自分の名前で文章を書きはじめたら
どんどん仕事が舞い込むようになった‥‥。
そんな岸田奈美さんは、はっきり自覚しないうちに
いつの間にか文筆家と呼ばれるようになり、
結果的にあちこちで忙しく活動されています。
車椅子利用者のお母さんと
ダウン症の弟さんとの日常をつづったエッセイを、
みなさんもどこかで読んだことがあるかもしれません。

そして岸田さんがいつか絶対に書くと決めていたのが、
中学2年のときに亡くなったお父さんのことでした。
ある日、突然、いなくなってしまったお父さんは、
いまもずっと、岸田さんのなかにいるのです。
過去のお父さんに、お父さんの見た未来に、
岸田さんは向き合うことにしました。
長い連載になるのか、そうでもないのか、
岸田さん自身にもわからないまま、はじめます。

イラスト|くぼあやこ

>岸田奈美さんプロフィール

岸田奈美(きしだなみ)

1991年、神戸出身。100文字で済むことを2000文字で書く作家。
車いすの母、ダウン症の弟、亡くなった父のことなど、
家族のことや身の回りのことなどをよく題材にされています。
家族で一番消費する海苔は海大臣。文藝春秋2020年1月号巻頭随筆、講談社小説現代連載など。noteはこちら

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第二回

父は嘘つきではないが、ホラ吹きだった。

ホラ吹きと、嘘つきのちがいは、なんだろうか。
気になって、調べてみた。

ホラ吹きとは、場を盛り上げるために大げさな話をする人。
見た目よりも大きな音が出る、ホラ貝が語源らしい。

対して、嘘つきとは、真実ではないことを言う人。

ホラ吹きは人を傷つけたり不利益を生んだりしないが、
嘘つきは人を傷つけるし不利益も生む。

なるほど、なるほど。

私の父は、どっちだったんだろう。

私が5歳のとき。
一緒にお風呂へ入るたび、父がやらかすことがあった。

仕事帰りの父と湯船に浸かっていると、父が言う。

「奈美ちゃん、追い焚きボタン押して」

私はお湯をジャブジャブかきわけ、
操作パネルに手を伸ばす。
ゴゴゴゴという音とともに、熱いお湯が出てくる。

「ギャー!!!」

父の悲鳴が、狭い浴室内に響き渡る。
あまりの形相に慌てる私も「ウワアアァァァァ!」と叫ぶ。

「熱い熱い熱いっ!パパの!足が!溶けてきたぞぉ!」
「ウワアアアァァァァァ(号泣)」

ガクッと気絶したふりをする父にしがみつき、私は泣いた。
もちろん、溶けてなどいないのである。

 

私が7歳のとき。

父が運転する車に乗り、
二人で川へ遊びに行ったことがあった。
カーナビやマップが見れるスマホも、
当時はまだ普及しておらず、
人も車も通らない細い山道で、父は迷いまくった。

「パパ、迷ってもうたわ」
「な、なんやて!?」

迷子になりまくる子どもにとって、
親が迷子になることほど、
不安をあおられることはない。衝撃だった。

「山から出られへん。
アカン、もうママには会えへんのやで……」
「ウワアアアァァァァァ(号泣)」

実際は、家から2kmも離れていない山だったと知ったのは、
大人になってから。
当時の私は、それはもう絶望に陥っていた。

助手席でグスグスと泣きながら、母への思いを馳せる。
ポケットに入っていたマーブルチョコで、
生き延びると決意した。

もちろん、山から出られないわけがないのである。

無意味。
父は限りなく無意味に、私を驚かせる。
手の内をわかっていながらも、
私は毎回まんまと驚いていた。

その度に、母がこっぴどく父を叱っていた。

仰天して腰を抜かしている私を見て
母は「なにごと!?」と言い、
「あのな、パパがな……」と説明すると、
母は「もおおぉぉぉっ」と牛よりも牛のような声を出して、
父を追いかけに行った。

父は懲りる様子をまったく見せず、ワハハハと笑っていた。

うーん。
これは、嘘つきだろうか、ホラ吹きだろうか。
私は大泣きしていたものの、傷つけられたとは、少し違う。

父は、私で遊んでいたような気もする。
年を重ねるにつれ、びっくりしなくなるどころか、
リアクションのバリエーションを順調に増やしていく私。
全身を使ってびっくりする私の純粋さは、
母から受け継いでいる。

他にも数え切れないくらい、父の言葉を覚えている。

「今日帰り道にキタキツネ、見たで!
北海道から逃げてきたんやわ」

「地球に突然変異が起きた時、人類が滅びへんように
神様が作ったんが、うちの良太(私の弟)や。
人より染色体の数が多いから、生き残るねん」

「奈美ちゃんの名前はな、
漫画・島耕作の娘からとったんやで」

やっぱり父は、ホラ吹きだったにちがいない。

今思い返してもなにが本当で、なにがホラか、わからない。
でも、ひとつ、本当だと信じていることがある。

 

12歳のとき。

父は急性心筋梗塞を起こし、救急車で運ばれた。
深夜だったので、母は私と弟を起こさず、一人で付き添った。
まさか命に関わる重症だとは思っていなかったのだろう。
病院で処置が終わってから、
私と弟を迎えに行こうと思っていたそうだ。

結果的に父の容態はかなり悪く、
意識不明のまま亡くなった。
私と弟は、父と最期に会話することができなかった。

その時の判断を、母はずっと後悔していた。
「ごめんね、ママのせいでごめんね」と、泣いたこともある。

母は、父の最期を教えてくれた。
担架で救急車に乗り込む直前、父は母に言った。

「奈美ちゃんに、頑張れって言ってくれ」

「奈美ちゃんは大丈夫やから」

「俺の娘や、なにがあっても大丈夫」

「奈美ちゃん、頑張れ」

とにかくひたすら、私へ頑張れ、と言っていたのだ。
なんだなんだ。
そんなことを言っている場合ではないだろう。
父の心臓に血液を送る血管は、
3本の内、2本も詰まっていた。
想像を絶する苦しさだったはずだと、
のちに病院の先生から聞いた。

自分が頑張らないといけない時に、なぜ、
すやすや寝ている私を頑張れと励ましたんだろうか。
母は「きっとあの時にはもう、
自分が死ぬってわかってたんやろうね」と言った。

父が亡くなってから、
私はうまくいかないことばかりだった。

学校では友人と馴染めず、ずっとそわそわしていた。
入った部活は、部員から悪口を言われるようになり、
黙って辞めた。
高校の勉強についていけず、成績はどんどん下がっていた。

16歳のとき、今度は母が倒れた。
過労による大動脈解離だった。
一命は取り止めたものの、
母は一生、歩くことができなくなった。

父を亡くした辛さが、少しずつ薄れていったのに、
また私は、どん底へ落ちかけた。

「奈美ちゃんは大丈夫」って、またホラじゃないか。
私は全然大丈夫じゃないのに。泣きそうになった。

だけど、父が生前書いていたブログを読んだとき、
父の言葉が本当だったと、私は悟った。

ブログはもう、ネット上にデータは残っていない。
父の右腕だった社員さんが、お葬式の直前に印刷して、
一冊にまとめてくれたのだった。

父が亡くなった時は、とても開くことはできなかったけど、
私はようやくそれを少しずつ、
読むことができるようになっていた。

「Enjoy My Life〜岸田浩二 ONとOFF〜」
と名づけられたそれは、32ページにも及んだ。

たとえば、仕事のこと。

「阪神大震災の3日後、私は会社員を辞め、
ベンチャー起業家になる決意をした」

「いま日本では様々な問題が生じている。
建物の老朽化、少子化・高齢化する社会への対応の遅れ、
商品企画の陳腐化による競争力の低下。それぞれの問題に、
ビジネスチャンスが潜んでいる。
若者には、解決していく姿勢を持つことが、
新しい仕事を生み出すと伝えたい」

ああ、なるほど。だから私に「13歳のハローワーク」を
買ってきて読ませたと思えば、
「そこに書いてる仕事をお前はやるんちゃうぞ!」と
支離滅裂なことを言ったのか。

 

たとえば、健康のこと。

「夜遅くの帰宅、食事に運動不足も手伝って、
池中玄太80キロの世界を自分で体現してしまった。
こんな生活をしていては身体がもたぬ。
事務所までの往復1時間を歩いてみることにした」

池中玄太80キロが
なんのことだかわからなくて、検索してみた。
よくもこんな例え話がパッと出てきたものだ。

 

たとえば、価値観のこと。

「喜怒哀楽を表に出さなくなってはおしまいだ。
人の価値観とは、なにに対して怒るのか、悲しくなるのか、
喜ぶのかで変わる。自分の好きなことを見つけるという
のは、喜怒哀楽を包み隠さないということなのだ」

だから父はよく社会の些細なことに「おかしいやろ」と
怒って、「おもんないわ」と嘆いていたのか。

 

ページをめくる度、
理由がつかなかったホラのいくつかに、
理由がついていく。
父は、自分がいなくても
「大丈夫」になってほしかったのかもしれない。

私が母を救うために、大学1年生の19歳で、
バリアフリーのコンサルティングをするベンチャー企業の
創業メンバーになったのは、
父が残したブログの影響がとても大きい。

結果的に、母も同じ企業に入社し、
親子で活躍するようになった。
私はいつの間にか「大丈夫」になっていた。

会社を辞め、作家になることを選んだいま。
久しぶりに、父の冊子を開いてみた。

一度読んだ時には気にもとめなかった一文が、
目に飛び込んできた。

「ぜひ、私が住む神戸を舞台にした小説を、
誰か書いてください」

 

ああ。
作家になったことも、「大丈夫」だったんだ。きっと。

いつか書くよ。
あなたのホラを、いくつか私が本当にするよ。

(次回の更新は、4月下旬の予定です。おたのしみに。)

2020-03-31-TUE

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