
あなたにとって「シャンソン」とは何ですか?
第2弾は、シャンソン歌手のソワレさんに
ご登場いただきます。
「追っかけ気質」の家系(!)に生まれ、
河合奈保子さんを追いかけるうちに、
越路吹雪さんとシャンソンに出会い‥‥。
あちこち楽しく脱線しつつも、
お話全体を通して伝わってきたのは、
「シャンソンは、歌は、自由」ってことと、
「人はひとり、でも人と出会う」ということ。
まるでシャンソンの歌詞のようでもあり、
あなたの、わたしの、人生の話のようでもありました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
ソワレ
シャンソン歌手/ソングライター/ライブハウス&バーオーナー。東京都出身。1989年11月に越路吹雪の存在を知りシャンソンに興味を持つ。1995年、歌手活動を開始。同世代とシャンソンを盛り上げたい、をポリシーに揚げラウンジ系クラブで数多くのイベントをオーガナイズ。2000年に戸川昌子と出会い、同年12月、渋谷「青い部屋」のリニューアルプロデューサーに就任。2002年、1stCD「シャンソンチック・ソワレ」を発表、以降5枚のフルアルバムをリリース。2004年に自身がオーナーをつとめる「ゴールデン街ソワレ」を開店。2005年、初のフランス公演。2010年12月、渋谷「SARAVAH東京」のオープンに関わり、プロデューサーを担う。2019年6月、東新宿「Petit MOA」を開店。2022年に越路吹雪の残されていない音源を掘り起こした二週間公演を行う。2024年、越路生誕100周年記念公演「ブラヴォー!コーチャン!」を有楽町「I’M A SHOW」にて開催。衣装などを並べたロビー展開なども併せて大好評を得る。河合奈保子リスペクトも深く、越路と併せて数々の作品の監修、ライナーノーツなども手掛ける。2025年3月には高円寺に「ライブサロン十話音(とわおん)」をオープンさせた。
- ──
- 越路吹雪さんのことを知らない若い世代や、
いままで聴いたことのなかった人に
おすすめるとしたら、
まずは、どのあたりでしょうか?
- ソワレ
- とにかく「1960年代」の音源ですね。
いまは、サブスクなんかでも聴けますから、 - あと、越路さんはビジュアルもいいんです。
映画にも50本以上、出てるんですよ。
- ──
- そんなに。
- ソワレ
- たとえば『足にさわった女』なんて
素晴らしいです。
動いている越路さんを見てもらうと、
「ああ、こんなにチャーミングな人なのか」
ということがわかると思います。 - オートクチュールの衣装を眺めるだけでも、
「わあっ!」てなります。
- ──
- サンローラン、ニナ・リッチのドレス。
- ソワレ
- はい。越路さんのサンローランの衣装は、
サンローランが唯一認めた
日本人デザイナーが、
越路さんのニナ・リッチのドレスは、
フランス人デザイナーがつくってました。 - ニナ・リッチには
越路さんのボディも置かれていたから、
フランスで縫い上がったものが
越路さんのところへ届くんですよね。
本物、すごいですよ。
驚くほど軽くて、なんでこんなに綺麗に
ボディラインが出るんだろうって。
- ──
- 当然、お値段もすごいわけですよね。
- ソワレ
- 何百万ですよね。
- それを越路さん、2着つくるんです。
同じものを。毎日ステージやってるから。
- ──
- それも2ヶ月とか、そういうスパンで。
そういう衣装が、
早稲田の演劇博物館に残っている、と。
- ソワレ
- 文化服装学院にも寄贈されています。
うちにも3着。
- ──
- ソワレ家にも3着!
- ソワレ
- 背中を出すから下着をつけられないのに、
この衣装、
どうやって着こなすんだろう、みたいな。
縫製の技術が半端じゃない。
マネキンに着せても、本当に美しいの。
- ──
- あと、越路さんといえば、
作詞をされていた岩谷時子さんの存在が、
とても大きかったと聞きます。
- ソワレ
- やっぱり人って孤独だから、
「幸せなラブソング」なんて
売れるはずがないでしょ。 - その点、岩谷さんの言葉って、
人の孤独をあたたかく包み込んでくれる。
- ──
- 岩谷時子さんいればこそみたいなことを、
越路さんもおっしゃっていたそうですね。
- ソワレ
- 岩谷さんという人は、真実の愛をもって
越路さんのそばにいた人。
本当にピュアな気持ちで人を愛した。 - 岩谷さん、越路さんから
1円もお金もらったことないんですって。
- ──
- そうなんですか。
- ソワレ
- 純粋な間柄でいたいから。
- ──
- マネジメントの仕事とかもしていたのに。
- ソワレ
- 越路さんとの運命の出会いで、
岩谷時子という作詞家が生まれたんです。
そのときの純粋な気持ちのまま、
ふたりはつながっていたんだと思います。 - 越路さんが14歳のころに知り合って‥‥
岩谷さんがいなかったら、
越路さんも、あれほどの大スターには
なってなかったんじゃないかな。
- ──
- 当時は、すでに岩谷さんは大人というか、
宝塚の雑誌編集部に勤めてたんですよね。
- ソワレ
- 越路さんが宝塚を出て歌手になるときに、
岩谷さんも一緒に辞めて、
東宝文芸部の所属となったんです。 - 越路さんが宝塚在籍中の1951年に、
東宝の「モルガンお雪」という舞台に呼ばれて、
ひとりで行くのは不安だろうってことで、
お目付け役を任されたのが岩谷さん。
それからずーっと、
越路さんのマネージャーさんは岩谷さん。
亡くなるまで
「自分の仕事は越路吹雪のマネージャー」だと
おっしゃっていたらしいです。
- ──
- 作詞家として成功もしているのに、
越路さんからは1円もお金をもらってないのに、
自分は「越路吹雪のマネージャーだ」と。 - 歌い手の方が「誰の訳か」にこだわったりとか、
シャンソンを知れば知るほど、
「歌詞」というものが重要なんだろうなあと
思うんですが、
フランス語を日本語に訳して歌うのって、
難しくないんでしょうか。
- ソワレ
- ぼくは、個人的には、
別物として聴かなければダメだと思ってます。 - フランス語を日本語に当てはめようとすると、
どうしたって
フランス語のほうが情報量が多くなる。
たとえば「枯葉」という曲、
原題の「Les Feuilles Mortes」というのは
「死んだ葉っぱ」って意味なんです。
- ──
- 日本語でそのニュアンスを正確になぞるのは、
むずかしいでしょうね。
- ソワレ
- その一方で、日本の短歌とか俳句の世界って、
また、すごいじゃない?
短い言葉で、豊かなイメージを伝える。
まるでテレパシーのようなことをしてるから。 - 日本人の心に触れる、哀愁のただよう歌詞を
シンプルなメロディに載せる‥‥
という点で考えたら、岩谷さんは、すごい。
- ──
- 越路さんの代表曲のみならず、
日本のシャンソンの代表曲だとも言えそうな
「愛の讃歌」も、岩谷さんですね。
- ソワレ
- あれだって、
もともとのフランス語の歌詞とはちがうって
文句を言う人がいるけど、
そりゃそうですよ。
だって、言葉をぜんぶ入れらんないんだもん。 - ただ、間違いなく言えることは、
あの「愛の讃歌」、
つまり岩谷さんが詞を書いて
越路さんが歌った「愛の讃歌」でなかったら、
あれほどの曲にはならなかった。
- ──
- なるほど。
- ソワレ
- 岩谷時子が一晩で歌詞を書き上げて、
越路吹雪という大スターが歌った。 - そのことで、「愛の讃歌」は、売れたんです。
- ──
- 一晩で書き上げた?
- ソワレ
- つまり、代役だったんですよ、越路さん。
『巴里の歌』という日劇の舞台があって、
出るはずの人が急に出れなくなって、
越路さんが急に出ることになったんです。 - そのときに、作曲家の黛敏郎さんから
「これ、コーちゃんに合うから、どう?」
って渡されたのが「愛の讃歌」だった。
でも、本番はもう「明日」だから、
岩谷さんが急いで歌詞を書いて歌ったと。
- ──
- ひえ~、すごい。
- 昔の舞台って、その「生々しさ」があって
すごいなあと思います。
三木のり平さんの取材をしていても、
台本のあがるのがいつでもギリギリだから、
徹夜で稽古して初日を迎える‥‥とか。
- ソワレ
- いまでは考えられないでしょうね。
とにかく、誰より大衆性を持っていたのが、
越路さんだったと思います。
その反動で、越路さん以外のシャンソンが
インテリっぽくなっちゃったのかなあ、
なんて思えてしまうほど。 - もう、話が長くてごめんなさいね。
- ──
- いえ、おもしろいので大丈夫なんですけど、
さっきソワレさんがチラッと、
越路さんって
レコードがあんまり売れた歌手じゃないと
おっしゃっていたと思うんですが。
- ソワレ
- そうなの。それも不思議なことなんだけど。
2ヶ月の劇場はいっぱいになるのに。
やっぱり舞台の人だからね。
越路さん自身、
舞台とレコードは別だと思っていたみたい。
- ──
- 舞台が大好きで、
映画が嫌いだったのり平さんと似てますね。
- ソワレ
- 越路さんも、
ご自身のレコードのテスト盤を聴いたとき、
「下手ね」って言うんだって、いつも。 - 「自分は、生の舞台を見てもらう人間」
「だから後世に何にも残したくない」って、
強く強く言っていたらしいです。
- ──
- 昔の舞台人のみなさんの潔さというか、
のり平さんについても似た話を聞きますね。 - でも、亡くなる直前には、
自分の舞台を映像で残しておきたかったと
おっしゃったらしいです。
のり平さんのお孫さんに聞いたんですけど。
- ソワレ
- ああ、そうなんだ。
- 越路さんが他の歌い手さんとちがうのは、
ご主人がアレンジャーさんだったので、
「ラスト・ダンスは私に」
というリサイタルではおなじみの曲を、
毎年アレンジを変えて歌うんです。
そのときに流行っているリズムに乗せて。
- ──
- なるほど。その意味でも、
レコードの歌手ではなかったわけですね。
- ソワレ
- それどころか、当時のシャンソン歌手は、
何十年前の譜面で、
何十年前の同じリフをやっていたわけ。 - それだと若い人には聴いてもらえない。
越路さんはそのことをわかってたと思う。
- ──
- 時代に合ったシャンソンを歌っていた。
- ソワレ
- シャンソンは「歌」って意味なんだから、
ロックにしようがボッサにしようが
勝手じゃないですか。「自由」なんです。 - 新しいアレンジにどんどん変えていって、
時代に合ったものを出していく。
越路さんは、そうやっていたし、
ぼくも、そのほうが絶対いいと思います。
DEPARTMENT-H デパリ祭
ソワレ
シャンソンは「うた」の意味ですので、どんなアレンジにしてしまおうが勝手自由。新しいリズムが流行ったらそれに乗せて唄ってもよいではないか‥‥ということで、深夜のキネマ倶楽部でシャンソンメドレーをご披露しました。「パリの空の下~サ・セ・パリ~オー・シャンゼリゼ~愛の讃歌~ラスト・ダンスは私に~コメディアン」と続きます。
(つづきます)
ステージ写真:にしの ゆうき インタビューカット:福冨ちはる
2025-10-03-FRI
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これまでジャズやロックに挑戦してきた演歌歌手の神野美伽さんが、今度はシャンソンを歌います! ただいま絶賛準備中、チケットはもう発売中。本番までに「ほぼ日」でシャンソンを楽しく学んで、当日はみんなで「オー・シャンゼリゼ」を歌いましょう! きっと素敵なコンサートになります。ぜひ、足をお運びください。
