こんにちは、ほぼ日の奥野です。
昭和の東京喜劇で大爆笑を取り続けた俳優・
三木のり平さんを知る旅に出ます。
数多くの喜劇役者や舞台人に影響を与えた
「三木のり平さん」については、
世代的に「桃屋のCM」しか知りません。
もちろん、それだって大名作なのですが、
のり平さんが役者人生を賭けた
「生の舞台」については、
現在から遡って見ることは、むずかしい。
そこで、生前ののり平さんを知る人や、
のり平さんをリスペクトしている人たちに、
「のり平さんって、
いったい、どんな人だったんですか?」
と聞いてまわることにしたのです。
のり平さんの孫・田沼遊歩さんも一緒です。
第1弾は、高田文夫先生です。
のんびりじっくり、お付き合いください。
第3回
その寂しさとカッコよさ
- ──
- 先生は、ようするに
テレビの演芸番組で育ったお子さんだった、
というわけですね。
- 高田
- 俺、渋谷・富ヶ谷の子なんだけど、
少年野球のチームに入って野球もやってた。
昔、代々木公園にあった
「ワシントンハイツ」っていうところには、
アメリカ人の家族が住んでいたんだ。
在日米軍施設だよね。
網の向こうのアメリカって言ってさ、
いつも眺めてた。
で、そこに住んでいたのがジャニー喜多川。 - ジャニーさんが
町内会の少年たちを集めてつくったのが
「ジャニーズ」って野球チーム。
俺のいたシャークスも対戦したんだけど、
一回も勝てなかったよ。
- ──
- 強かったんですね、ジャニーズ。
- 高田
- 強いんだよ。
男前だし、かわいいし、野球が上手い。 - こっちは何もいいとこないんだよ。
- ──
- そんなことないでしょう(笑)。
- 高田
- あっちにはあおい輝彦とか飯野おさみとか、
後に初代ジャニーズになるやつらがいて。 - で、ここが昭和史のおもしろさで、
俺たちには花形敬がノックしてくれたんだ。
安藤組の大幹部によるヤクザノックだよ。
「負けんなよお前ら、ジャニーズになんか」
「はい、わかりました!」
なんて言ってたんだけど、全敗。
- ──
- おお(笑)。
- 高田
- あるとき、集合したら雨が降ってるんだよ。
そこでジャニーさんが、
「You、今日は雨だから中止にしよう」
なんて言って、
ジャニーズの面々を連れて見に行ったのが、
当時日本に来ていた
『ウェスト・サイド・ストーリー』なんだ。 - それは日本人がはじめて見るミュージカルで、
みんな、
歌って躍ってなんて映画を見たことなかった。
それを見たジャニーさんが、
「野球なんかやってる場合じゃない!」って。
- ──
- そうやって誕生したのが、
最初の初代のジャニーズってことなんですね。
- 高田
- 1年後にはテレビで歌って躍ってたよ。
- 一方で俺は、
友だちを3人誘って『社長漫遊記』だからね。
「おい、のり平、行こうぜ」
「森繁とのり平はカッコいいよなあ」なんて。
のり平さんに夢中になっちゃった。
あそこで、人生わかれちゃった。分岐点だね。
- ──
- でも、高田先生も、
幼少期の写真を見るとすごい美少年でしたよ。 - よくスカウトされませんでしたね。
- 高田
- 俺は美少年だったよ! でも踊りがダメでね。
- あのときジャニーさんに「ヘイ、You」って
誘われなかったから、
人生のり平のほうに行っちゃったんだよなあ。
- ──
- でも、そのおかげで、世の中に
いろんなおもしろいものが生まれましたね。
- 高田
- 高校を出たら大学へ行こうと思ってたけど、
当時のテレビで活躍してた若手って、
大橋巨泉、青島幸男、永六輔、野末陣平、
みんな早稲田なんだよ。でも、
俺には早稲田へ行くアタマがなかった。 - それで日芸に入ったんだよ。
- 遊歩
- おじいさんも通っていた、日大の芸術学部。
- 高田
- そんな俺にあこがれて入ってきたのが、
クドカンとか、爆笑問題の太田(光)とか。
- ──
- 道を開いたわけですね、ある意味。
- 高田
- のり平先生がいてくれたからなんだよ。
- ──
- 高田先生は日芸を出たらすぐ
テレビの世界へお入りになっていますけど、
のり平さんとは、
その当時は、会う機会はなかったんですか。
- 高田
- ない、ない。ただ見てるだけ。
- 畏れ多くてさ、そばへなんか近づけないよ。
気難しそうに見えたし、怖かった。
- 遊歩
- ぼくら家族にしても、おっかない人でした。
- 高田
- あ、そうでしょ。のり一もよく、
「お父さん、怖いから」って言ってたしね。
- ──
- どんなふうに親しくなっていったんですか。
- 高田
- のり平さんの晩年の2年くらいなんだけど、
四谷あたりを車で通ったとき、
のり平さんが
コンビニで弁当を買ってる姿が見えたんだ。
「あらっ」と思って。 - 奥さんを先に亡くしちゃって、
のり一は間抜けだから家を出っちゃったし、
のり平先生はひとりで暮らしてた。
あんだけの偉い人がだよ、
ひとりでコンビニで弁当を買ってるんだよ。
いまはみんなふつうに買うだろうけど、
あの時代にさ、時代の巨匠がだよ。弁当を。
- ──
- なるほど。
- 高田
- 俺、それを見たときに悲しくなっちゃって。
ずーっと好きだったからさ。
何とかなんないかなあと思ってたら、
よく行く荒木町のスナックのマスターが、
「のり平さんのこと好きなんだよね」
「ときどき来るんだよ」って教えてくれて。 - で、俺のほうの噂も、
のり平さんのところへ届いてたらしいんだ。
- ──
- それで、
あこがれののり平さんと飲み友だちに‥‥!
- 高田
- うん。俺がそのスナックで飲んでるときに、
ビーッて鳴るんだ。店の電話が。
受話器の向こうで「高田くんいる?」って、
のり平先生なんだよ。 - 照れ屋だからさ、「まだいるの?」
「いま『北野ファンクラブ』を見てるんだ」
「終わったら行くから」って。
たけしと俺の
深夜のくだらない番組を見てから来るんだ。
しばらくして、先生が来ると、
マスターがカチャッと店のトビラを閉めて、
ふたりだけにしてくれる。
「高田くんだけだよ、話ができるの」
「のり一も話してくれないからさ」なんて。
寂しかったんだと思うよ。
俺が先生のこと好きだってわかってるから、
たくさん、しゃべってくれるんだ。
- 遊歩
- たとえば、どんな話をしたんですか。
- 高田
- 「高田くんも大変だろう、
たけしをおもしろく見せるのは」(笑)。
「番組、毎週見てるけど、
あの気難しいタケちゃんを
おもしろく見せるのは、キミの腕だなあ」
とかね。 - 「俺は森繁さんとやってるから、わかる。
ご機嫌とっておもしろく見せなきゃなんない。
そこは俺の腕なんだ。
高田くんのやってる仕事は俺と同じだ」って。
そういうことをズバッと言う人だった。
とにかく奥深いんだよな、話が。いちいち。
- ──
- おお‥‥。
- 高田
- で、俺もわざと酒に酔っ払ったふりをしてさ、
「のり平先生と森繁さん、
どっちが上手いんですか」って、
いちばん聞いちゃいけないことを聞いたりね。 - 「バカ野郎、そんなことを聞くんじゃないよ」
なんて。つまり、一緒にするなと。
それくらい自分の芸に誇りを持ってたんだよ。
- ──
- しびれるエピソードです。
- 高田
- のり平さんが出ている「社長シリーズ」で、
宴会の場面があるじゃん。
森繁さんが
ドジョウすくいとかいろいろやるんだけど、
あれも当日現場で、
のり平先生がアドリブで教えてるんだよね。 - 宴会のシーンなんか何十もあると思うけど、
ぜんぶ、のり平さんがつくってる。
芸の引き出しがね、すごいのよ。
もう、いろんな種類のネタを持ってるんだ。
カッコいいよな。
- ──
- カッコいいです。
- 高田
- のり平さんがぜーんぶ教えるんだ。森繁に。
カッコいいんだよ。
(つづきます)
撮影:福冨ちはる
2025-06-12-THU
-
何はなくとも三木のり平
俳優‥‥といってしまうだけでは到底、
その多才ぶりを表現できない
故・小林のり一さんが、
実の父であり、
戦後東京喜劇の大スターでもあった
「三木のり平」について、
膨大な資料や証言を
縦横無尽に駆使してつくりあげた、
三木のり平さん本の決定版にして
金字塔ともいうべき作品。
作家・映画評論家の戸田学さんによる
丁寧な編集の手さばきによって、
実父に関する博覧強記と深い思いとが、
みごとに編まれています。
Amazonでのお求めは、こちら。
