日本の西洋美術館としては最古参、
このシリーズで
いつか訪問したいと思っていた
大原美術館に、ついに行ってきました!
倉敷の美観地区に建つ西洋建築に
一歩足を踏み入れれば、そこには
エル・グレコの《受胎告知》から
モネ、セザンヌ、ピカソ、マティス、
モディリアーニ、藤田、ポロック‥‥。
日本における
西洋美術との出会いの歴史でも
いちはやく収集され、
紹介されてきた
名だたる傑作がズラリと並びます!
学芸課長の
吉川あゆみさんにうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

撮影:ERIC

前へ目次ページへ次へ

第2回 マティス、ピカソ、ポロック。

──
見たことのないアンリ=ルソーです。
《パリ近郊の眺め バニュー村》。
こちらのマティスは‥‥。
吉川
本人を直接、訪ねて買ったものです。
──
そのあたりのストーリーも、
しっかりと、残されているんですね。
吉川
そこが当館のおもしろいところです。
モネを訪ねたとき、
マティスを訪ねたとき‥‥の記録が、
きちんと伝わっています。
虎次郎の日記に書かれていたりとか、
往復書簡のようなかたち、
あるいは虎次郎から話を聞いた人が、
文章に書き残していたりとか。

──
タイトルが、《マティス嬢の肖像》。
娘さんってことですか?
吉川
はい、そうなんです。
2度目の留学時の収集活動のときに、
マティスのパリのアトリエに、
直接、訪ねて買ってきたものですが、
その日、マティスは
ニースに行っていて不在でした。
お留守番の娘のマルグリットが、
「残念ながら、いま父は不在ですが、
次の水曜日に帰ってくるので、
またいらしてみては、どうですか?」
と丁寧に対応してくれ、
さらには、家の中に招き入れて、
アトリエを見せてくださった、とか。
──
で、次の水曜日に再訪して‥‥?
吉川
ただ、そのときも、マティスに
「あなたの作品を、買いたいんです」
とお願いしたものの、
「いまは、譲れるものがありません」
と言われたそうなんですが‥‥。
虎次郎の熱意にほだされのか、
お嬢さんの部屋にかかっていた絵を、
譲ってくれたそうなんですよ。
──
それがつまり、こちらの作品。
吉川
そうですね。
マルグリットは、絵を手放すことを
とっても悲しがったそうです。
それをマティスがなだめて、
「わたしの描いた君の絵が、
日本に行くんだよ」と言って説得し、
譲ってくださったとのこと。
──
へええ‥‥!
吉川
虎次郎が集めてきた最初期の作品は、
多かれ少なかれ、
そうしたストーリーを持っています。
ひとつひとつの作品に、
ここへたどり着くまでの物語がある。
──
つまり、そのような物語の集積で、
この大原美術館はできている‥‥と。
吉川
わたしたちの恵まれているところは、
創立者の大原孫三郎と
児島虎次郎との出会いがあり、
さらに、世の役に立ちたいという
孫三郎の目標と、
日本人に西洋名画を見せたいという
虎次郎の熱意とが、
ぴったり合致したことだと思います。

──
本当に。お話をうかがっていると。
吉川
そして、その伝統は、
きちんと次世代に継承されています。
孫三郎の子である大原總一郎は、
1940年に
大原家の家督を相続して以降、
大原美術館についても
リーダーシップを執っていくんです。
──
具体的には‥‥。
吉川
總一郎は、この大原美術館を、
どういった美術館にしたいかという、
次の時代へ向かうビジョンを、
しっかり示してくれた人物なんです。
虎次郎が集めきれなかった作品、
つまり
近代西洋絵画の歴史を俯瞰したとき
抜けてしまっている部分を、
丁寧に埋めていく作業と並行して、
同時代の美術にも目を向け、
積極的に収集していく‥‥
という仕事に同時に取り組みました。
──
こちらの、モディリアーニは‥‥。
吉川
少しあとの収集ですが、
近代の穴を埋めたほうの作品ですね。

──
虎次郎さんが、パリを駆け回って
一生懸命に作品を買い集めていたとき、
すでに
美術館の構想ってあったんでしょうか。
吉川
少なくとも、
3回めのときに買い集めてきた作品を
倉敷で公開したときには、
美術館の構想は、もうあったようです。
建物の設計など、
具体的な話も出ていたそうですが、
ときは1920年代の後半で、
経済的に混乱の時期に入っており、
虎次郎自身も、画家として
大きな仕事を抱えたりしていて、
なかなか実現に至らなかった。
悲しいかな、
虎次郎が亡くなったことで、
一挙にエンジンがかかったんです。
──
他に西洋美術館が存在しない状況で
そんな話をしていたってつまり、
自分たちの美術館が
日本ではじめてのそれになることが、
わかっていたんですよね。はあ‥‥。
‥‥あ、キリコ。

ジョルジョ・デ・キリコ《ヘクトールとアンドロマケーの別れ》
© SIAE,  Roma  &  JASPAR,  Tokyo,  2022        G2790 ジョルジョ・デ・キリコ《ヘクトールとアンドロマケーの別れ》
© SIAE, Roma & JASPAR, Tokyo, 2022 G2790

吉川
はい、キリコです。
キリコは、
こういう作品を多く描いていますが、
なかでも、
かなり早い段階に描かれた作品です。
時代が下っていくと、このような
「わかりやすい絵」ではない作品が
たくさん描かれるわけですが、
当館では、
そうした新しい潮流の作品も
コレクションに取り入れていきます。
他に競合相手があらわれる前に
収集をはじめることができたので、
結果として、
素晴らしい作品が集まったんですね。
この作品なども、そうです。
──
ピカソの‥‥《鳥籠》。
吉川
1950年代に入ると、
特別展も開催するようになりました。
日本でいち早く開催されたピカソ展、
ルオー展、マティス展などの、
巡回展の会場になったりしています。
──
おお‥‥。
吉川
東京国立博物館からはじまって、
大阪市立美術館、3つ目が倉敷とか。
──
すごい。
吉川
当時は
地方の小都市とも言えないくらいの
規模の街ですけれど、
どこよりスタートが早かったことで、
西洋美術に触れる機会を、
たくさん提供することができました。
──
ピカソの巡回展ということはつまり、
世界各地からの歴史的名品が、
この倉敷に回ってきたわけですよね。
あ、スーティン。好きです。
菓子職人の人とか給仕なんかの絵が。
これは‥‥。

シャイム・スーティン《吊された鴨》 シャイム・スーティン《吊された鴨》

吉川
こちらは《吊るされた鴨》という作品。
鴨がロープに脚が吊るされて、
羽根をむしり取られたような絵です。
このあたりの
エコール・ド・パリの時代の作品は、
1950年代に、
当館にまとまって入ってきています。
──
それには、
何かのきっかけがあったんですか。
吉川
1920年代のフランスで美術誌を
発行したり、日本では
「フォルム画廊」を経営していた
福島繁太郎という人が、
エコール・ド・パリの作家の作品を
同時代的に収集していたんですけど、
そのコレクションの一部が、
まとまって入ってきているんです。
──
なるほど。
ああ、ルオーの《道化師(横顔)》、
有名な絵ですよね。
で、フォートリエの《人質》‥‥。

ジャン・フォートリエ《人質》
© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022        G2790 ジャン・フォートリエ《人質》
© ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 G2790

吉川
フォートリエは、第二次世界大戦中、
フランス国内で
レジスタンスのような活動に関わり、
逃げて暮らしていたそうです。
その間に、この《人質》という
捕虜や人質のシリーズを描き上げて、
戦後パリで発表し、
大きな反響を呼んだ作家なんですね。
──
題名が《人質》ということは、
反戦という意味もあったんですかね。
吉川
ええ、そうではないかなと思います。
捕虜や人質が虐げられ、
抑圧されている状況を描いています。
それまでの絵画には見られない、
特徴的な絵肌のつくり方をしてます。
その絵肌が、テーマとあいまって、
人質の「重苦しさ」を感じさせます。
──
次の《頭蓋骨のある静物》には、
ピカソの作品によく出てくる牛の骸骨が。
吉川
暴力の象徴だと思います。
ピカソは《ゲルニカ》を手がけたことで、
ナチから目をつけられてしまう。
なかば軟禁生活を強いられていたときに、
描かれた作品ですね。
──
なるほど。
吉川
骸骨は「死」を表します。
「牛」も暴力や欲望の象徴として
ピカソではよく描かれていますが、
この絵は一方で、
白い花も一緒に描かれているというのが、
特徴的だと思います。
──
あ、この上にかかっている大きな作品が、
虎次郎さんが最初に買った、
アマン=ジャンさんという作家の‥‥。
吉川
はい、《ヴェニスの祭》という大作です。
最初に買ってきたのは《髪》ですね。
アマン=ジャンは、フランスにおける
虎次郎の収集活動を支えたり、
作家活動にも助言を与えたりしていた、
虎次郎にとって、
さらには当館にとって大事な作家です。
孫三郎が大阪に別邸をつくるときに、
壁画を依頼しているのですが、
その際、
何点か依頼した壁画用作品のひとつが、
これであると判明しています。

──
ものすごく大きいです。
ヴェニスのお祭りを描いてるんですね。
ああ、ジョアン・ミロ。
不思議な魅力だなと、いつも思います。
吉川
そうですよね。
みなさん、よくそうおっしゃいますね。
これは《夜のなかの女たち》という作品。
──
何なんでしょう。
この人の絵をずっと見ちゃう感じって。
吉川
かわいらしいということもありますが、
拒絶されない、
歩み寄りたい気持ちにさせるところが、
ひとつの魅力かなあと思います。
──
ああ、なるほど。それは感じますね。
次は、ジャスパー・ジョーンズさんの
《灰色の国旗》‥‥これは、
つまりはアメリカの星条旗‥‥ですか。
吉川
ええ。
──
おそらく、さまざまな思いがあって、
「国旗」というものを、
灰色に描いているんだと思いますが。
吉川
星条旗というのは、誰もが知っている
記号的な視覚表現ですが、
それを美術作品のベースとするところが、
当時としての新しさであり、
ジョーンズの作家性なんだと思います。
──
国旗が灰色なのはどうしてなのかなとか、
この絵が書かれた1957年って
何があったっけとか、
いろいろ考えさせるものがありますよね。
そして、ポロック。有名人。

ジャクソン・ポロック《カット・アウト》 ジャクソン・ポロック《カット・アウト》

吉川
はい、とてもいいポロックだと思います。
比較的、早い段階に入ってきた作品です。
絵の具を垂らす手法はお決まりですけど、
この作品の大きな特徴は
ど真ん中を大胆に切り抜いているところ。
──
はい、このタイプは、はじめて見ました。
何だか‥‥すごくハッとします。
吉川
画面を絵の具で垂らして埋めていきつつ、
こうして切り抜くことで、
最後にもう一度「形」を取り戻している。
ポロックの次なるステップを予感させる、
そういう作品ではないでしょうか。

(つづきます)

2022-02-17-THU

前へ目次ページへ次へ
  • 常設展へ行こう!

    001 東京国立博物館篇

    002  東京都現代美術館篇

    003 横浜美術館篇

     004 アーティゾン美術館篇

    005 東京国立近代美術館篇

    006 群馬県立館林美術館篇