座席数は、約200。
1981年、下北沢で開場した劇場「ザ・スズナリ」は、
「小劇場」と呼ばれる規模で続いてきました。
近年、大ホールで公演を重ねる多くの劇団が、
ザ・スズナリでの公演に力を入れています。
演じる人も観る人も惹きつける、
小劇場の独特な空気はどこから生まれるのでしょうか。
ザ・スズナリを含め9つの劇場を運営する
本多劇場グループ総支配人、
本多愼一郎(しんいちろう)さんにうかがいました。
インタビュアーは、自身も演劇経験のある、
ほぼ日の玉木がつとめます。

>本多愼一郎さんプロフィール

本多愼一郎(ほんだ・しんいちろう)

1975年、東京都出身。
劇団青年座研究所、
桐朋学園芸術短期大学演劇専攻を経て、
1999年「本多劇場グループ」に入社。
父、本多一夫さんが設立した劇場などの
運営を引き継ぐ。
劇小劇場、楽園の劇場の制作主任を担当後、
本多劇場グループ総支配人となる。

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第3回 劇場は動いている

──
劇場を貸す劇団を選ばないことも、
どんな方が使っても差は感じないということも、
すごくむずかしそうに思いますが、
本多さんは普通になさっていますね。
本多
そうでしょうか(笑)。
──
私は、たとえば「コロナ禍の劇場経営について」
のようなテーマで取材に行くと、どうしても
「文化のために、情熱を絶やさず
頑張らなければと思いました」
といった答えを期待してしまうんです。
ですが、本多さんは、
そういうところもわりとフラットというか。
本多
文化のような、大きなものに対して
自分がどうにかしなければ、
という思いは‥‥とくにないですね。

──
あははは、そうですよね。
本多
劇場って、演劇に関わる人にとっては、
まず「職場」だと思うんです。
だから、使えなくなったら
生活することが難しくなってしまいます。
同時にお客様にとっては、
たのしんだり、感動したり、
いろんな感情を得る空間ですから、
やはり突然なくなるわけにはいきません。
なので、コロナ禍のときは、
「いまを乗り越えるためにはどうするか」
をひたすら考えていました。
当時、社員はみんな自宅待機でした。
劇場は、建物としては存在していましたが、
誰も入っちゃいけなかった。
たまに入ると、ものすごく批判を受けました。
だから、シャッターを開けられなかったですね。
──
はあー‥‥。
あの時期は、感染症という怖いものを前にして、
それぞれの人のなかで
極端な考えが大きくなってしまっていたように
思います。
その結果「劇場に人がいる」ということに対して、
過度に心ない言葉を投げる人が
いたのかもしれませんね。
本多
でも、正直、もうあまり覚えていないんです(笑)。
基本的に、過ぎたことはほとんど覚えてないです。
──
いやぁ、そこも、
すごく魅力的だと思ってしまいます。
演劇も、ある意味では
「形のない、どんどん過ぎ去っていくもの」ですね。
でも、最初の「劇場の空気」の話に戻ると、
演劇は演じられた場所に
確実にストックされている。
本多さんの「そのときを乗り越えるために
一所懸命やっている」ということと、
「過ぎたことは忘れました」ということは、
裏表一体な気がします。
‥‥「あまり覚えていない」と聞いた手前ですが、
一応、コロナ禍にどういう取り組みをされたか、
訊いてもいいでしょうか。
本多
もちろんです。
ええと、まず、消毒。それから配信ですね。
あと、検温器や殺菌装置をたくさん買いました。
──
安全を担保した上で表現を続けるには
どうしたらいいかと考えて、
できることをやっていった。
本多
劇場を使うみなさんの不安を、
少しでも和らげないと、と考えるのは、
僕の立場では当たり前だったと思います。
だから、そのために必要なお金は使いました。
けっこう借金もしたんじゃないかな。
‥‥うん、借りましたね。
だんだん思い出してきました(笑)。

──
投資するときには、
どのぐらいのリターンがあるのかといったことは、
ある程度考えられましたか。
本多
それよりは「もうやるしかないな」
という気持ちが大きかったです。
──
そうですか。
失礼かもしれないですが、
「どうして、そんなに大変な思いをして、
劇場のお仕事をしているの?」
と言われることはないですか。
本多
あんまり言われないですね。
学生時代の同級生に会っても、別に言われないです。
──
本多さんは、週に何本かは
お芝居をご覧になるとうかがったのですが、
いまもそうですか。
本多
はい。週2、3本は観ます。
──
年間で数えると、けっこうすごい数ですね。
おいくつのころから、
そのペースで観ているのですか。
本多
23歳ぐらいですかね。
──
ということは、もう4半世紀くらい。
本多
若いころは週に1本が多かったですが、
それでも、観てはいました。
──
そうお聞きすると、お芝居について
すごく勉強熱心な方なんだなと感じますが‥‥。
本多
じつは、自分ではあまりそんな気がしないんです。
もちろん演劇は好きですが、
毎回の観劇で、演劇的なことを
学んでいるわけではないです。
純粋にお客さんとして観ています。
──
観に行った劇団に
「おもしろかったから、
次はうちの劇場でやりませんか」
といった声掛けをすることもないのでしょうか。
本多
僕はないです。劇団さんがどこで公演をするかは、
僕が選ぶことではないと思っています。
もちろん、劇団さんが無理をすることを避けるため、
コストの相談はします。
お金が続かないと、表現が続かないので。
──
表現を続けてもらうためにも、
劇団さんにとって、
経済的に無理のないタイミングを相談するんですね。
興行は、ひとつの公演で大当たりして
ドーンと有名人を出すイメージがありますが、
実際は、淡々と表現を続けていくことを
重視なさっているのでしょうか。
本多
はい、「継続」は大事に考えています。
劇団のみなさまとの関係性も、
できるだけ継続したいです。
──
公演1回きりではなくて、
この劇場と相性がよかったなという劇団さんには、
何度も使っていただけるように、と。
ここ、下北沢にもいろいろな劇場があるなかで、
劇団さんが「ザ・スズナリ」を選ぶ指標は
どんなところだと思われますか。
本多
また抽象的になってしまいますが、
やはり劇場の空気ですかね。
「この空気、空間のなかでこの劇をやりたい」と
思ってくださるかどうか、だけだと思います。

──
空気‥‥。
「これをしてしまうと、
劇場の空気が変わってしまう」
ということはありますか。
本多
閉めることです。
──
あぁ、動いてないこと。
劇場が開いていないこと。
本多
コロナ禍の時期、
どんどん劇場の空気がなくなっちゃったんですよ。
これだけははっきりと覚えています。
劇場を開けられるようになってからも、
客席で笑ってはいけないとされた時期も
ありましたから、
もとの「劇場の空気」に戻るまでには、
相当の時間がかかったと思います。
使ってくれる方、観に来てくれる方がいないと、
いくら劇場を持っていても、
劇場にならないことを痛感しました。

(明日に続きます)

2025-07-23-WED

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