こんにちは、ほぼ日の奥野です。
昭和の東京喜劇で大爆笑を取り続けた俳優・
三木のり平さんを知る旅に出ます。
数多くの喜劇役者や舞台人に影響を与えた
「三木のり平さん」については、
世代的に「桃屋のCM」しか知りません。
もちろん、それだって大名作なのですが、
のり平さんが役者人生を賭けた
「生の舞台」については、
現在から遡って見ることは、むずかしい。
そこで、生前ののり平さんを知る人や、
のり平さんをリスペクトしている人たちに、
「のり平さんって、
いったい、どんな人だったんですか?」
と聞いてまわることにしたのです。
のり平さんの孫・田沼遊歩さんも一緒です。
第1弾は、高田文夫先生です。
のんびりじっくり、お付き合いください。

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第1回


のり平・八波のコンビが最強

──
すみません、放送のあとのお疲れのところ。
高田
いいえ。ほぼ日、あんまり見てないけど、
仲間から聞いてるよ。
すごい充実してるんでしょ、記事が。
──
ひとつも消してないんです、27年間。
以前、高田先生に出ていただいたページも、
まだ閲覧可能で残ってます。
高田
いろいろ聞いて、知ってはいるんだよ。
見てないけど。
たくさん人を取り上げてるんだろ。
──
今日は高田先生に、
三木のり平さんについてお聞きできたらと。
高田
はいはい。で、きみが、(小林)のり一の。
遊歩
はい、田沼遊歩です。父の葬式のときに
高田さんにご挨拶させていただきました。
高田
覚えてねぇよ、いちいち‥‥(笑)。
つまり、のり一の息子で、のり平の孫だ。
すごいねえ。
やっぱり、似てるよ。おじいちゃんに。
遊歩
あ、本当ですか。ありがとうございます。
高田
のり一の子どもって、ひとりだけ?
遊歩
そうです。
隠し子がいなければの話ですけど(笑)。
高田
いそうだけどな(笑)。
つまり、初代の奥さんの子ってことだね。
遊歩
そうです。初代って。
歌舞伎役者じゃないんですから(笑)。
──
のり平さんと、のり一さんと、
どっちに似てると思いますか。
高田
どっちにも似てる。
──
遊歩さんって、顔に存在感がありますよね。
はじめて会ったとき、
俳優さんかなと思ったくらいなんですけど、
そのへんに「血」を感じます。
高田
うん。カッコイイよ、イマ風でね。
何だかちょっと、アーティストっぽいよな。
おいくつ?
遊歩
48になります。

高田
いい歳じゃねえか。
へえ、みんないろいろタイヘンだね。
で、どういうかたちで、
ほぼ日で三木のり平さんの特集をやるわけ。
──
はい、旧知の遊歩さんのおじいさんであり、
インタビューさせていただいたこともある
小林のり一さんのお父さんの
三木のり平さんのことを、
ぼく自身は、ほとんど存じ上げないんです。
そこで、
三木のり平に逢いに行く‥‥という感じで、
生前親交の会った方や
リスペクトなさっているみなさんに、
のり平さんってどういう人だったんですか、
と聞いてまわろうと思っています。
自分も48なんですけど、
ぼくらの世代って、
のり平さんというと、桃屋のCMなんです。
高田
そうだよね。
──
逆に言うとそれ以外の活動を存じ上げない。
とくに、のり平さん関係の資料を読むと、
自分の主戦場は「舞台だ」って、
いつも、おっしゃってるじゃないですか。
高田
そうだね。
──
高田先生との対談で、
のり平さん、
ご自身のご出演なさった映画について‥‥。
高田
ウンコみたいなもんだって言ってたよ。
──
ですよね(笑)。
高田
自分の出てる映画なんてウンコだ、
見やしねえよ‥‥なんて。
一回やったら忘れちゃうんだって。
一緒だよな、俺たちの放送と。
──
それだけ生の舞台を大切にしていたんだと
思うんですが、
現代からさかのぼって
動く三木のり平さんを見ようと思ったら、
映画しかないんです。
遊歩さんはもちろん、生の舞台をはじめ、
いろいろ見てらっしゃると思いますが。
高田
じゃあ、つまりキミは、
ずっとウンコだけ見てきたってことだな。
三木のり平の。
──
そうなんでしょうか(笑)。
ともあれ、映画以外の部分の、
とくに高田先生とお酒を飲んでいたときの
のり平さんとの思い出話なんかも
お聞きできたらいいねって、
遊歩さんと話しながら来たんです。
高田
俺が舞台見に行くって言うと怒ってたよ。
これは新劇だから難しいんだ、
来るんじゃない、
キミごときにわかる芝居じゃないぞって。
──
高田先生の本には、
47歳のときに
はじめてのり平さんに会ったとあります。
高田
晩年だね。
俺、本当に子どものころから大好きでさ。
のり平さんのこと。
小学校の4年、5年のとき、
『雲の上団五郎一座』って舞台があって、
本当に衝撃的だったんだ。
──
はい。八波むと志さんとのコンビで。
高田
そう。玄冶店(げんやだな)って
歌舞伎の「お富さん」の話なんだけど、
「粋な黒塀、見越しの松に」
っていう
春日八郎の歌が大ヒットしてるでしょ。
三木のり平が与三郎、
八波むと志が
蝙蝠安(こうもりやす)で出てくる。
俺、このコントをテレビで見て、
本当に死ぬかと思ったの。笑い死に。
──
そんなに、ですか。
高田
たぶん舞台の生中継だったんだと思う。
暮れにテレビでやって、
正月もまたやったんだ。
あんな衝撃的な舞台を立て続けに見て、
世の中に、
こんなおもしろいものはないと思った。
──
とくに、どういうところが‥‥。
高田
きれいなんだ、身体の芸、身体の技が。
のり平さんの。
くにゃっと曲がったり、
くるっと起きたりして。
何しろ笑いの運動神経がすごいんだよ。
子どもごころに、ドカーンときたんだ。
三木のり平、八波むと志のコンビが
俺の中では、いまだに「最強」だよね。
──
最強。
高田
コント55号とか、
タケちゃんマンとブラックデビルとか、
これまで、
いろんなコンビがいたけど、
俺の中では三木のり平と八波むと志が、
最強。

(つづきます)

撮影:福冨ちはる

2025-06-10-TUE

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  • 何はなくとも三木のり平

    俳優‥‥といってしまうだけでは到底、
    その多才ぶりを表現できない
    故・小林のり一さんが、
    実の父であり、
    戦後東京喜劇の大スターでもあった
    「三木のり平」について、
    膨大な資料や証言を
    縦横無尽に駆使してつくりあげた、
    三木のり平さん本の決定版にして
    金字塔ともいうべき作品。
    作家・映画評論家の戸田学さんによる
    丁寧な編集の手さばきによって、
    実父に関する博覧強記と深い思いとが、
    みごとに編まれています。
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