
「生活のたのしみ展2026」の特別企画として、
ほぼ日の學校がお届けした3日連続のスペシャルトーク。
共通のテーマは、「変わり目」。
お迎えしたのは、タレント・役者・アーティストと
さまざまな顔を持つ片桐仁さん。
現在の「片桐仁」ができあがるまでに、
どんな「変わり目」を歩んできたのでしょうか。
企画も、芸術も、会社も‥‥人生も。
「できあがっちゃうおもしろさ」に満ちた、
軽快で、正直で、丈夫で非丈夫な(!?)
ふたりのおしゃべりをおたのしみください。
片桐仁(かたぎり・じん)
俳優、造形作家
1973年生まれ、埼玉県出身。
多摩美術大学時代に小林賢太郎と
コントグループ「ラーメンズ」を結成。
俳優としても舞台やテレビ、ラジオなど、
数々の話題作に出演する。
さらに、17年に渡り何かに粘土を盛る
粘土作品の展覧会「ギリ展」を全国各地で開催。
- 糸井
- 片桐さんは、お笑いをやってるときのその‥‥
「ぼくはネタを作ってない側だから」とは言うものの、
ラーメンズというセットで、ふたりでやっていましたよね。
- 片桐
- やってました、もちろん。
- 糸井
- そこでは、「ネタじゃない部分」で、
何を頑張ろうと思ってたんですか。
- 片桐
- コントの作り方ってコンビによって全然違って、
ぼくらって最初はテレビの漫才とかをコピーして、
さもじぶんたちのネタみたいに毎月やってたんです。
そしたらバンドのやつに「人のじゃねえか」って言われて。
「いや、お前だって人のコピーじゃねえか」
って言い返したんですけど(笑)。
- 片桐
- でも、人の台本でも、
ウケるとものすごい快感が来るんですよ。
それを追い求めるために台本を覚えたり、
間(ま)だったりキャラクターを
作ったりしていったんですよね。
- 糸井
- うん、うん。
- 片桐
- そもそもぼく、昭和48年生まれなので、
団塊ジュニアのど真ん中で、
倍率だけ異常に高い時代だったんです。
当時、東京藝大の油絵科が「55倍」。
ぼくが受験した多摩美もすごくて。
掃いて捨てるほどアーティスト志望がいるから
「代わりはいくらでもいるんだぞ」っていう時代でした。
- 糸井
- 何か描けたりつくれたりするけれど、誰も求めてないという。
- 片桐
- そうです。
大学に入ってみたら、
「字みたいな絵、描いてるんじゃねえよ!」って言われて、
「じゃあ何を描けばいいんだ?」
「お前にしか描けないものを描け」、
「それがわかったら苦労しないよ」って(笑)。
そんなときに「お笑いやろう」って言われて、
ウケた瞬間の、この、目の前の人から
直接評価をもらえた快感みたいなものが、もう!
- 糸井
- うれしいですねえ。
- 片桐
- アートは、作品を作ってコンテストに出しても、
何もなく戻ってくる世界だったから。
美大に入った時点で
「もう終わったな、たまたま受かっちゃっただけだし」
と思ってたんです。
ぼく、多摩美の版画科の1期生なんですけど、
そこって当時、
「受験の練習のためにみんなが併願する学科」
だったんですよ。
- 糸井
- はい、はい。
- 片桐
- で、試験の「想定デッサン」で
「5時間で『私の部屋』というタイトルで絵を描け」
って問題が出て。
ぼく、そのころ学校にあんまり行ってなかった時期で、
ずっとじぶんの部屋の絵を描いてたんです。 - そしたら、ちょうど運良くそのタイトルが出て、
それで補欠で受かった。35人の学部の、補欠40番。
だから、本当にたまたま受かっちゃった感じで。
そうしたら、35人の学部の中に、
小林賢太郎がいたっていう。
もう、すごい「変わり目」でしたよ、ここが。
- 糸井
- はあーっ、「大変わり目」ですね。
- 片桐
- で、もうひとつ、
粘土を始めたのもだいぶ「たまたま」で、
じつは多摩美の授業がきっかけなんです。
多摩美の版画科はなぜか代々「彫刻」の先生が担当で、
粘土と木彫と焼き物と、みたいな感じで、
とにかく「彫刻」をやらされたんですよ。
そうしたら版画科や油絵科のやつより、
ぼく、うまかったんです。
- 糸井
- へえーっ。
- 片桐
- で、もともとやってた版画は
技術がないと何もできない学科だったから、
結局どんどん離れていって。
- 糸井
- しんどかったときに、「楽なほう」に行けたんですね。
- 片桐
- まさにそうですね(笑)。
で、もし「彫刻科」にいたら、
それはそれでたぶんデッサン力とか技術力が足りなくて、
こき下ろされてたと思うんですよ。
そこも、「たのしくいられる」かたちで
彫刻や粘土に出会えて運がよかったんですよね。
- 糸井
- 聞いていていいなと思うのは、
「決意して曲がり道で曲がった」んじゃなくて、
「ただ曲がっちゃった」んですよね(笑)。
- 片桐
- あははは(笑)。
そう、そうなんです。
本当に、全部そうかもしれない。 - そこからラーメンズで仕事が来るようになって、
雑誌で連載をすることになったときもそうで、
まず、相方はすぐマンガを描き始めたんです。
で、ぼくは話もマンガも描けないから、
どうしようと思っていたら、
相方に「粘土やればいいんじゃない?」って言われて。
「ただ粘土をやっても誰も見てくれないから、
『役に立つものをあえて、役に立たなくする』
っていうテーマでものをつくっていけば、
それがアートになるんじゃないか」って、
コンセプトまですべて相方が考えてくれて。
- 糸井
- すごいですよね。
今日の話のなかに、
「俺はここで決意した!」とか「判断した!」とか‥‥
- 片桐
- 一個もないですよ。
- 糸井
- ずっと、「補助輪付きの自転車」で曲がってるみたいな。
- 片桐
- そうなんですよ。相方の補助輪がすごかったですから。
「ここはこういう理由でおもしろいから、
こういう役で、こうやって動いて」とか、
「いまのお前の見え方だとウケないからこうしろ」とか、
もう本当に全部、
手取り足取りすぎるくらいやってもらって。 - 相方はもう、作・演出・出演ってやってたので、
じぶんはふたり劇団の
劇団員みたいな感じだったんですよね。
すごい特殊な状況にいたんだなっていう。
- 糸井
- で、その補助輪付き自転車のままで、
42.195キロ走りきるみたいな、
「富士登山やっちゃった」
みたいなことをされたわけですよね。
- 片桐
- いやあ、大変だったと思いますよ、相方は。
- 糸井
- いや、そう言いますけど、
その補助輪付き自転車で富士登山をやりきる走り方を、
コンビとして成立させていたっていうのは、
やっぱり片桐さんもすごいんですよ。
で、しかもそのふたりが、
「友達」っていうのもすごいですよね。
- 片桐
- そうですね。よくやりましたね。
まあ相方も、「やりたくてしょうがない人」だったので。
途中からソロライブもやるようになりましたからね。
ソロ・アクトやって、ラーメンズやって、
じぶんのプロデュースで演劇もやってましたから。
ほんとに、「全部やる」んだなと思って、すごいなあと。
- 糸井
- 小林さんは、「丈夫」なんだね。
- 片桐
- 丈夫?
- 糸井
- ぼく、今ね、「丈夫論」っていうのを持っててね。
(つづきます)
2026-08-16-SUN