イスラエルを拠点に、世界的に活躍する
演出家、振付家、美術家のインバル・ピントさん。
これまで様々な日本の文学作品を題材に、
舞台を製作してきました。
佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』、
芥川龍之介さんの『羅生門』、
そして、11月から再演されるのが、
村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』です。
マジカルでいびつな舞台は、
観る人を不思議な世界に引き込み、
初日をみた村上春樹さんは
「美しい舞台でした。ありがとう」と
言葉を残されたそうです。
どのように、日本文学を
身体で表現しようと考えてきたのか。
舞台の稽古中に時間をいただき、お話を聞きました。
担当は、インバル・ピントさんの作品の
大ファンであるほぼ日羽佐田です。

>インバル・ピントさんプロフィール

(いんばる・ぴんと)

1969年生まれ。国立ベツァレエル美術アカデミー卒(グラフィック・アート)。 バットシェバ・アンサンブル、バットシェバ 舞踊団を経て 92 年に自らのカンパニーを結成。以来『オイスター』、『ブービーズ』など革新的で想像力に満ちた傑作を発表。

2000 年『WRAPPED』でニューヨーク・ダンス&パフォーマンス賞ベッシー賞を受賞。2007 年には、彩の国さいたま芸術劇場とカンパニーの共同製作により「銀河鉄道の夜」をモチーフとした『Hydra ヒュドラ』を世界初演。2016 年にはカンパニー作品『DUST』をさいたまで公演。オペラや演劇、CM の分野でも活躍。ミュージカル『100 万回生きたねこ』(2013)、『WALLFLOWER』(2014)、2020年と2023年には村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の演出・振付・美術を手掛けており日本でも積極的に活動を展開。

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第3回 好きなものはなんでも作れる。

インバルさんが幼いときに大切にしていた
物語はありますか?
インバル
幼少期に大切にしていた物語?
はい。
もしかしたら創作の原点になるような
作品があるのかなと思いまして。
インバル
なんでしょう‥‥
小さなころから小説や絵本は好きでしたが、
「創作の原点」という言葉でパッと思い出したのは
母の店のクローゼットです。
クローゼット。
インバル
母が古着や骨董品をあつかうお店をやっていたんです。
なので、母は素晴らしい衣装や帽子を集めていて、
それらが収納された大きなクローゼットがありました。
子どものころは何時間も
クローゼットに入り浸って、
いろんな衣装に着替えては、ある登場人物になりきって、
延々と「ごっこ遊び」をしていました。
それは楽しそうですね。
何時間でも遊べそうです。
インバル
とても楽しかった。
あと、私の両親はセンスがよかったんです。
家のなかには、いろいろな芸術作品がありました。
アーティストから購入したものもあれば、
父も「作る人」だったんです。
彫刻をしたり立体物をつくったり、
造形が得意で、ものすごく器用でした。
──
創作が身近だったんですね。
インバル
だから、私も作るようになったんでしょうね。
父は何か欲しいものがあると、すぐに手を動かす。
家だって作ってたんですよ。
──
そんな大きなものまで!
インバル
自分の部屋に窓が欲しくて、
父に頼んだら、すぐに窓をつけてくれました。
だから「自分の好きなものはなんでも作れる」と、
幼いころからあたり前に思っていました。
──
インバルさんがはじめて自分の手で作ったものは?
インバル
はじめて聞かれました。
なんだったでしょう‥‥
いつも絵を描いていたことは覚えています。
でも、具体的になにを作ったかは覚えていなくて、
なぜならいつも、いつも作っていたからです。

──
ずっと手を動かしていた。
インバル
粘土細工だったり、縫いものをしたり、
作ることは”日常”でした。
自然と手が動きましたし、
やりかたがわからなくてもとりあえず手を動かす。
やりながら習得していくんです。
──
想像するだけで、
わくわくする子ども時代ですね。
インバル
そうだと思います。
私が住んでいた場所は
イスラエルの北部で、海のそばでした。
庭が広くて、
いろんな果樹が植わっていました。
季節によって実る果物がさまざまで、
赤や黄色やオレンジ、
色鮮やかな場所でした。
──
とても美しい場所だったんですね、
インバルさんのやさしい表情から想像できます。
インバル
‥‥ありがとう。
そう、マジカルでしたね。
魔法のような家でした。
──
踊るのもお好きだった?
インバル
いつも踊っていました。
近所に踊りの先生がいたんです。
すぐに踊りに行きたいから、
先生のところへショートカットするために
窓を飛び越えて、すぐ踊って(笑)。
──
あはは、踊りたい気持ちが先走って。
インバル
踊りたくてたまりませんでした。
私にとって、ダンスは音楽とつながっていて、
音楽を聞くとイマジネーションがふくらみます。
家ではいつも音楽が流れていたので、
自然と踊るようになったのかもしれません。
ただ、まさかダンスを仕事にするとは
思ってもみませんでした。
作ることは好きでしたが、
アーティストになるとも思っていなかった。
とにかく私は、先に手や身体が動くんです。
作ったり踊ったりしているうちに、
いつの間にか今の仕事にたどり着きました。
──
はじめて舞台を作られたのは?
インバル
22歳のころでした。
踊りと絵を描くことを組み合わせた
舞台を作ってみようと思いました。
これは私の夢でもあったので、
完成したらアートスクールに入学して
しばらく勉強しながら道を探そうと考えていました。
でも、舞台を披露したあと、
ありがたいことに「別の作品をやらないか」と
声をかけていただいて、
上演するとまた別から声をかけられて‥‥
という繰り返しでここまで来ました。
──
その繰り返しのなかで、
日本の作品に出会われたんですね。
インバル
出会うべくして出会ったと思っています。
一緒にやる仲間たちとも
作品づくりに対する考えかた、モノの見方など、
はじめから通じ合う部分があり、
創作において大切なところでの
強い絆を感じています。

──
一括りにできませんが、
日本の妖怪などミステリアスな世界観と
インバルさんの作り出すものは、
相性がいいなと思っていました。
インバル
うれしいです。
私が手がけた作品には、
想像上の神秘的な生き物が登場します。
彼らにものすごく惹かれて、
多くのインスピレーションを受けて
作ったものがほとんど。
日本の文学は大好きです。
共鳴する部分がたくさんあります。
──
そうですか。
インバル
私は日本の美意識といいますか、
色彩感覚も素晴らしいと感じています。
ああ、そうだ。
こんな話を思い出しました。
私が初期のころに手がけた作品で、
踊りと色をテーマにしたものがありました。
好評で、はじめて海外でも公演することになり、
イタリアに行ったんですね。
そうしたら、ある女の子が終演後に
私のところまでやってきて、
亡くなった父親は画家で、
父との日々を思い出したと話してくれました。
私も”色”を通して、
さまざまなことを思い出します。
祖国の景色も、幼少期に過ごした庭の風景も。
色から物語がふくらんでいって、
私の人生を豊かなものにしてくれました。
日本にもそうした美意識があると感じます。
──
それは、独特なものですか。
インバル
はい。色彩感覚が独特ですよね。
デリケートで繊細、
芸術を深いところまで広げて、
余白を作ってくれる色彩だと感じます。
そういう感覚にさせてくれる
日本の文学作品との出会いに感謝しています。
──
ありがとうございます。
インバルさんの作品を観たあとに、
絵を描きたくなる理由がすこしわかりました。
インバル
あなたの絵が見たいわ。
──
『ねじまき鳥クロニクル』を観て、
なにか描けたらお見せしますね。
インバル
ぜひ、楽しみにしています。

(おわります。)

2023-11-14-TUE

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  • インバル・ピントさんが手がける舞台、
    『ねじまき鳥クロニクル』が11月より開幕。

    イスラエルの鬼才とよばれる、
    演出家・振付家のインバル・ピントさんによる
    舞台『ねじまき鳥クロニクル』
    11月に東京芸術劇場で上演されます。
    原作は、村上春樹さんによる長編作品。
    脚本を、共同演出も務める
    アミール・クリガーさんと、
    「マームとジプシー」の藤田貴大さんが、
    音楽を大友良英さんが手がけます。
    また成河さん、渡辺大知さん、門脇麦さんなど
    舞台で力を発揮している名優が
    演じ、歌い、踊ります。
    2020年に一度上演されましたが、
    コロナウィルスの蔓延により
    公演が中止になり、
    3年の時を経て、再演が決まりました。
    また、新しい視点で探求された舞台を、
    ぜひ劇場でご覧になってください。