100歳まで元気に生きられるなら、
100歳まで働いていたいと思っていました。
わたしの周りの働いている先輩たちが、
かっこよかったからです。
でも益田由美さんに出会って、
その考えは揺らいでいます。
定年後の充実した日々も、
自分次第でたぐりよせられるようです。
日々たのしそうな益田さんにお話を伺いました。
担当は、ほぼ日の下尾(しもー)です。

>益田由美さんプロフィール

益田由美(ますだ ゆみ)

1955年2月11日生まれ。1981年から15年も続いた国民的人気番組「なるほど!ザ・ワールド」のリポーターとして6年半、世界を飛び回り、その体を張ったリポートで人気を博した。民放の女性アナウンサーとして定年まで勤め上げるのは非常に珍しく、フジテレビでは女性アナウンサーの定年退職者第一号。約40年にわたって現場にこだわり続けた。現在、経験と知識を活かして様々な分野で活躍中。

HP:https://www.firstagent.jp/masuda-yumi/
Instagram:https://www.instagram.com/yumi__masuda/

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第2回 人生を変えた番組

──
『なるほど!ザ・ワールド』の話を
もう少し伺ってもいいですか?
益田
ええ、もちろん。
よく驚かれるのは、私、台本がなかったんです。
──
一度もですか?
益田
最初あったかもしれないですが、記憶にない。
というのも、私は、
問題と答えを知っていると演技ができないので、
わざとらしくなっちゃうんだそうです。
『1カ月トルコ3000キロの旅』だったとしたら、
海岸地帯はすごく暑いから
短パンとTシャツでいいよとか、
内陸部は雪が降って寒いから
セーターにダウンが必要ですとか、
足場の悪いとこにも行くから
バッシュ(バスケットシューズ)を持ってきてとか、
事前に伝えられるのは、そのくらいでした。
スタイリストさんが付くような時代ではなかったので、
何もかも自分で準備しなければなりませんでした。
気候だけ教えてくれて、
あとは調べるなと言われました。
調べようにも、情報のない時代でしたけれど、
ロケ現場に到着して、
スタッフが打ち合わせをしているときは、
ロケバスや、離れたところで待機していました。
絶対に、問題と答えを見たり聞いたりしないように。
現場には、目をつぶって
手を引かれながら連れて行ってもらいました。
本番まで、目隠しをされていることも多かったです。
──
もはや、芸人さんのようですね。
益田
そう、当時、私のことを
吉本の芸人さんだって思っている方も、
ずいぶんいらっしゃったんですよ(笑)。
ロケの進め方は、例えば、トルコ。
内陸部の首都アンカラの近くに湯治場があって、
そのひとつの露天風呂まで目隠しで連れていかれます。
「いいよ」と言われて目を開けると、
足元には露天風呂。
露天風呂の内側には岩が巡らせてあり、
ちょっと湯気が立ちのぼるような状況でした。
そこで初めて、ディレクターから口伝えで、
問題を教えてもらうんです。
「それでは、ここで問題です。
この露天風呂に入ると、あることが起こります。
いったいそれはどんなことでしょうか。」
そのあと、チラチラと雪が降っている中、
水着で答えの部分の撮影です。
「それでは正解です。入ってみましょう」と言って、
露天風呂に入ります。もちろん答えは知りません。
足を一歩入れた途端に、岩陰から私の足めがけて、
何百匹もの魚が突進してくるんです。
みなさんご存じのドクターフィッシュです。
でも40年前に知っている日本人なんていない。
私も、もちろん知らない。
知らないから、びっくりして、ひるみますよね。
すると、カメラの横でディレクターが
「肩まで入って」と小さな声で言うんです。
そのひるんだところも全部カメラは回っています。
それはある意味ライブだし、
ドキュメンタリーだし、嘘がないわけ。

──
聞いているだけで、ドキドキしますね。
益田
肩まで温泉につかると、
全身を何百匹もの魚たちが、
ツンツンツンツンツンツンつついてくる。
そこでディレクターが、
「人間の角質をつついて取ってくれる魚が現れる」
と答えを教えてくれるので、
自分の言葉にして伝えるわけです。
すると今度は「歯槽膿漏」という声が。
「そうか、そうか」と思って、
ブクブクっと潜って水中で舌を出して。
舌を出しつつ、ビローンと唇をめくると、
歯茎と舌にその魚が群がる。
温泉から顔を出して
「というわけで歯槽膿漏にも効くそうです」。
そうするとまたディレクターが
「水虫」とささやくので、
カメラのほうにスーッと足を持っていく。
私の足の動きと共に、
何百匹も群がっている魚たちが一斉に動く。
そのライブを撮ってくれる。
ディレクターの一言を聞いて、
いま何を言うべきか、何をやるべきかを
瞬時に判断して、どんどんリポートしていきます。
私の第一印象とか素のリアクションとか
そういうものをスタッフは、
ものすごく大切にしてくれて。
ですから、私はお茶の間で、ご覧いただいている
視聴者のみなさんと同じような立場で、
その現場に行って
リポートすることができたのだと思います。
──
よく、躊躇しなかったですね。
益田
躊躇はしなかったです。
私は本来怖がりのビビリなんですが、
カメラが回ると不思議と何でもできてしまうんです。
みなさんに、少しでも多くの情報を伝えたい一心でした。
自分の気持ちとしては
「100%じゃなくて、120%お伝えしたい」
そのために何ができるかをいつも考えていました。
私みたいに話が下手な人間でも、
よどみなく言葉が出てこなくても、
例えば目の動きひとつだったり、
息使いだったりね、
あまりに驚いて口をポカンと開けて
何も言葉が発せられなかったとしても、
それも情報なわけです。
身振り手振りや、自分の全身も使ってお伝えする。
それは私が話が下手だからこそ、
自分で見つけていった形かもしれません。
──
比較的すぐに、自分の伝え方は
これだなって思えるようになったんですか?
益田
いや、もう全然。
やりながら見つけていきました。
入社して4年間は、所属が報道局でしたから、
下手は下手なりに、
淡々とゆっくりしゃべるクセがついていました。
だから「はーい、みなさん! 
私は今どこどこに来ています。」の
「はーい」が言えなくて困りました。
それで、どうしたらいいか考えて、
街の中を走って、息をあがらせてから
「はーい、みなさん」って言うようにしたんです。
そのうち走らなくても出来るようになりました。
──
できるようになるんですね。

益田
やっぱり環境が人を変えるんです。
やっているうちに、少しずつ
自分がどうやったら伝えられるか、
掴めてきたような気がします。
もともと、おっちょこちょいなところと、
すっとこどっこいなところが、
うまい具合に画面に出ていたのかなと思います。
──
お話を伺っていると、ディレクターさん、
カメラマンさん、音声さん、
その場にいらっしゃる方々、
全員で「チーム」だったんですね、きっと。
益田
信頼できる人たちと過ごせたあの日々は、
とても恵まれていたと思います。
お互いの信頼関係が、
しっかり出来ていたからこその番組になりました。
本当に落ちこぼれのアナウンサーだった私を
育ててもらったなあと感謝しかないです。
問題と答えを見ないようにするために、
船底でしばらく目隠しをされたままだったこともあります。
それくらい徹底してくれていましたね。
そういう点では、チームね、チーム。
女性は私ひとりでしたが、みな盟友という感じでした。
──
すてきな出会いでしたね。
『なるほど!ザ・ワールド』は、
益田さんにとって、どんな存在でしたか?
益田
私の人生を変えた番組でした。
だって辞めようと思っていたんですから。
それまでは給料泥棒だなあとすら思っていました。
会社を辞めざるを得ないと思っていたところに
『なるほど!ザ・ワールド』が始まって。
さっき始まりは9.9%と言いましたが、
実は2ヶ月後には20%を超えたんです。
そうだ、私が行ったネパールが、
初めて20%を超えたんですよ!
フジテレビもそのころから、
視聴率3冠王時代に突入していきました。

(つづきます)

2025-08-12-TUE

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  • ヘアメイク:真知子(エムドルフィン)
    写真=武井義明(ほぼ日)