんだよ。
やめてください、勘弁してくださいよって。
- ──
- ひえ〜っ(笑)。
- 高田
- で、そのうちに
「あいつはダメだな」って小言がはじまる。 - あるとき「何がダメですか?」と聞いたら、
「今日は調子が悪いとかなんとか、
芸に言いわけするだろ」って。
「で、俺が好きなのは、志ん朝と高田くん。
言いわけをいっさいしない。
おもしろいこと言ってパッと帰るだろ」と。
- ──
- そういう芸、そういう人がお好き。
- 高田
- パッと出て、見せて、はける。
これが江戸の芸なんだ‥‥と。 - 志ん朝と高田はそのへんがわかってるけど、
こんど会ったら言っといてくれよ、
芸で言いわけするのはよくないよ‥‥って。
- ──
- 高田先生には、憎まれ口とか‥‥。
- 高田
- 言わなかったなあ、俺には。
- ちょんぼで飲んでると、
「マスター、五木ひろし全集出してよ」
「どっちが歌えるか勝負しよう」って。
五木ひろしなら、
俺もレコードA面の有名な曲だったら
だいたい歌えるんだけど、
先生はぜんぶB面、
ぜんぜん知らない曲ばっかり歌うんだ。
- ──
- 五木ひろしさん。
- 高田
- そう。
- 「なんでそんな歌を知ってるんですか」
って聞いたら、
先生、五木ひろしの歌謡ショーの中の
お芝居の演出もしてたんだよな、晩年。
だから、五木ひろしをぜんぶ知ってて
ぜんぶ歌えるんだ。
歌い終えるのに一晩中、かかるんだよ。
- ──
- 朝まで五木ひろし!
高田先生のこと、大好きだったんですねえ。
- 高田
- そうみたい。
- ──
- 最晩年の2年、のり平さんからしてみたら、
お酒を飲んで仲良くしゃべれる、
数少ないお友だちだったってことですよね。
- 高田
- のり平さん、最後は俳優座で
『山猫理髪店』ってお芝居をやってたんだ。
舞台の打ち上げで
居酒屋で飲んでるって聞いたから行って、
「のり平さん、いる?」って声をかけたら、
まだ上で仕事をしてたんだよ。 - そのうち降りてきてひとりで座ってるんで、
テーブルの下へ潜って
のり平さんの席のところまで這ってってさ、
のり平さんの横にパッと顔を出したんだよ。
「先生、何やってるんですか?」って。
- ──
- わはは、はい(笑)。
- 高田
- そしたら「おおー!」ってびっくりしてさ。
「何をしてるんだ、おまえは!」って。
「お芝居なんかやってるんですか、今さら」
「言っとくぞ、
おまえごときが観てわかる芝居じゃない!」 - そういうことを言うんだ。おもしろいだろ。
- ──
- いやいや、三木のり平を驚かす‥‥なんて、
そんなことする人、
先生の他にいなかったんじゃないんですか。
- 高田
- そのときも同じこと言われたよ。
先生「うわっ!」て、本当に驚いてたもの。 - ざまあみろと思ってさ(笑)。
- 遊歩
- うちのおじいさんが驚いているところとか、
見たことないです。
- 高田
- ま、そうだろうね。感情を出さないもんな。
- だけど、なぜか俺には、
そういうおもしろいことを言ってくれた。
「キミごときにわかる芝居じゃない、
来なくていい」って(笑)。
そのときの言い方がおもしろいんだよな。
- ──
- うれしかったんでしょうね。きっと。
- 高田
- たぶんね。だーれもかまってくれないから。
人間、偉くなりすぎちゃうとね。
(つづきます)
撮影:福冨ちはる
2025-06-13-FRI
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何はなくとも三木のり平
俳優‥‥といってしまうだけでは到底、
その多才ぶりを表現できない
故・小林のり一さんが、
実の父であり、
戦後東京喜劇の大スターでもあった
「三木のり平」について、
膨大な資料や証言を
縦横無尽に駆使してつくりあげた、
三木のり平さん本の決定版にして
金字塔ともいうべき作品。
作家・映画評論家の戸田学さんによる
丁寧な編集の手さばきによって、
実父に関する博覧強記と深い思いとが、
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