
新しい登山の形「フラット登山」や、
三拠点生活など、
自然や地方との関わりのなかで、
ご自身にとっての心地よい生活のしかたを模索している
ジャーナリストの佐々木俊尚さんと、
糸井重里が久しぶりに会って話しました。
話は、「ホーム」をどう考えるかにはじまり、
地域との関わり方から、
働き方、人生の終わり方にまで及びました。
これから先、より心地よい生活を
送っていくにはどうすればいいか、
あなたも一緒に考えてみませんか?
佐々木俊尚(ささき・としなお)
作家・ジャーナリスト。
1961年兵庫県生まれ。
毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経て、
フリージャーナリストとして活躍。
テクノロジーから政治、経済、社会、
ライフスタイルにいたるまで発信する。
「フラット登山」を考案。散歩でもない、
ロングトレイルでもない、新しい登山の形を提唱している。
著書に『フラット登山』(かんき出版)のほか、
『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)、
『そして、暮らしは共同体になる。』
(アノニマ・スタジオ)などがある。
7「日常的な習慣」から信頼が生まれる。
- 糸井
- 登山をして身体的エネルギーを注ぎ
お金も使っている人は、
何かを得てるんですかね?
得てなくてもいいのかな?
- 佐々木
- うーん、何かを得てる実感は特にないと思います。
足が疲れるだけなので。
長い間やっていれば
体力はつくと思いますけど、
それを目指して登山をする人はいないと思います。
- 糸井
- 循環という発想から考えると、
得ているのは「楽しかった」という体験ですね。
- 佐々木
- 楽しかった、はすごくあります。
どちらかというと気持ちよかったですね。
「今日の山は最高だったよね」みたいな。
- 糸井
- いいですね。
- 佐々木さんは
登山以外の趣味を持っていますよね。料理とか。
仕事は自分の楽しみになっていますか?
- 佐々木
- 書籍の原稿を書いてるときが、一番楽しいです。
原稿を書くのがすごく好きなんです。
- 糸井
- えー。ぼくは全部の仕事が苦しいですけど(笑)。
- 佐々木
- いやいやそんな(笑)。
- 実はぼくも10年ぐらい前までは
「もっと一般ウケしなきゃ」とか、
「マスにリーチしなきゃ」みたいに考えていて、
原稿を書くのがつらかったんです。
でも震災以降の空気感の変化や、
さきほどの「島宇宙」的な小さいコミュニティに
発想が移行していくなかで、
自分の本がマスにリーチしなくていいと思ったんです。
ぼくが本を書いてると認識してくれる人たちが
何万人かいて、
その人たちにリーチできたら、
別にその外の世界につながらなくてもいいかなと。 - そうすると自分の好きなものだけ書けばいいので、
つらくないですね。
- 糸井
- あ、いま気づいたんだけど、
佐々木さんはメルマガが「ホーム」ですね。
- 佐々木
- そうですね、メルマガは
自分の思考の経路みたいなものです。
- 糸井
- ぼくはそのメルマガの購読者ですけど。
ものすごく丁寧なメルマガですよね。
何人かで作るようなことを
1人でやってますよね。
- 佐々木
- 長く読んでいただいてありがとうございます。
誰も手伝ってくれないので1人でやってます(笑)。 - あとはメルマガに加えて
音声配信プラットフォームの「Voicy」での配信を
ここ4年続けています。
毎日欠かさず10分ぐらい配信してます。
- 糸井
- すごい。
- 佐々木
- 今フォロワーが3万8000人ぐらいいて、
メルマガになる前の思考の萌芽というか、
種みたいなものをしゃべっています。 - しゃべっている内容は
AIボイスレコーダーで書き起こしておくんです。
書き起こしたテキストは貯めておいて、
それをメルマガに昇華させていくんです。
Voicy、メルマガ、書籍に形を変えていくという流れです。
- 糸井
- 素晴らしいですね。
佐々木さんにとってのVoicyは言ってみれば、
ホットケーキづくりにおける
焼く前の材料をボウルの中で混ぜてる段階のものですよね。
それはどんなものかのぞきたいなぁ。
- 佐々木
- しゃべってるうちに気づきがあるんですね。
Voicyを聞いている人から
「思考の最初の引っかかりがどこにあったのかが
わかります」と言われたことがあります。
- 糸井
- ぼくの話をすると、
下手なまま文章を書いて
発表しているんですよ。
- 佐々木
- 糸井さんの文章は下手じゃないですよ。
- 糸井
- 上手に書く、
つまり商品になるように作るのが
コピーライターのときの仕事でした。
でもインターネットが出てきてからは
商品になる前のものを発表できるなと思ったんですよ。
- 佐々木
- なるほど。
もっと生っぽい文章というか。
- 糸井
- 中途半端なものでごめんねと思いながら
原稿を書いてたんですけど、
いつからか「これでいいな」と思うようになったんです。
いまの自分の文章は、他人から見ると
「ここが下手だな」とか「ここについて考えてないな」
と思われることも含めて、
自分の文章だと思うようになった。
- 佐々木
- それは、すごくわかります。
AIの時代だからこそ
粗削りなものが必要だという考え方があります。 - 将来の仕事として、
「生成AIに描かせた漫画を
人間が手描きで描き直す仕事ができるんじゃないか」と、
Ⅹで誰か書いてたんです。
筆致の揺れのようなところや
雑なところが人間らしさになると。
確かにそういう時代が来るかもしれないですよね。
- 糸井
- それは、ポロシャツに手刺繍を入れるような
仕事ですね。 - いま気がついたんだけど、
佐々木さんは下請け仕事をしてないですね。
つまり仕事の決定権を自分で持っている。
- 佐々木
- かっこよく言えばそうですね。
- 1回だけ編集者と喧嘩したことがあります。
こういう本を書いてと依頼されて、
引き受けたんですね。
書いてみたら全然違う内容になったんですよ。
その原稿を編集者に渡したら
「これはうちでは出せません」と断られた。
- 糸井
- それこそ、AIは全然違う内容の原稿は書きませんよね。
- 佐々木
- そうですよね。
AIは誰もが満足するものを生み出すもので、
飛び抜けた外れ値は生み出さないですね。
知り合いの元グーグルのエンジニアの
及川卓也さんが
「AIが大事にしてるのは
単なる平均値じゃなくて評価関数が加わってる」と、
ブログで書いていたんです。
評価関数というのは
人からちゃんと評価されるかどうかの基準のことで、
それがAIにはあるらしいんですよ。
- 糸井
- へぇーっ。
- 佐々木
- それで思ったのは、
19世紀終わりに絵画の世界に印象派が登場した頃、
モネがさんざんに言われていたことです。 - 当時、「印象派」という言葉自体が
人間の印象だけで絵を描いているように解釈され
「未熟だ」とか「未完成だ」と言われていたんだそうです。
印象派が登場したぐらいの時期に
生成AIがあったとして
素晴らしい絵を描かせたとしたら、
印象派の絵を描いたかというと
絶対に描かなかったと思うんです。
なぜなら印象派の絵の評価関数がゼロに近いから。
つまり基準がないからAIには描けないんです。 - そう考えると、
人間の仕事として評価関数のない、
ゴッホのように生涯評価されないまま終わる人が
描く絵というものが、
逆に大事なんじゃないかなと思うんですよ。 - われわれにとって大事なのは、
外れ値であり、
大きくは評価されない仕事なんじゃないかと。
収入が得られないと生活していけないので、
ある程度の収入が入るほどの
小さいコミュニティでいいと言われるくらいの
評価でいいという発想です。
- 糸井
- なるほど。
いまは、評価を得るためのことを
みんなが必死になって考えてる時代だと思うんです。 - だけと瞬間的な評価って、
恐怖とか危機意識と裏表になってたりすると
思うんですよ。
例えば「何月何日に大噴火が起こるぞ」という話が
ありますよね。
それが話題になっている時期、
危険を避けるために「こうするといい」という情報は
評価が飛び跳ねるように上がると思うんですよ。
- 佐々木
- ああ、
砂漠をさまよってる人に飲ませる水のようなものですよね。
- 糸井
- だから評価関数で考えるのは違うなと。
ぼくはとにかく瞬間的な評価を排除することを
ずっとやってきたつもりです。
- 佐々木
- 糸井さんと同じような危機意識をぼくも持っていて、
そこには「信頼」とかの要素が必要なのかなと思うんです。 - 例えば最近だとⅩでバズることがあると、
誰も知らない人が
一気に10000回ぐらいいいねをされる。
そうすると評価関数がワーッと上がるわけです。
でもその人の次の投稿が読まれるかというと、
そうでもない。
つまりおすすめに出てくるからみんなが見るだけで
その人が評価されたわけではないんです。
結局、評価されたことは
何の役にも立ってないんですよね。
- 糸井
- そうですね。
- 佐々木
- そこを乗り越えるためには
信頼関係しかないと思うんですよね。 - アリストテレスの『弁論術』という本の中に、
「政治的な議論に必要なものに、
パトスとロゴスの2つがある」と出てくるわけです。
感情と論理ですよね。
でもこの2つだけだとだめで。
なぜかというとパトスに走り過ぎると
ポピュリズムになっちゃう。
だけどロゴスだけ、
つまり論理だけだと人は納得しない。 - そこにもう1つ必要なのがエトスだと。
エトスの本来の意味は
「日常的な習慣」ということらしいんです。
つまり日常的な習慣の中に入り込んで
関係性を作っていくと、
そこに信頼が生まれる。
その信頼こそが大事ということです。
- 糸井
- それはものすごく、わかります。
- 佐々木
- ぼくのメルマガは2008年にスタートして
17年続けていて、
1回も休んだことないんです。
月曜日17時に絶やさず配信しています。
ちゃんと出すのが信頼になるからです。
さっきのVoicyもこの4年近く、
無料で1日も休まず朝7時に。
- 糸井
- はあー。
それはぼくもほぼ日に書くことを
27年間、1日も休んでない。
- 佐々木
- 糸井さんも書き続けていますよね。素晴らしいです。
- 糸井
- ほぼ日で最初に原稿を書き始めたときから、
休まないつもりだったんですよ。
なぜかというと、
ぼくは広告出身なんで信用がないと思っていまして。
信用してもらうには頑張るしかないと思って、
とにかく休まないと決めたんです。 - つまり、料理屋に行ったときに
親父がいないとがっかりするんですよね。
親父が月曜日から土曜日までお店にいるのに
日曜日に休んでるだけでも、
日曜日に来た人は
「いないんだ」とがっかりするんですよ。
- 佐々木
- 「あの人に会いにいったのに、いないのか」
という落胆ですね。
- 糸井
- そうです。だから毎日やることにしたんですね。
このあたりの信用とか信頼の話を考えていくと、
結局、論語に行き着くんです。
- 佐々木
- 論語(笑)。つまり人間は
2000年以上進化してないってことですかね。
- 糸井
- そういうことです。
吉本隆明さんが、人間が考えることで大事なことは
4世紀までに考え尽くされたって言ってました。
- 佐々木
- そうかもしれませんね。
- 19世紀20世紀の産業革命から経済成長の時代に
我々にいろんな修飾物が増えていって、
巨大化してしまったものがある。
マスメディアも巨大化したものの一つだと思うんです。
それがネットの時代になってはぎ取られて、
もう1回裸に戻りつつあるというのは、
あるかもしれないですね。
- 糸井
- 細密に書き過ぎたおかげで、
裸体が見えてきた。
- 佐々木
- そうなんですよ。
インターネットは、
権威とかあらゆるものをはぎ落として、
裸にしていくものだと思っています。
そういうことがいま起きてるのかなあと。
- 糸井
- ずっと漠然と考えていた話を
佐々木さんとしているのが、
ぼくは楽しくてしょうがないです。
- 佐々木
- ぼくも楽しいです、とても。
(明日につづきます)
2025-10-26-SUN
-
佐々木俊尚さんの新刊

気負わず、できる範囲で山を楽しんでほしいという、佐々木さんが新しい登山のかたちを書いた『フラット登山』(かんき出版)。どんな装備を用意したらいいかから、どんなコースを歩いたらいいかまで、かなり実践的な内容です。佐々木さんのパートナー、松尾たいこさんによる装画もさわやかで、山に行きたくなります。
