登山の世界のアカデミー賞と呼ばれる
ピオレドール賞に3度も輝いた、
アルパインクライマーの平出和也さん。
どうして誰も登ったことのない未踏峰、
未踏ルートへ向かうのか。
山で生まれた問いへの答えは、
次の山へ向かうことで得られる‥‥と、
平出さんは言います。
その繰り返しが、
自分を成長させてくれるんだそうです。
哲学者のそれかのような
平出さんの言葉に、引き込まれました。
全7回、担当は「ほぼ日」の奥野です。

>平出和也さんのプロフィール

平出和也(ひらいでかずや)

アルパインクライマー、山岳カメラマン。石井スポーツ所属。大学2年のときから登山をはじめ、2001年のクーラカンリ(東峰・7381m)初登頂以後、難易度の高い数々の未踏峰・未踏ルートに挑戦し、優秀な登山家におくられるピオレドール賞を日本人最多の3度受賞。世界のトップクライマーの1人であり、山岳カメラマンとしても幅広く活躍している。公式サイトはこちら

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第6回 死はすべての終わりじゃない。

──
平出さんは、谷口さんよりも、
5~6歳、年齢が下だと思うんですが、
中島さんよりは年上ですよね。
そのちがいを、山で感じたりしますか。
平出
けいさんは、考え方が大人でした。
山での技術や能力はもちろんですけど、
人間的にも尊敬できて、
多くの人から慕われている女性でした。
──
ええ。
平出
ぼくがカッときて、
けいさんに八つ当たりをしたとしても、
冷静に受け止めてくれたし、
しっかり、ぼくにアドバイスもくれた。
この人なら頼れると思っていました。
──
なるほど。
平出
その点、年齢の差を考えると、
たぶん健郎はぼくに頼ると思うんです。
でも、そのときに、
けいさんみたいに正しく判断できるか。
もっともっと、
人間として成長しなくてはと思います。

──
パートナーというのは、
あくまで平等な立場なんでしょうけど。
平出
もちろん。けいさんでも、健郎でも、
連れて行く立場、連れて行かれる立場、
ということではないです。
おたがいの
強いところと弱いところを理解して、
同じリスクを負って、
同じように山と向き合っていますから。
──
経験値のちがいはあっても、平等。
平出
たぶん、それは、
山が誰にでも平等だからだと思います。
ベテランであろうが初心者であろうが、
性別も何も関係なしに、
山は、
平等に自然の厳しさを突きつけてくる。
その素晴らしさも、同時に、平等に。
──
それだけ信頼しあっていても、
意見がちがってくることもありますか。
平出
ありますよ。けいさんと
はじめて意見が食いちがったのが、
2011年の
ナムナニの南壁を登ったときです。
そこも未踏の壁だったんですけど。
──
ええ。
平出
ぼくらは誰も登ったことのない壁に
カッコいいラインを引くんだって、
危ないルートを、
どんどんと前へ進んでいったんです。
そしたら「セラック」という
雪の塊の下に入っちゃったんですよ。
──
そこは危険な場所‥‥ですか。
平出
上を見上げたら、
頭上に大きな雪の塊が浮かんでる。
雪崩が起きようものなら、
爆風で死んじゃうような場所です。
──
わあ‥‥。
平出
ぼくは、そこへたどり着いた瞬間に、
もう帰ろう、危ないから‥‥って。
でも、けいさんは、納得できない、
まだ諦めたくないって言うんですよ。
──
なんと。
平出
たぶん、あのときに‥‥
けいさんとのすれ違いがはじまった。
10年くらい一緒に登ってきて、
それまで
いちどもそんなことはなかったから、
そのときは、
あまり深刻に考えず流したんですが。
──
ええ。
平出
3回目のシスパーレに登ったときも、
危ないから戻ろうって、
ぼくが主張した箇所があったんです。
でも、そのときも、
けいさんが納得できなかったんです。
結局、敗退して
何とか生きて帰ってきたわけですが。
──
はあ‥‥。
平出
これはもう、
山の見方が変わったんだと思いました。
──
おふたりの間に、齟齬が、徐々に。
平出
その経験が、ひとつの分岐点になった。
ぼくたちは
合計11年くらい組んでいたけれども、
パートナーとしては、
もうダメかもしれないと思いはじめて、
おたがい別のパートナーと、
それぞれの登山がはじまったんですね。
──
ええ。
平出
けいさんは、昔から
山の麓に住みたいと言ってたんですが、
2013年のシスパーレのあと、
長く夢見ていた生活をはじめたんです。
八ヶ岳の麓で暮らしながら、
いつでもすぐ山へ行ける環境を整えた。
黒岳で亡くなったのは、その矢先で。
──
ああ‥‥そうでしたか。
平出
ぼくの個人的な意見なんですけど、
都心に住んでいる自分が
山へ行こうと決意したときには、
多少なり「準備」をしていくんです。
道具はもちろん、
天気予報なんかもしっかり見るし、
心の準備、つまり山へ行くまでに
思いを馳せる時間もある。
──
イメージトレーニングなども。
平出
そう。でも‥‥山の麓に住んでいたら、
ドアを開けたら、いつでも、
すぐにでも山へと入って行けますよね。
山へのハードルが、下がってしまった。
山へ対する距離感が
狂ってしまったのではと思っています。

──
距離感‥‥なるほど。
平出
けいさんは、ぼくの人生において
本当に大切な人だった。
だから、なかなか、
死を乗り越えられずにいたんです。
──
そうですよね。どうやって‥‥。
平出
はい、いちどは諦めた
あのシスパーレの頂上にさえ立てれば、
けいさんの死を乗り越えられる。
あるときに、ふと、そう思ったんです。
それで、
ぼくは4度目の挑戦に向かったんです。
──
そういう思いだったんですか。
たしか谷口さんの写真を持っていって、
みごと登頂に成功したあと、
写真を山頂に埋めてらっしゃいますね。
平出
はい、そうすることで、
ぼくの第1の登山人生を締めくくれた。
シスパーレの頂に、
けいさんの写真を埋めることで、何か。
──
なるほど。
平出
成功して
ベースキャンプに帰ってきたとき、
「もう、こんな厳しい登山は
できないかもしれない」
って言ったんですね、周囲に。
──
ええ。
平出
そして
「これ以上の経験は、もう、できないかも」
とも思いました。
──
なるほど。
平出
ぼくは、4度目のシスパーレが、
自分に何を教えてくれたんだろうって、
ずっと気になっていたんです。
でも、すぐには、
明確な答えが出なかったんですよね。
自分にとって物差しの山だったのに。
──
どうして、でしょうね。
平出
そう‥‥そのときに、思ったんです。
これは、次の山の頂に立たない限り、
シスパーレでの経験を、
振り返ることはできないんだなって。
──
次の挑戦へ向かっていくことで、
いま登った山が、
何を教えてくれたのかがわかる。
平出
過去に3度、敗退したあとにも、
いろんな山に登り続けてきたことで、
ぼくは、その都度、
自分を振り返ることができたんです。
だから、あの4度目のシスパーレも、
成功しましたってことで
歩みを止めてしまったら、
答えを見つけられずに終わっちゃう。
そんなふうに、思ったんです。
──
だからシスパーレに成功したあとも、
挑戦を辞めない、んですね。
平出
2018年にはK2の偵察に行って、
2019年には、ラカポシに登った。
でね、ラカポシの山頂に立ったとき、
そこから、
シスパーレを、
眼下に見下ろすことができたんです。
──
ええ。
平出
そのときにようやく、
自分の中で
シスパーレの答えが出たんですよね。
けいさんは存在しないけれど、
けいさんの思いや魂は、
わたしの心の中に生き続けているなあと、
あらためて、気付いたんです。
──
つまり‥‥。
平出
死がすべての終わりじゃないんだと。
次のスタートラインを示してくれる、
そういうこともあるんだって。
だから、しっかり
前を向いて歩いていきなさいって、
けいさんが、
山が、教えてくれたのかな‥‥って。

写真提供:石井スポーツ 写真提供:石井スポーツ

(つづきます)

2021-06-09-WED

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