「学士会館」のこと、知っていますか?
東京・神田、ほぼ日の本社から徒歩数分の
場所にある、歴史あるかっこいい建築です
(『半沢直樹』の最終回をはじめ、
さまざまなドラマのロケ地にもなっています)。
実はいま、道路拡張計画に伴い、
建物全体をガガガッと引いて動かす
「曳家(ひきや)」という方法での、
再開発工事がはじまっているんだとか。
そんなことできるの? いったいなぜ?
そのあたりについて、ほぼ日の乗組員みんなで、
神田のイベント「なんだかんだ」でも
お世話になっているまちづくりの専門家、
中島伸先生に教えていただきました。

この授業の動画は、「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

>中島伸さんプロフィール

中島伸(なかじま・しん)

1980年、東京都中野区生まれ。
都市デザイナー/東京都市大学准教授。
東京大学大学院工学系研究科
都市工学専攻修了、博士(工学)。
専門は、都市デザイン、都市計画史、
都市形成史、景観まちづくり。
中野区政策研究機構研究員、
(公財)練馬区環境まちづくり公社
練馬まちづくりセンター専門研究員、
東京大学大学院工学系研究科
都市工学専攻助教を経て、現職。

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(4)バンバン「曳家」をしてた時代。

──
ちょっと「曳家(ひきや)」の話に
戻れればと思います(笑)。
中島
戻りましょう、戻りましょう(笑)。
──
学士会館の場合は、拡幅道路ぶん動かすんですか?
中島
そうですね。いま飛び出て見える部分を
4メートルくらい内側に動かすかたちですね。

──
「曳家」の利点ってなんですか?
中島
建物を解体せずにそのまま残せることですね。
ほかに「移築」ってありますけど、
これは建物をいちど全部、部材にバラバラに解体して、
もう一回組み直すやりかたです。
たとえば、木造建築は部材にばらしやすくて、
けっこう移築しやすいんです。
けど逆に、学士会館のような石やコンクリートで
造ってるものは、ばらしようがないですよね。
なので動かす方法がとられることがあります。
──
「移築」より「曳家」のほうが、
安く済んだりするんですか?
中島
そこはものによりますね。
ばらしやすいものだとばらしたほうが安いと思います。
学士会館は、とてもじゃないけどばらせないので、
「曳家」になったんだと思います。
でも、実は日本でも「曳家」がもっと
ポピュラーだった時代があって、
木造建築などの簡易な建物でも
「曳家」してたんです。
神田とか東京でも、バンバン「曳家」してて。
──
そんな時期が。
中島
ちょっと写真を見ていただこうかなと
思うんですけど。
こちら、学士会館ができた頃、
関東大震災後の皇居前です。
並んでいるのは震災で避難してきた人たちが
つくった仮設住宅です。

中島
焼け出された人たちが最初、
その辺にある材料を使って急場を凌いだんですね。
こういう仮設的な掘っ立て小屋みたいなのを
僕らは「バラック建築」と呼ぶんですけど。
そしてこれが関東大震災の後の「帝都復興」、
復興事業で道路を作ってるときの
神田あたりの計画図です。
黒い部分が拡幅・新設されてるところ。
靖国通りが拡幅されたり新設されたり、
御茶ノ水のところにも新しい道がつくられてますね。

※東京市役所(1931)『帝都復興区画整理誌 第三編 第一巻』より ※東京市役所(1931)『帝都復興区画整理誌 第三編 第一巻』より

──
そのタイミングで、
新しい道もけっこうできたんですね。
中島
関東大震災の後、道や町割(まちわり)も
けっこう改造したんです。
そうすると、改造しつつの区画整理なので、
「あなたはこの場所に移ってね」とか
移転もしなくちゃいけない。
そのとき使われた方法が「曳家」なんです。
この写真は関東大震災後のバラックの本建築。
1階建ての平屋で、これならある程度住めるよ、
というものですけど。
建物の基礎のところ、ちょっと浮いてませんか。
──
土台のところに、なにかありますね。

中島
乗ってる感じがしますよね。
礎石、つまり石の上に乗ってるんだと思うんですが、
これ、このまま持ち上げて「コロ」を挟むことで
ゴロゴロと動かせるんですよ。
だいぶ原始的な方法ですけど。
──
えっ、そんなことしてたんですか。
中島
はい。それで「あなたはこの場所」と
決まったところまで転がして、
そこでもういちど建て替えた人もいるし、
「しばらくこの建物でいいです」
という人は、そのまま住んで。
──
席替えみたいですね(笑)。
中島
そう、まさに席替えのように、
町中に「曳家」されていったらしいです。
さきほどのこの写真とかも、
まさに「曳家」されてたことがよくわかるんですけど、
復興でつくった大通りですね。

──
中央に、ずらりと住宅があります。
中島
そう。計画により道が拡幅された場所に、
最初はみんながこんなふうに仮設的に
「バラック建築」を建てていたんです。
で、場所が決まるとみんなここから自分の場所まで
「曳家」や「移築」で動かしたんです。
いまで言う「避難所」とか「仮設住宅」って、
用地が取れないので、とりあえずみんな
こういうところにバーッとつくって、
生活しながら復興を待ってたわけです。
それを具体的に動かして、こうなったという。

──
すごい。きれいさっぱりなくなってますね。
中島
だから「曳家」って、戦前くらいだと
けっこうメジャーな家の移動手段だったんです(笑)。
まあ、家の移動手段ってほぼないと思うんですけど。
──
はじめて知りました。
中島
あとは今回の学士会館みたいに
「曳家」を含めた再開発をやっている例で
ご紹介したいのが、横浜ですね。
横浜も港町だから近代的な建物がけっこうあって、
その歴史を生かしたまちづくりをしているんです。
関東大震災や第二次世界大戦の空襲で、
被害も受けてるんですけど、
それでもけっこう残っていて、
これは第一銀行の横浜支店として建ってた建物を、
170メートル動かしたものですね。

──
めっちゃ動かしましたね(笑)。
中島
そしてこれもまた、
後ろの敷地と合わせて再開発することで、
うまく建物の保存をしているんです。
後ろに高層建物を建てて、さらにいま、
その向こう側に新しく移転してきた
横浜市役所があるんですけど、
そういうやり方で建物を残してます。
──
つまり、その建物も含めて再開発をした?
中島
そうなんです。
そしていま、この部分はホールになっていて、
借りて使ったりもできます。
僕も横浜で学会をやったとき、
海外からの研究者たちをここに集めて、
レセプションパーティーをやったりしました。
こんなふうに建物を保存して使っていくのも
すごく大事なんですよね。
歴史を伝え、建物も活用していくという例です。
──
大事な建物を保存するときって、
国や都道府県、市町村とかがお金を出して
守っていくというより、
まち全体で開発を進めて
お金を獲得していくものなんでしょうか?
中島
そうですね。
日本ではけっこうそれが主流というか、
ひとつの方向になってますね。
というのも、実は日本って他の国に比べて
歴史的な建造物や文化財を守っていくための
予算の割合が低いんですよ。
すごく少ない中で、やりくりする必要があって。
──
そうなんですか。
中島
もちろん、なかでもみんなが強く
価値を感じているものは、
国の予算や税金で保存している部分もあります。
ただ、そうやってすべての歴史的な建造物を
文化系の予算で守れれば、もちろんそれに
越したことはないですけど、
まかないきれない場合がたくさんあるんです。
そのときに活躍してるのが、民間の資金なんですよね。
──
へえー。
中島
で、その民間の資金をうまく投入できるように
するための動機づけになるルール、
仕組みづくりなどは、
国もけっこうやっていますね。
逆に言うとそこは、予算がなくてもできるので。

(つづきます)

2025-04-18-FRI

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  • 「学士会館」って、こんな場所。

    旧帝国大学の出身者などによる同窓団体
    「学士会」の親睦の場として建てられた建物。
    現在は会員以外の一般利用者にも開放。
    宴会場、結婚式場、ホテル、レストラン&バーなどの
    機能を持つ複合施設として活用されていた。
    2025年現在、老朽化による再開発のため
    閉館中(一次休館)。2030年頃再開予定。

    また、学士会館は2025年3月26日付けで、
    「東京都指定有形文化財(建造物)」
    に指定されました。

    学士会館デジタルアーカイブ

    「なんだかんだ」のこと。

    中島先生は、神田の路上実験イベント
    「なんだかんだ」の運営メンバー。
    神田ポートビル(「ほぼ日の學校」スタジオが
    入っている場所)の前の道路に200畳の畳を敷き、
    通行止めにして、さまざまなパフォーマンスや
    ワークショップなどが行われる楽しいおまつり。
    「道路でこんなことができるんだ!」があって
    たのしいので、ぜひ来てみてください。
    ほぼ日も、毎回参加させてもらっています。
    (詳しくはこちら)