新しい登山の形「フラット登山」や、
三拠点生活など、
自然や地方との関わりのなかで、
ご自身にとっての心地よい生活のしかたを模索している
ジャーナリストの佐々木俊尚さんと、
糸井重里が久しぶりに会って話しました。
話は、「ホーム」をどう考えるかにはじまり、
地域との関わり方から、
働き方、人生の終わり方にまで及びました。
これから先、より心地よい生活を
送っていくにはどうすればいいか、
あなたも一緒に考えてみませんか?

>佐々木俊尚さんプロフィール

佐々木俊尚(ささき・としなお)

作家・ジャーナリスト。
1961年兵庫県生まれ。
毎日新聞記者、月刊アスキー編集部を経て、
フリージャーナリストとして活躍。
テクノロジーから政治、経済、社会、
ライフスタイルにいたるまで発信する。
「フラット登山」を考案。散歩でもない、
ロングトレイルでもない、新しい登山の形を提唱している。
著書に『フラット登山』(かんき出版)のほか、
『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)、
『そして、暮らしは共同体になる。』
(アノニマ・スタジオ)などがある。

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完全なる客観はなくなった。

糸井
ぼく自身はいま、
「自分というものは、環境も含めて自分なんだ」と
強く思うようになっているんです。
住んでる場所から服から、友達から、
その仕事で影響を与え合う場所から、
記憶も含めて、全部自分なんです。
その意味で、これまで都会にこもっていたのに
いまは外に興味が向いているんですよ。
佐々木
ああ、そうですよね。
地方に行くと、
群馬やぼくが行ってる福井なんかもそうですけど、
人間関係の在りようも違うし、考え方も全然違う。
昔は東京で仕事していて
自分がまるで世界の中心にいるかのような
錯覚を覚えてたんです。
だけど、気がついてみると
それは東京の一部の話でしかなくて。
もっと違う価値観の世界がたくさんあることに
気づいたのは、自分にとって大きかったです。
糸井
佐々木さんでもそう思ってましたか?
佐々木
思ってました。
新聞記者の時代とか。
「俺がこの世界を作ってる」ぐらいに
勘違いしてましたから(笑)。
糸井
笑い話みたいになりますけど、
ぼくも東京のことを日本って言ってましたよ。
佐々木
東京は日本のごく一部のことなのに。
糸井
まあ『TOKIO』っていう歌を作ったし、
事務所の名前は「東京糸井重里事務所」でしたからね。
東京というローカルが世界に通じるんだってことの
面白さを表現したつもりだったんですよ。
それが勢い余って、
自分の狭いキョロキョロしてる範囲だけが
世界に見えてた時期がありましたね。

佐々木
東京も、サンフランシスコやニューヨークも、
タイのバンコクでも上海に行っても
スターバックスがあったりして、同じような文化がある。
ある部分から見れば、たいして変わんないですよね。
日本とサンフランシスコの違いよりも
東京と福井の違いのほうが大きいなと思ったりする。
カズオ・イシグロというイギリスの作家が
「縦の旅行と横の旅行」という
秀逸なことをおっしゃっているんです。
みんな、横の旅行をして世界を知った気になると。
横の旅行というのはニューヨークに行ったり
サンフランシスコに行ったり、ロンドンに行ったりとか。
でも目のまえにある貧困のような
縦の世界を旅行しなければ
世の中をわかったことにならないとおっしゃっていて、
なるほどなあと思いました。
糸井
立体化して見ることが大切というか。
佐々木
そうです。
水平だけじゃなくて垂直もあるんだと
気づくことですね。
糸井
とはいえ、縦の旅行をして気づいたことを、
過剰に取り入れて
自分を失ってしまうこともあると思うんですよ。
自分がアイスクリームを食べてる間にも
ごはんを食べられない人がいることを考えるのと同じで、
「ごはんの心配もしないで、いい気なもんだよな」
という声に対して何ができるのだろうと。
佐々木
それはありますよね。
ぼくは、まずは認識することが
必要なんじゃないかと思うんです。
知らないであれこれ言ってるよりは、
まず知ることが大事だと。
知ってから議論をはじめれば、
世の中が変わっていくんじゃないかなと。
東京にも貧困状況にある人たちがいるわけです。
そういう人たちに対して何かできるかというと、
たいして何もできないかもしれない。
でも、そういう事実があることを
自分が学び、人に伝える、
さらに人と議論していくことで
社会が改修される一歩になると思っています。

糸井
インターネットが出てからは
あらゆる感情が壁に落書きで
ずーっと並んでるみたいになったわけですよ。
なにを言ったって
「今日わたしはごはんが食べられない」と言われたら、
その言葉はインパクトが強くて心に響くんですよ。
佐々木
何を言っても比較しちゃう人はいますからね。
子どもが産まれた人に「おめでとう」と言っただけでも
「産めない人のことを考えたことありますか?」
と言う人いますから。
インターネットの時代は
完全なる公正や中立とか客観は
存在しないと思うんですよね。
発言した瞬間に飲み込まれて
主観的な世界に入っていきます。
テレビや新聞の時代は
新聞もテレビも黒子だったわけで、
神の目線に立って発信していても何も問題なかった。
だけどインターネットの時代は
誰もが発信できる時代になり、
SNSで発言した瞬間に誰もが批判の対象になる。
そこは大きな変化がありましたよね。
糸井
そうですね。
佐々木
インターネットの時代の
ジャーナリズムの仕事について思うのは、
「客観的な立場は捨てること」。
そして、自分の発信には
「自分というパーソナリティの影響や
過去の経験に基づいたバイアスがかかってるから
そのことを皆さん知っていてください、と言うしかない」
と思うようになったんです。

糸井
これは、『フラット登山』から始まった話だけど
核になるテーマですね。
佐々木
そう思うようになった一番大きなきっかけは
さっきもずっと出てきているキーワードですが
東日本大震災です。
震災が起きた2週間後ぐらいに、
気仙沼から陸前高田に津波の被害を見にいったんです。
そのとき気づいたのは
気仙沼も陸前高田も行くのは初めてだったので、
前の姿は何も知らないから
現地に行っても語れることも何もないということでした。
その一方で、
当時Twitter(現X)も、YouTubeもあったので、
現場の生々しい声がどんどんSNSで流れていたわけです。
その中で自分という第三者に何ができるかというと
何もできないことに気づいたんです。
以来、当事者でない自分が
当事者のことを紹介するだけのジャーナリズムは
意味がないと思っています。
自分自身が体験して、実感したことを
書くしかないと思うようになったんですよね。
フランスの哲学者のミシェル・フーコーが言った
生の政治という
「バイオポリティクス」ってあるんですけど。
ぼくはそれになぞらえて「バイオジャーナリズム」とて
呼んでいます。
自分が生きてることによるジャーナリズムです。
その一環として、三拠点移動生活があるんです。
糸井
それで料理や登山に来たわけですね。
佐々木
そうです。
自分が料理もして、山登りしてみて
そこで得られたものを言語化していくという仕事です。
だから『フラット登山』も自分が体験したこと、
考えたことを書いていて、
人に取材はしてないんです。

(明日につづきます)

2025-10-23-THU

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  • 佐々木俊尚さんの新刊



    気負わず、できる範囲で山を楽しんでほしいという、佐々木さんが新しい登山のかたちを書いた『フラット登山』(かんき出版)。どんな装備を用意したらいいかから、どんなコースを歩いたらいいかまで、かなり実践的な内容です。佐々木さんのパートナー、松尾たいこさんによる装画もさわやかで、山に行きたくなります。