登山の世界のアカデミー賞と呼ばれる
ピオレドール賞に3度も輝いた、
アルパインクライマーの平出和也さん。
どうして誰も登ったことのない未踏峰、
未踏ルートへ向かうのか。
山で生まれた問いへの答えは、
次の山へ向かうことで得られる‥‥と、
平出さんは言います。
その繰り返しが、
自分を成長させてくれるんだそうです。
哲学者のそれかのような
平出さんの言葉に、引き込まれました。
全7回、担当は「ほぼ日」の奥野です。

>平出和也さんのプロフィール

平出和也(ひらいでかずや)

アルパインクライマー、山岳カメラマン。石井スポーツ所属。大学2年のときから登山をはじめ、2001年のクーラカンリ(東峰・7381m)初登頂以後、難易度の高い数々の未踏峰・未踏ルートに挑戦し、優秀な登山家におくられるピオレドール賞を日本人最多の3度受賞。世界のトップクライマーの1人であり、山岳カメラマンとしても幅広く活躍している。公式サイトはこちら

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第5回 パートナーの背後に見る顔。

──
たまたま知り合った谷口けいさんとは、
その後、どうやって
パートナーを組むことになるんですか。
平出
しばらく、ぜんぜん会いませんでした。
大学を出た2003年に、
ぼくは石井スポーツに就職しましたが、
お店に来た知り合いに、
遠征の勧誘をしたりしていたんですね。
──
ええ、こんなとこに行こう、とか?
平出
そこへあるとき、けいさんが来た。
2001年のパーティーで会って以来、
久々だったんですけど、
「こんど、こんな山に行くんです」
って言ったら
「あ、それわたしも行く」って(笑)。
──
おお。
平出
ぼくの夢を、サッと奪い取った(笑)。
──
華麗な手口で(笑)。
平出
それ、出発1カ月前ですよ。
──
何という山だったんですか。
平出
2004年に登った、
ヒマラヤのゴールデンピークという山。
ぼくとけいさんの登山は、
そこから、はじまることになりました。
未踏峰・未踏ルートを前にしたときの
あのワクワク感、
手探りで登っていく感覚、
いちいち答え合わせをしていく登山が、
おたがい、大好きになりました。

──
同じような目線で、同じ山を見上げて、
同じように好きになっていった。
どれくらい‥‥一緒に登ったんですか。
平出
2013年のシスパーレが最後ですが、
回数で行ったら‥‥何回だろう。
ゴールデンピーク、シブリン、
ライラピーク‥‥
2005年にムスターグアタに登り、
2008年のカメット、
2011年のナムナニ、
あ、その前の2009年には
ガウリシャンカール‥‥
ディランがあって、シスパーレ‥‥か。
──
ぜんぶ知らない山です。みごとに。
平出
だから、合計8回くらいですかね。
1回の遠征で2カ月くらいかかるから、
かなりの時間を一緒に過ごしました。
──
次はここへ行きたいという山を伝えて、
賛同してくれたら、
じゃあ一緒に行こうとなるわけですか。
平出
そうですね。
ただ、その間にも、それぞれ
別のパートナーとも登山してますから、
他の山で得たものを持ち寄り、
年に1回くらいの頻度で一緒に登って、
そこで高め合って、という感じ。
──
パートナーとして見たときの
谷口さんのすごさって、
どういうところにありますか。
平出
ぼく自身は
山登りすればするほど臆病になるけど、
けいさんは、
本当に山が大好きで、楽しそうで‥‥。
登れば登るほど、
もっともっと突っ込んで行こうとする。
その点だけは、
一緒に登れば登るほど、
反対のベクトルへ向かっていきました。
──
そうなんですか‥‥。
平出
けいさんが、よく言ってたんですけど、
40までは吸収する人生で、
45からは還元する人生でありたいと。
だんだん40に近づいていたからこそ、
もっともっと吸収したい、
そういう思いが、
強くなっていたのかもなあと思います。
──
もう時間がないという思いもあっての、
突っ込んでいくスタイル‥‥。
平出
焦りを感じていたのかもしれないです。
めちゃくちゃ吹雪いて、
これ以上は登れないんじゃないかって、
ぼくが思うようなときも、
もうすこし粘ろう、がんばれるよって。
──
おお。
平出
実際、記録に残る登山をするためには、
両方が臆病になってもダメだし、
両方がイケイケになっても、ダメだし。
ベースキャンプで恐怖に襲われて、
ぼくが帰りたいとか言ってるときには、
けいさんが、
大丈夫、もうちょっとがんばろうって、
言ってくれたりしたんです。
──
なるほど。
平出
ただ、実際に山を登り出したら
ぼくは覚悟が決まって、
イケイケになっちゃったりするんです。
で、けいさんのほうが
「ちょっと、気を付けてね」みたいな、
ブレーキ役になって、
いつの間にか立場が逆転したりとかも。
──
そういう生命のかかった場所における
パートナーって、
いったいどういう存在なんでしょうか。
平出
家族以上です、本当に。
ぼくにヒマラヤ登山を教えてくれた
ヒマラヤのお父さんお母さん、
みたいな登山家がいるんですけれど。
──
ええ。
平出
自分の登山隊をつくろうとしたときに、
彼らから最初に言われたのは、
一緒に登るだけがパートナーじゃない、
しっかり、
ご家族との交流を持ちなさい‥‥って。
──
そのパートナーの、ご家族と?
平出
そう、その登山家も、
これまでにパートナーを亡くしていて、
そのつど、ご遺族に会ってきた。
山で何かが起きたとき、
現場の状況を説明するのは、残った者。
不幸にも目の前で隊員を亡くして、
その隊員のご家族に説明をするときに
「はじめて会う」
ということがあってはいけないんだと。
──
なるほど‥‥。
平出
だから日本を出発する前にしっかりと、
隊員全員の家族の顔を見ておきなさい、
そんなふうに、教えてくれたんですよ。
──
つまり、パートナーとは、
常日頃から交流しているんですね。
平出
一緒にごはん食べる機会をつくったり。
そんなふうにして
家族同士の信頼を築くことが大事です。
だって‥‥
帰ってこない可能性があるんですから。
──
はい‥‥。
平出
いまぼくは中島健郎と組んでいますが、
おたがいの家族、
つまり妻や子どもを知っています。
だから、ぼくは、山ではすごく厳しい。
それは、健郎の後ろに、
健郎の家族の顔を、見ているからです。

──
過酷な場所での判断は、
その人たちの顔まで含めてのものだと。
平出
ぼくが守っているのは、
健郎だけではないんだと思うからこそ、
誰より慎重になるし、
より適正なジャッジができるんですね。
健郎の顔だけを見てリスクを冒すのか、
健郎の後ろの
何人もの顔を見てリスクを超えるのか。
──
なるほど。
平出
最悪のケース‥‥つまり、
仮にぼくらが山から帰ってこなくても、
残った家族同士で、
助け合える関係性をつくりあげておく。
日本を出る前に、
そこまで、きちんと整えておくんです。
そのことがとっても重要です。
逆に言えば、
そこまでできるパートナーかどうかが、
おたがいに問われていると思う。
──
谷口さんと10年くらい登ったあとに
中島さんとパートナーを組んだのは、
どういうきっかけが、あったんですか。
平出
けいさんから話を聞いてたんですよね。
有望な若者がいるんだ‥‥って。
山のセンスはすごいんだけど、
ただ心配なのは、かなりのイケイケで、
いつ死んでもおかしくないって。
──
それが、中島健郎さん。
山のセンスとは、どういうものですか。
平出
登攀技術はもちろん、ルート取りなど、
山に対する感覚すべてです。
で、その話を聞いていたタイミングで
2014年にNHKの番組で
カカポラジという
ミャンマー最高峰に登ったんですね。
そのとき一緒だったのが、
倉岡(裕之)さんと健郎だったんです。
──
おお、9度もエベレストに登っている、
最強の山岳ガイド、倉岡さん。
平出
結局、登頂はできなかったんですけど、
力のある登山家だと思った矢先‥‥
けいさんが亡くなってしまったんです。
──
北海道の黒岳で。滑落の事故で‥‥。
平出
はい。
けいさんというパートナーを失って、
しばらく呆然としていたんですが、
あるときにふと、
今後、自分は誰と登っていくのかと。
──
ええ。
平出
そう考えたとき‥‥
ぼくは、
これ以上パートナーを失いたくない、
と思ったんです。
で、高い技術を持っているがゆえに、
いつ死ぬかわからない健郎は、
絶対に死なせちゃいけないと思った。
──
なるほど。
平出
10年前の自分を、見るようだった。
生命の危険を顧みないスタイルが。
だからぼくと一緒に登ることで、
山で生き延びる術を、学んでほしい。
ぼくは登れば登るほど臆病になって、
こうやって生きて帰ってきている。
ぼくと登れば、
その術を学んでくれるんじゃないか。
──
そういう思いで‥‥。
平出
はい。健郎と組むって決めたんです。

写真提供:石井スポーツ 写真提供:石井スポーツ

(つづきます)

2021-06-08-TUE

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