「学士会館」のこと、知っていますか?
東京・神田、ほぼ日の本社から徒歩数分の
場所にある、歴史あるかっこいい建築です
(『半沢直樹』の最終回をはじめ、
さまざまなドラマのロケ地にもなっています)。
実はいま、道路拡張計画に伴い、
建物全体をガガガッと引いて動かす
「曳家(ひきや)」という方法での、
再開発工事がはじまっているんだとか。
そんなことできるの? いったいなぜ?
そのあたりについて、ほぼ日の乗組員みんなで、
神田のイベント「なんだかんだ」でも
お世話になっているまちづくりの専門家、
中島伸先生に教えていただきました。

この授業の動画は、「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

>中島伸さんプロフィール

中島伸(なかじま・しん)

1980年、東京都中野区生まれ。
都市デザイナー/東京都市大学准教授。
東京大学大学院工学系研究科
都市工学専攻修了、博士(工学)。
専門は、都市デザイン、都市計画史、
都市形成史、景観まちづくり。
中野区政策研究機構研究員、
(公財)練馬区環境まちづくり公社
練馬まちづくりセンター専門研究員、
東京大学大学院工学系研究科
都市工学専攻助教を経て、現職。

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(6)都市計画って、揉めたりしないの?

──
せっかくなので他のメンバーからも、
まちづくりについての疑問を、
聞かせてもらえたらと思うんですが。
中島
はい、もちろんです。
──
都市計画って、どんな理由で
はじまるものなんでしょうか?
というのも、今日お話をお聞きしてて、
けっこうお金とすごく関わってるのかなと
思ったんです。
「公共の福祉」と表現されている利益の部分って、
「みんなお金持ちになれますよ」みたいな理由で
行われることが多いのかなと思ったんですけど。

中島
いえ、そんなこともないんです。
「都市を計画する」って、広い意味では
古代の権力者がやる都市計画とかからあるんですけど、
僕らがいま扱ってるのは
近代以降の都市計画だと思うんですね。
近代以降の都市計画は
「土地はそれぞれの人たちが持っていて、
王様の絶対的な権力とかで動かすことはできない」
というのが前提。
そのなかで、まちを改善しなくちゃいけない
ときがあるわけです。
近代都市計画はヨーロッパからはじまりますけど、
産業革命とかで、工場や住宅がぐしゃぐしゃに建てられて、
まち全体の環境が悪くなってきた。
これをどうよくするか、
どうしたら公衆衛生を空間的に改善できるかという
考えのもと、都市計画ははじまっています。
だから最初は
「不衛生じゃない環境をつくる」ということで、
建物のバランスのコントロールや、
オープンスペースとしての
道路や広場の建設などからはじまったんです。
その後、自動車社会になるので、たとえば
「馬車の道路幅のままでは対応できなくなる!」とか、
渋滞などの交通問題とか、
大気汚染など公害の問題が出てきたり。
そういう具体的な問題に、
物理的にどう対応するかというのが、
けっこう近代の都市計画でした。
──
ひとつずつ問題と向き合って計画していたんですね。
中島
だけどいま21世紀になって、たとえば
「温暖化対策のために緑を増やそう」とか、
別の課題も出てきてて。
また、ただ問題を解決するだけでなく
「より居心地のよい、質の高い暮らしにつながる
環境はどうつくれるか」とか、
「誰もがいたいと思える場所をどうつくるか」
「人間中心の都市にちゃんと変えていこう」とか、
テーマはけっこう変わってきてます。
そして、そのとき人が動いてくれる理由として、
圧倒的な権力でガッと押さえつけることとかは
できないので、
「少しお金がいい形で回るよ」とかはいま、
みんなが動く理由になりやすい
というところかなと思います。
──
理解しました。ありがとうございます。
──
さきほどお話にあった、関東大震災後の
「バラック建築」の席替えみたいな区画移動のときって、
「ほんとは私ここがよかった」とか、
揉めたりしなかったんでしょうか?
中島
そこは当然、揉めたりもあったはずです。
ただ一方で、戦後すぐくらいの時期だと、
行政にすごく力があったというか、
「まちをよくするために、あなたはあっちです」
とか言うと、みんながある程度従う部分が、
いまよりずっと強かったんじゃないかとは思いますね。
とはいえ、行政もまちの様子をわかっているので、
どうすれば齟齬がないかとか、そういうことは昔から、
常に気にしながらやってます。
区画整理自体は、いまも事業としてあって、
たとえば東日本大震災のあとも、
当然おこなわれたわけですね。
そこでもやっぱり、関わる人が
いろいろ思うのは当然ですから、
丁寧に丁寧に、一人ひとりの話を聞きながら
「どうされたいですか」
「じゃあ、ここはどうですか」
みたいにやりとりをしながら行われていたと聞きます。
なので昔はけっこう、バーッと決めていく
やり方も多かったと思うんですけど、
それでもやっぱり、まちのことを何も知らずに、
くじ引き的に決めてたかというと、
そうではなくて。
土地の大きさや形などの条件が変わったりに対して、
個別に補償費を出したりなど
「ある程度はお金でもカバーする」
というやりかたでやってきてるはずですね。

──
ドラマとかを見ていると、立ち退きみたいな話って、
「決まった話に従うしかない」みたいなイメージが
勝手にあるんですけど。
中島
まあでもやっぱり、そういう面は
どうしてもあると思います。
都市計画って「100パーセントの合意は取れない」
ということを前提に進んでいくものですから。
だから、都市計画全体のなかで決めることを、
法律としてOKにしてるんですけど、
これがまた、すごくむずかしい話で。
特に戦後、憲法と都市計画って
ぎりぎりのところでせめぎ合ってやってきたんです。
──
そうなんですか。
中島
都市計画の理念は「公共の福祉」で、
都市計画というのは、もちろん
公共の福祉のために行われるわけです。
つまり、まち全体や社会全体のために、
道路が必要だったらつくれるようにしてるわけです。
でも一方で、さっきの
「都市計画道路」や「区画整理」の話みたいに、
移転させられることとかも起き得ますよね。
一方で憲法は、個人の財産を保証しています。
だから本来、この個人の財産を、
国とか行政、政府が一方的に収奪したりって、
憲法上できないんですよ。
だけど、それだけだと都市計画をすすめたり、
まちをつくったりって絶対できないので、
「『公共の福祉』の範囲においてはやっていいよ」
という条件つきなんです。
そこが常にせめぎ合ってて、
当然行き過ぎたり、個人の立場からしたら
「横暴だ!」と思うケースもあるから、
当然ドラマにもなるんだと思うんです。
なのでそこって非常にむずかしくて、
すごく丁寧に扱わなきゃいけないテーマなんですよ。

──
私、長野出身で、長野オリンピックのときに、
通学路に「オリンピック道路」ができたんですね。
そのとき、そこにかかる家の人たちが
全員引っ越さなくちゃいけないのを見てたんです。
で、おとなたちが
「あの家はオリンピック道路で儲かるな」
って言ってるのを聞いて、
「あ、こういうこともあるんだ」と思って(笑)。
中島
そうですね。いや、わかります。
一方で、そうなんです。
移転するときに、追い出される面も
あるかもしれないけれど、
移転補償費とかがしっかり出る場面もあるので、
思わぬ現金収入になったりも起こります。
そういう部分からも、
常にけっこうなドラマがあるんですよね。
あと補償費については、実は戦災復興のときの
東京の区画整理の補償費の問題って、
すごく難しかったんです。
というのも戦後、高度成長期に入って、
土地の値段が当然どんどん上がりますから。
計算するタイミングが1年ずれるだけで、
額が全然変わりますよね。
──
たしかに。
中島
なので、その移転補償費をめぐった裁判が
すごく長く起きてて、実は20世紀中には
判決しきらなかったんです。
土地の移動、敷地の変化、権利変換もどんどん起きてて、
まちには建物が建ちあがってるんですけど、
その清算金をめぐった事務処理の裁判って、
すべてが解決したのは21世紀になってからなんです。
──
本当にドラマになりそうなことが、
たくさんあったんですね。
中島
本当にそうなんですよ。
──
ちなみに、私の田舎の家の周りは田んぼがすごい多くて、
土地区画整理事業が入ってて、
農地にすることを推奨してるエリアなんです。
でも、高齢化も進み田んぼをやる人がいなくなってきてて、
すっごい土地が余ってるんですけど、
家を建てたくても建てられない。
「それがあるせいで、新しい人たちが
入ってきてくれないんだよ」
みたいなことを親が言ってるんです。
中島
たぶん都市計画のなかで、
「市街化を進めている場所」と
「市街化はなるべくいったん止めておき、
農業とかでやりましょう」みたいに
場所の区分けがあるんです。
市街化しないように調整している区域側だと、
開発は基本的に許可制になっててすごくしづらいので、
そこの線引きによるものかなと思いますね。
──
その線引きが変わることってあるんですか?
中島
あまりないと思います。
というよりむしろ、まち自体はいま、
どんどん縮小しているんで、
市街化するような場所を増やすことは、
あんまり推奨されない感じがしますね。
なので逆に、その農地をうまく使って建物を建てて、
人に住んでもらうのとは別のやり方が
あるかもしれないです。
あとは、いろんな話をプロモートしてつなげるとか、
なにか方法はあるんじゃないかとは思います。
まあ、いまざっくり聞いたなかでの感覚ですけど。
──
そうですよね。ありがとうございます。

(つづきます)

2025-04-20-SUN

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  • 「学士会館」って、こんな場所。

    旧帝国大学の出身者などによる同窓団体
    「学士会」の親睦の場として建てられた建物。
    現在は会員以外の一般利用者にも開放。
    宴会場、結婚式場、ホテル、レストラン&バーなどの
    機能を持つ複合施設として活用されていた。
    2025年現在、老朽化による再開発のため
    閉館中(一次休館)。2030年頃再開予定。

    また、学士会館は2025年3月26日付けで、
    「東京都指定有形文化財(建造物)」
    に指定されました。

    学士会館デジタルアーカイブ

    「なんだかんだ」のこと。

    中島先生は、神田の路上実験イベント
    「なんだかんだ」の運営メンバー。
    神田ポートビル(「ほぼ日の學校」スタジオが
    入っている場所)の前の道路に200畳の畳を敷き、
    通行止めにして、さまざまなパフォーマンスや
    ワークショップなどが行われる楽しいおまつり。
    「道路でこんなことができるんだ!」があって
    たのしいので、ぜひ来てみてください。
    ほぼ日も、毎回参加させてもらっています。
    (詳しくはこちら)