こんにちは、ほぼ日の奥野です。
昭和の東京喜劇で大爆笑を取り続けた俳優・
三木のり平さんを知る旅に出ます。
数多くの喜劇役者や舞台人に影響を与えた
「三木のり平さん」については、
世代的に「桃屋のCM」しか知りません。
もちろん、それだって大名作なのですが、
のり平さんが役者人生を賭けた
「生の舞台」については、
現在から遡って見ることは、むずかしい。
そこで、生前ののり平さんを知る人や、
のり平さんをリスペクトしている人たちに、
「のり平さんって、
いったい、どんな人だったんですか?」
と聞いてまわることにしたのです。
のり平さんの孫・田沼遊歩さんも一緒です。
第1弾は、高田文夫先生です。
のんびりじっくり、お付き合いください。
第2回
映画じゃ何にも伝わんない
- ──
- 自分は『雲の上団五郎一座』については、
映画になったものを観てるんですが‥‥。
- 高田
- あれは、つまんない。
- ──
- あ、そうですか。つまんない。
何がちがうんでしょうか。
- 高田
- 映画は、そのつど止めてやってるでしょ。
スタジオで撮り直してるよね。
あれじゃ、生の舞台のおもしろさなんか
100分の1も伝わんねぇよな。
あれが残ってること自体情けないんだよ。 - やっぱり、生中継の舞台の上の
のり平・八波の呼吸がすごかったから。
年の暮れと正月の風物詩みたいにして、
2、3年やってたんだ。
- ──
- 夢中になっちゃったんですね。
- 高田
- エノケンさんが頭で、菊田一夫がいてね。
東京の喜劇人を一堂に集めて。 - 劇団の話で、劇中劇の中で
いろいろと出し物をやっていくんだけど。
- ──
- 有名な劇作家ですね、菊田一夫さん。
のり平さん関連の資料では、
しょっちゅうお名前を拝見します。 - 舞台の映像って残ってないんですか。
- 高田
- ないね。音だけは、俺、昔、持ってたの。
どっか行っちゃったけど。 - それを聞くと、
観客の「わーっ、わーっ」って笑い声で
セリフが聞き取れない。
それくらい、すごかったんだよ。
- 遊歩
- ビートルズのコンサートみたいな。
- 高田
- そうそう。あれも俺、見に行ってるけど、
本当にあんな感じだね。 - セリフはぜんぜん聞こえないのに、
めちゃくちゃウケてるのだけは、わかる。
- ──
- そんなにすごかったんですか‥‥!
観てみたいなあ。
- 高田
- 兄貴分が八波むと志、子分がのり平でね。
兄貴が子分に
お富さんからお金をゆする方法を教える、
って芝居なんだけど、
のり平の右手と右足が同時に出ちゃうの。 - 胡座をかこうと思ったら
後ろへ「どーん!」とひっくり返ったり、
死ぬほどおもしろいんだ。
さっきも言ったけど、
のり平さんがみごとな動きをするんだよ。
- 遊歩
- キレがいいんですよね。
- 高田
- 惚れ惚れする。おかしいんだ、ほんとに。
でも、舞台を見なきゃ伝わらない。
俺や高平(哲郎)なんかが
こうやってしゃべたって、伝わらないよ。 - 映画は記録用として撮ったんだろうけど、
雰囲気もおかしさも間も、別物。
むしろあんなの残してほしくなかったね。
- ──
- そこまでちがうんですね。
- 高田
- 人生でいちばん笑ったからね、あの舞台。
俺の中では、コンビのベスト3で言えば
三木のり平と八波むと志、
コント55号、
で、タケちゃんマンとブラックデビル。 - この順番だね。
- ──
- 高田先生は、その後ものり平さんの舞台、
ずっと観てこられたんですか。
- 高田
- ぽつん、ぽつんとね。
あと、テレビ中継がたまにあったんだよ。
- ──
- のり平さんの間だとか動きっていうのは、
そんなにおかしいものなんですか。
- 高田
- 八波むと志って抜群の人を見つけてきて、
ツッコませるんだよ、ガンガン。
俺の中で「ツッコミ」は、
八波むと志がいまだにいちばん。
欽ちゃん、たけしより、上手いと思うね。 - 37で死んじゃったけど。
- ──
- 交通事故ですよね。
- 高田
- ミュージカル『マイ・フェア・レディ』に
大抜擢されて、
それが当たり役で、その矢先‥‥だからね。
- 遊歩
- その事故の日、うちのおじいさんと一緒に
飲みに行くはずだったそうです。 - でも、理由はわからないけど、
おじいさんは行きたくないって言って‥‥。
- 高田
- 正月にね、名古屋からファンが来たんだよ。
八波さんは人がいいから
「送るよ」とか言って、
車に乗っけて、ぶつかって、
そのまんま若くして死んじゃったんだよな。 - 和製ジェームズ・ディーンだよ。
- 遊歩
- 父ののり一は、まだちっちゃいころ、
八波さんが亡くなる年に、
お年玉をもらったって言ってました。
- 高田
- ああ、その年にね。いいねえ。
八波むと志にお年玉をもらったとか、
うらやましいよな。
テレビで観て、憧れてただけだから。俺は。 - 八波むと志は、
すでに「脱線トリオ」で売れてたんだけど、
そこから宝塚(東京宝塚劇場)に呼ばれて、
『雲の上団五郎一座』の芝居の一幕、
玄冶店のお富さんを
のり平さんとのコンビでやったコントが、
日本の演芸史上、最強。
あれを超えるコントは、いまだにないから。
- ──
- 高田先生は、
八波さんにはお会いしてないんですよね。
- 高田
- 由利徹にはいやってほど会ったけどね。
- ──
- あ、そうですか(笑)。
- 高田
- それと、八波むと志さんの奥さんとも、
若いころに対談してるけど。
いろんな未亡人ばっかりと対談してて、
そのシリーズでね。
俺が八波さんを好きなこと知ってたから、
いっぱいしゃべってくれたよ。
- 遊歩
- 壮絶な人生だったみたいですね。
親戚の家をたらい回しにされたりとか。
- 高田
- ああ、幼少期な。
顔が怖いし、人を寄りつかせないよな。 - 小気味よくツッコんでくのが痛快でさ。
ツッコミに関しては、
八波むと志が教えてくれたと思ってる。
その横で、
のり平先生が自由自在に動いてるんだ。
スパンスパンとものを言うから、
てっきり江戸の人かと思っていたけど、
徳之島の人なんだよ、八波さんって。
のり平さんに、鍛えられたんだろうね。
- ──
- 浅草のフランス座にいたんですよね。
もともとは。
- 高田
- そうそう、初代の座長だよ。
- 遊歩
- たけしさんの先輩ってことですよね。
ようするに。
- 高田
- 3代目座長が渥美(清)さんでしょ。
他にも
東(八郎)さんなんかがいてね。 - ま、それぞれ違う時代の話だけどね。
越路吹雪さんと
(つづきます)
撮影:福冨ちはる
2025-06-11-WED
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何はなくとも三木のり平
俳優‥‥といってしまうだけでは到底、
その多才ぶりを表現できない
故・小林のり一さんが、
実の父であり、
戦後東京喜劇の大スターでもあった
「三木のり平」について、
膨大な資料や証言を
縦横無尽に駆使してつくりあげた、
三木のり平さん本の決定版にして
金字塔ともいうべき作品。
作家・映画評論家の戸田学さんによる
丁寧な編集の手さばきによって、
実父に関する博覧強記と深い思いとが、
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