
シャンソンの魅力について教えていただく連載、
第3弾は、ごぞんじROLLYさんです!
わたくし「ほぼ日」奥野にとっての
あこがれのギターヒーローでありながら、
日本のシャンソン歌手が勢ぞろいする
「パリ祭」では司会進行役をつとめるなど、
シャンソンにも造詣の深いROLLYさん。
それもそのはず、ロックよりも先に、
シャンソンに出会っていたそうなのです。
お話は大好きなQueenから日本の歌謡曲、
山本リンダさん、
幼少時に聞いていた「母のお経」まで‥‥。
ROLLYさんの私的シャンソン論、
縦横無尽・自由自在に展開していきました。
どうぞ、お楽しみください。
ROLLY(ローリー)
1963年生まれ、大阪府高槻市出身。
90年「すかんち」のヴォーカル&ギターとしてデビュー。グラムロックを彷彿とさせるビジュアルと、
- ──
- ROLLYさんの歴史をひもとけば、
ロックより先に、シャンソンがあった‥‥。
- ROLLY
- ロックとの出会いは中学生のころですから、
シャンソンよりあとなんです。
- ──
- バンド「すかんち」のフロントマンである
ローリー寺西さんのことを知って以来、
ROLLYさんは、ずっと
マイ・ギターヒーローのひとりだったので、
ロックの前にシャンソンがあったとは、
なんたる‥‥おそるべし、シャンソン‥‥! - 同時に、ROLLYさんの歴史にも、
きりきり舞いさせられてしまいそうです。
深すぎて。
- ROLLY
- たぶんね、ぼくのファッションのルーツも、
そこらへんにあるんです。
- ──
- 山本リンダさんの黄緑色のジャンプスーツ、
本当だ!
- ROLLY
- あのリンダさんを見たとき、
「うわあ、自分もあんなふうになりたい!」
って、また思ったので。
- ──
- 3歳時のときには
マレーネ・ディートリッヒになりたくて、
小学3年生で
山本リンダさんになりたくて‥‥。
- ROLLY
- そのうちにロックンロールと出会って、
それらがぜんぶ合体したんです。
- ──
- 結果として「ROLLYさん」になった。
- シャンソンとロックが出会ってうまれた。
それが、ROLLYさんだったのか。
- ROLLY
- でも、最初にシャンソンとロックを
完全に合体させたのはクイーンやったね。
- ──
- そうか、フレディ・マーキュリーさん!
- ROLLY
- だって「キラー・クイーン」にしたって、
ダダッタンタンタン‥‥‥‥街を~歩く~。
- ──
- うわ、あの歌に聴こえる。
- ROLLY
- 街を~タン、歩く~タン、心ウン軽く、
誰かに会える~この道で、ダダダダダダダダダ、
あ~シャンゼリゼ~、タタンタタンタン、
あ~シャンゼリゼ~、タタンタタンタン、
オソレイュ、スラプリュイ、アミディ、
ウアミヌウィ、
イリーヤトゥスクヴヴレ、オシャンゼリゼ~。
- ──
- キラー・クイーン=オー・シャンゼリゼ‥‥!
- ROLLY
- ぼくは、はじめてクイーンを聴いたときに、
「ダニエル・ビダルやん」と思いました。
もともと「オー・シャンゼリゼ」は
イギリスの音楽だったわけでもあるしね。 - ともあれ、ぼくの中では、
まずは「シャンソン」がルーツにあって、
そこへロックがなだれ込んで来て、
そうやって、
いろんなことがはじまっていったんです。
- ──
- シャンソンって、すごいなあ。
- ROLLY
- 大人になって東京へ出て来てね、
『ハムレット』というロック・オペラを
中野サンプラザでやったんです。
ぼくは、
墓堀り人の恋人「好奇心」という役で、
生まれてはじめてミュージカルに出た。 - で、そのときの女王ガートルード役が、
山本リンダさんだたったんです。
- ──
- なんと。憧れのリンダさんと同じ舞台に。
- ROLLY
- 長い長い道のりを経てね。
とうとうリンダさんに最接近しました。 - さらに言うなら、そのときの音楽監督が
「帰ってきた酔っ払い」や
「あの素晴らしい愛をもう一度」の
加藤和彦さんでした。
- ──
- ザ・フォーク・クルセダーズだとか、
サディスティック・ミカ・バンドの。
- ROLLY
- 加藤和彦先生はとても心の広い人でね、
あるいは
手を抜いていたのかもわかりませんが、
こう言ったんです。 - 「きみたちはミュージシャンなんで、
自分の歌う曲は自分でつくっていい」。
- ──
- 舞台で歌う歌を出演者さんが御みずから。
- ROLLY
- わたくし「好奇心」の歌う曲は2曲。
そのうち1曲を自分でつくりました。 - 「人生なんて屁のようなもの」っていう
歌詞だったので、
どんなふうに歌おうかなと思案してね。
加藤和彦さんとピアニストと3人で
スタジオに入ったんです。
ぼくがモーツァルトのように
ピアノを弾けたらよかったんですけど、
弾けませんから、
ピアノのお上手な方に、お願いしまして。
- ──
- ええ。
- ROLLY
- チャイコフスキーの協奏曲みたいな感じで、
冒頭アルペジオで、
下からダラダダダダダダダダダダダーン、と。 - そして心を~ダ―ン、人生なんて~ダ―ン、
屁のようなもの~ダ―ン、
ディミニッシュ(のコードで)~
明日のことなど、考えないで~‥‥。
クイーンとシャンソンの合体みたいな曲が、
その場で誕生したのです。
- ──
- おぎゃあと。
- ROLLY
- そして、舞台でその歌を歌ったんですよ。
- 何とも悲しいシーンでね‥‥
「オフィーリアが亡くなったさみしさを」
と歌いながら、そこらへんに落ちていた
ティッシュペーパーをつまんで、
越路吹雪さんのように、
ぴょいっと木の上から撒きながら、
「人生なんて屁のようなものよ‥‥」と。
- ──
- 歌った。
- ROLLY
- はい。そしたら、
そのようすを見た「草刈清子さん」という
たいへん有名な
エグゼクティブプロデューサーの方が
「ダダダーッ!」と走って来て、
「あなた! いまのティッシュペーパーは、
誰にやれって言われたの!?」と。
- ──
- ひゃあ。
- ROLLY
- 「すいません。自分で考えました」
「素敵だわ」
- ──
- 褒められたんだ(笑)。
- ROLLY
- ものすごく褒められました。
- 「それに、あの曲は、誰がつくったの?」
「わたしがつくりました」
「素敵だわ」
- ──
- ドンピシャだったんですね。
- ROLLY
- ショーの世界で知らない人などはいない
名プロデューサーの草刈清子さんに
気に入られたぼくは、
このチャンスを逃してはならないと思い、
草刈さんがトイレへ立つたび、
偶然を装い、
たまたま廊下で会ったようなフリをして、
「あ、また会いましたね」と。 - そうして、話すタイミングを見計らって、
「自分には夢がある」と伝えたんです。
- ──
- 夢。
- ROLLY
- そうです。夢。子どものころに見て憧れた
『ロッキー・ホラー・ショー』で、
いつか、
主役のフランケン・フルターを演じたいと。 - それから3年後。草刈さんから電話があり、
「あなたにやってもらうわ」と。
- ──
- すごい、ROLLYさんの夢の数珠つなぎ。
- 憧れのリンダさんにも出会えたのみならず、
『ロッキー・ホラー・ショー』の主役まで。
- ROLLY
- で、『ロッキー・ホラー・ショー』には
シャンソンみたいな曲がたくさん出てくる。 - だからね、いま考えると、
すべてが繋がっていたような気がするんだ。
3つのときに、女装をしたところから。
- ──
- つまりは、シャンソンが、
ROLLYさんの人生物語のなかにおける
とても重要な存在だった‥‥。
- ROLLY
- どうも、そのようなんですよ。
Queen
My Melancholy Blues
山本リンダさんに「信じる、しんじなーい、信じる、信じな~い、どっちなの~」という歌があります。「奇跡の歌」という、清純な小娘と魔女が交互に歌うような曲なんですが、のちにQueenも同じような曲をやっているんです。山本リンダの「奇跡の歌」に心を射抜かれていたわたくしは、そのあとQueenを聴き「これは、完全に山本リンダだ!」と。つまり、リンダさん好きだったぼくが中学生でロックに出会い好きになったのがQueenなんです。この曲は「We Will Rock You」や「伝説のチャンピオン」が収録されたアルバム『News of the World』のラスト。さんざんロックをやりちらかしたあとに「ラスト、こうきたか‥‥!」と。これがシャンソンかと言われたらシャンソンじゃないんですが、多分に「シャンソンっぽさ」を感じる。だから、ある曲をシャンソンと思うかどうかって、その人の感性によるのかな。ぼくの理想のシャンソン像を体現した曲です。
(つづきます)
写真:福冨ちはる
2025-10-12-SUN
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これまでジャズやロックに挑戦してきた演歌歌手の神野美伽さんが、今度はシャンソンを歌います! ただいま絶賛準備中、チケットはもう発売中。本番までに「ほぼ日」でシャンソンを楽しく学んで、当日はみんなで「オー・シャンゼリゼ」を歌いましょう! きっと素敵なコンサートになります。ぜひ、足をお運びください。
