ジャズやロック、笠置シヅ子さんのブギウギなど
さまざまなジャンルの音楽に挑んできた
演歌歌手の神野美伽さんが、
こんどは「シャンソン」を歌おうとしています。
数千人規模の会場で演歌を歌っていたとき、
人知れず、
数十人の前でシャンソンを歌っていた神野さん。
コロナと手術で「歌」を禁じられたとき、
神野さんを救ったのが「オー・シャンゼリゼ」。
そんな神野さんが歌う「はじめてのシャンソン」、
本番は11月15日、会場は赤坂の草月ホール。
チケットは、まだ、手に入ります。
神野さんのシャンソン、ぜひ聞きに来てください。
きっと、すばらしい会になります。
担当は「はじめてのシャンソン」係の奥野です。

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第4回  一人ひとりに、歌が届いていく

──
ひとりのお客さんとして
シャンソニエへ通うだけでなく、
プロの歌手としても、歌ってたんですね。
そこまでシャンソンがお好きだったとは、
存じ上げませんでした。
神野
うん。通ううちに、いつからか
「自分もあちら側で歌ってみたい」って、
そう思うようになったんです。
30人、40人くらいのお客さんのために。
──
なるほど。
神野
だって、当時はもう、
1000人以上の会場でしか歌ってなかった。
デビューして2年目に、
「男船」というヒット曲に恵まれてからは
ホールツアーばっかり。
だから、そんな小さな場所で歌うなんて、
しかも「シャンソンを歌う」なんて、
わたしの日常とは、まったく別世界でした。
──
そこまで売れてからのシャンソン、だった。
神野
あのね、荒井洸子さんから譜面をもらって、
はじめて歌った日に、
わたし「5000円」をもらったんです。
──
それは、ギャラとして。
神野
そう、「ええっ!?」とびっくりしましたし、
本当にうれしかった。
もちろんね、
遊びの気持ちで歌っていたわけじゃないです。
プロの歌手として歌ったんだけど、
「お金をいただくって、こういうことなんだ」
ということがわかった。
だって、わたしたちのギャラって、ふつうは
「振り込み」じゃないですか(笑)。
──
それが、いわゆる「取っ払い」で。
神野
その場で、手渡しでいただけるお金。
なんてうれしいんだろうと思った。
さらにその日、わたしが歌い終わったあと、
ひとりのお客さんが、
「ねえねえ、あなたCD出してるの?」
って聞いてきたんです。
そのときわたし、何年も歌っていたんです。
──
演歌歌手の神野美伽さん‥‥として、
すでに有名だったわけですね。
神野
「はい、出してます」って言ったら、
「今日歌った歌、入ってる?」って聞くの。
「いえ、シャンソンじゃないんです。
わたし演歌の歌手なんです」って言ったら、
「あ、あなた演歌を歌ってるの?
ごめんなさい、
わたし演歌は聴いたことなくって」(笑)。
──
あら。
神野
その方、わたしの演歌のコンサートに
来てくださるお客さんの層と、
同じくらいの年齢層だったんです。
なのに「ジャンル」が違うだけで、
こんなにも世界がわかれてしまってる。
もったいないなあって思いました。

──
自分も、その「ジャンル」というものに
こだわりすぎていたなあと、
シャンソンの特集をはじめて思いました。
歌なら、何だって、歌だよなあって。
思えば、神野さんの演歌のコンサートで
演歌を「カッコいい!」と思ったときも、
同じようなことを感じていたと思います。
神野
本当は、
同じ「歌」でつながれるはずなのにね。
──
年表的にいうと、じゃあ、20歳のころに
シャンソニエに通いはじめて‥‥
「泣きたい」
と思って通ってらした時期っていうのは、
もう売れる直前だったんですね。
神野
でも、売れたあとも、しんどかったです。
──
あれだけ「売れたい」と思ってたのに。
神野
だって「これを続けなきゃいけない」って、
今度は、その戦いがはじまるんです。
──
なるほど‥‥。
神野
売れた瞬間「ガラッ!」と変わりましたよ。
それまでの生活とは別世界。
たったの1曲で、「人生」が変わりました。
まず、「グリーン車」になりました(笑)。
──
移動の新幹線が。
神野
ホテルも、高そうなところに変わった。
──
わかりやすいですね。
神野
でしょ(笑)。
本当にわかりやすい時代だったんですよ。
当時はね、グリーン車なんて夢のまた夢。
2年目でグリーン車に乗って、
ツアーで全国をまわって、
自分のバンドも組んでいただいて‥‥
とにかく、みるみる忙しくなったんです。
──
じゃあ、もう2年目で売れたってことは、
30人40人くらいのためだけに
歌を歌った経験というのは、
それまでも、そんなには多くなかったと。
神野
いいえ、20才で売れたあとも、
しばらくは夜のスナックを回って歌っていました。
いまは懐かしい思い出です。
でも、洸子さんにくっついて
シャンソニエで歌ったのは、特別なことです。
でも、
そのあとしばらくシャンソンを歌うことなく、
久しぶりに歌ったのが、
10年くらい前の「オー・シャンゼリゼ」。
──
あ、演歌のコンサートで歌ったやつ。
神野
そう。でもね、久しぶりだったんですが、
ぜんぜん違和感なかったんです。
それまでにもう、ロックやジャズ
演歌以外の歌をいろいろ歌ってきたから。
──
ちなみにですけど、
シャンソニエで歌ったシャンソンは‥‥。
神野
なんだったかなぁ。
──
きっと、有名な曲だったんでしょうけど。
神野
そうですね。
でも、今回「はじめてのシャンソン」で
歌うような、
はじめての方でも楽しめる定番曲じゃなく、
もうちょっとマニアックな娼婦の歌だとか、
そんなのを歌ってた気がする。
──
シャンソニエでシャンソンを歌ってみて、
そのときは、どう思ったんですか。
神野
楽しかった。本当に。
一人ひとりに歌がちゃんと届いてることが
よくわかるんです。
もちろんね、
大きいコンサートホールでも感じますけど、
場所がちっちゃいと、より目の前で感じる。

──
なるほど。
神野
ちっちゃいところで歌うことと、
何万人規模の会場で歌うこと。
わたしは両方とも楽しいんです。
両方ができているかわら、幸せですよね。
今回は、草月ホールを選んでいただいて、
歴史ある素晴らしいホールだけど、
決して大きいキャパじゃないでしょう。
──
そうですね。
神野
だから、とっても楽しみです。
あの規模の会場で歌うときの、
歌が一人ひとりのお客さまに届いていく、
その楽しさを知っているので。
 
(明日へ続きます)

うちでうたおう 
シャンソン オー・シャンゼリゼ
(2020年)

コロナ禍、桑山哲也さんとリモート配信した「オー・シャンゼリゼ」。神野さん、大きな手術のあとでコルセット姿。この動画を見て感動した画家の笹尾光彦さんが、「神野さん、シャンソンの会をやりなよ」といったことが発端となり、11月15日(土)の「はじめてのシャンソン」開催が決まったのです。(奥野)

(つづきます)

2025-10-27-MON

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