自分の名前で文章を書きはじめたら
どんどん仕事が舞い込むようになった‥‥。
そんな岸田奈美さんは、はっきり自覚しないうちに
いつの間にか文筆家と呼ばれるようになり、
結果的にあちこちで忙しく活動されています。
車椅子利用者のお母さんと
ダウン症の弟さんとの日常をつづったエッセイを、
みなさんもどこかで読んだことがあるかもしれません。

そして岸田さんがいつか絶対に書くと決めていたのが、
中学2年のときに亡くなったお父さんのことでした。
ある日、突然、いなくなってしまったお父さんは、
いまもずっと、岸田さんのなかにいるのです。
過去のお父さんに、お父さんの見た未来に、
岸田さんは向き合うことにしました。
長い連載になるのか、そうでもないのか、
岸田さん自身にもわからないまま、はじめます。

イラスト|くぼあやこ

>岸田奈美さんプロフィール

岸田奈美(きしだなみ)

1991年、神戸出身。100文字で済むことを2000文字で書く作家。
車いすの母、ダウン症の弟、亡くなった父のことなど、
家族のことや身の回りのことなどをよく題材にされています。
家族で一番消費する海苔は海大臣。文藝春秋2020年1月号巻頭随筆、講談社小説現代連載など。noteはこちら

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第三回

本にのっていない職業につけ。

12歳のころ、将来の夢は検察官になることだった。

正義感が強かったわけではない。
給食のおかずはいつも、不正に残していた。

人の役に立ちたかったわけではない。
おっちょこちょいの私は、いつも誰かに迷惑をかけていた。

ひとえにドラマ「HERO」の影響である。
木村拓哉演じる型破りな検察官の生き様に、私は射抜かれた。

ちなみに直前までは、歌手だった。
安室奈美恵の影響である。
側溝にはまったウシガエルのような歌声しか、
出せなかったけど。

とにかく私は、影響されやすかった。
仕事というもの対して、おおきな憧れを抱いていた。

私の父が、仕事を愛していたからに違いない。

 

ある夜。

仕事から帰ってきた父が、私に本をよこした。
大きくて分厚い、オレンジ色の本だ。
受け取った両手に、容赦なくズシンと重力がかかった。

村上龍の「13歳のハローワーク」だった。

「私はまだ12歳なんやけど」と言うと、父は
「細かいこたぁ、ええねん!読め!」と言った。

さてはまた訳のわからん衝動で買ってきたな、と思った。
iMac、逆輸入ファービーを
次々と与えられてきた娘は動じない。

読めと言われれば、読むしかない。
「13歳のハローワーク」は、子ども向けの職業図鑑だ。
514種もの職業が、絵と文でわかりやすく紹介されている。

生暖かい目を滑らせていた私は五分と経たず、夢中になった。
なにがいいって、それだけの数の職業を
「アートが好き」「人に役立つことが好き」など、
好奇心に応じて探せるようになっているのだ。

「テレビゲームが好き」「ナイフが好き」といった、
大人からは叱られそうな好奇心も肯定してくれる。

ページをめくる度に、
眠っている「好き」が掘り起こされ、楽しかった。

ドキドキしながら検察官の項目を読んでみると、
どうやら木村拓哉ほど軽快な職業ではなさそうだと気づいた。
あれはドラマの中だけの話だったのか。がっかりした。

引き換えに私は、一番華やかそうに見えるテレビプロデューサーという職業に憧れた。
検察官から急すぎる方向転換だ。
まあ、私にはありがちである。

「パパ、全部読んだで」

翌日、仕事から帰ってきた父を出迎えて、私は言った。
父は嬉しそうに笑った。

「おお、そうか」

「私な、テレビプロデューサーになるねん!」

「アホか。なんで本から選んどるねん」

我が耳を疑った。

親が職業図鑑を子どもに贈る意味なんて、
将来のことを考えてほしい、
夢を持って生きてほしい以外にあるのか。
ワクワクしながら職業を選んだのになぜ、
アホかと一蹴されなければならないのか。

「本に書いてへん職業に就け。そのために渡した本や」

なにを言っとるねん。
私は困惑した。
本に載っていない職業を、どうやって探せと言うのだ。
矛盾している。

「そこに書いてる職業はな、
奈美ちゃんが大人になるころには無くなってるねん」

「えっ、じゃあ誰がテレビ番組つくるん?」

「コンピューターや、コンピューター」

父は、私に買い与えたiMacを指さした。
コンピューターと言っても、あれで私は、
漫画好きが集まるチャットで、
頭の悪そうな話を夜な夜な繰り広げているだけであった。
どうやってテレビ番組を作ると言うのだ。私は鼻で笑った。

「せやから、今から新しい職業を選んどかな、
生きていかれへんで」

「そうなんかなあ」

「そうや。誰もやっとらんことを始めたら、

それだけで大儲けや」

「ほな、パパは大儲けしてるん?」

子どもというのは、恐ろしい。私はストレートに聞いた。
父の仕事は、マンションのリノベーションプランナー。
当時ほとんど同業のいない、
ベンチャー企業を立ち上げていた。

父こそ本に書いていない職業に就いた男である。

しかし、我が家は大儲けしている気配がない。

長年、家族で乗っているボルボはボロボロで、
ハンドルはいつ外れてもおかしくないくらい軋んでいた。
母はよく「そろそろ買い換えようや」と悲鳴を上げていた。

父は大きく溜息をつき、私に言った。

「俺が新しいことやってんのに、
世間がついてこんだけや。世間がアホや」

父のすごいところは、
これでお酒を一滴も飲んでいないことだ。
強烈な下戸だった。私にもしっかり遺伝している。

酔っ払っていないのに、酔っぱらいよりも、
世間に怒っている。
その気迫を前にしたらもう、
いたいけな12歳はなにも言えない。

私の将来の夢は、
どこにも書いてない職業を探す、に塗り替わった。

翌年。

無責任に私を焚きつけるだけ焚きつけて、父は亡くなった。

さらに二年後、今度は母が倒れた。
心臓の病気の後遺症で、一生歩けなくなった。

母のために、私ができることを探さないと。
その一心で大学に入り、車いすに乗る学生と出会った。

彼は、ユニバーサルデザインの
コンサルティング会社を立ち上げるという。
なにからなにまで、全然わからん職業だった。
しかも学生起業。
19歳の私の頭は、疑問符だらけだった。

その時。
父の力強い一言が頭の中で響き、浮かぶ疑問符をかき消す。

「本に書いてへん職業に就け」

弾かれたように私は、彼に伝えた。
一緒にやらせてほしいと。
計画性も、確信も、なにもなかった。
あったのは、父の憤りにも似た願いだった。

私は大学に通いながら、株式会社ミライロの一員となった。

そこでは
「雪が吹きすさぶ山の中で、
ガタガタ震えながら地図を作る仕事」
「国民的男性アイドルの足と腰をベルトで縛りつけ、
ダンゴムシのようにする仕事」
など、フットワークの軽さと貪欲な営業精神ゆえに発生する、
聞いたことがない仕事をたくさん経験した。

あまりの過酷さに、
顔から出るすべての液体を垂れ流しながら、
なにやってんだろうと思う夜も多々あったけど。
誰もやったことがない仕事は、やり遂げてみれば、
計り知れない喜びがあった。

私はそこで10年の月日を過ごし、退職した。
やりたいことができたのだ。

父が残した日記を読み返すと。
「誰か、神戸を舞台にした小説を書いてほしい」と
つづられていた。

なるほど、じゃあ作家にでもなるか。
でも待てよ。
作家は本に書いてる職業だから、作家じゃダメなんだよな。

まったくもって厄介な宿題を置いていったものである。

そうだ。

私は、岸田奈美という職業で、生きていこう。
エッセイを書くかもしれないし、小説を書くかもしれない。
会いたい人に突撃するかもしれないし、
料理をするかもしれない。
絵も描いてみたいな。家族でなにかを作ってみたいな。

私は、私がおもしろいと思う私の目線を、売り物にしよう。
退職した日に書いたブログのタイトルは、
「10年勤めていた会社を辞め、岸田奈美になりました」
だった。

私は今日も、厄介な宿題とにらめっこしている。

(次回の更新は、5月下旬の予定です。おたのしみに。)

2020-05-12-TUE

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