
シャンソンの魅力について教えていただく連載、
第3弾は、ごぞんじROLLYさんです!
わたくし「ほぼ日」奥野にとっての
あこがれのギターヒーローでありながら、
日本のシャンソン歌手が勢ぞろいする
「パリ祭」では司会進行役をつとめるなど、
シャンソンにも造詣の深いROLLYさん。
それもそのはず、ロックよりも先に、
シャンソンに出会っていたそうなのです。
お話は大好きなQueenから日本の歌謡曲、
山本リンダさん、
幼少時に聞いていた「母のお経」まで‥‥。
ROLLYさんの私的シャンソン論、
縦横無尽・自由自在に展開していきました。
どうぞ、お楽しみください。
ROLLY(ローリー)
1963年生まれ、大阪府高槻市出身。
90年「すかんち」のヴォーカル&ギターとしてデビュー。グラムロックを彷彿とさせるビジュアルと、
- ──
- ちなみに、そのくらいのとき‥‥つまり
1960年代半ばのROLLYさんは、
どういった音楽を聴いていたんでしょう。 - 当時3歳くらいだった人に対する質問として
どうなんだろうと、
われながら少々いぶかしみつつ、ですが。
- ROLLY
- 兄ヨシヒロが亡くなっていたことで、
生まれたときから
「人間の死」が身近にあったんです。 - まだベビーベッドで寝ている時分だから、
1歳か2歳くらいかな、
そのころの思い出なんですけど、
毎晩9時になると、隣の大阪銀行から、
「ねんねんころりよ おころりよ
坊やはよい子だ ねんねしな」
という陰気な音楽が流れてきてたんです。
- ──
- 夜の9時だし、もう寝ましょうねと。
坊やはいい子でしょと。
- ROLLY
- いわゆる「トランペットスピーカー」で
変に音が割れていて、
「なんか気持ち悪い歌だな、イヤやな~、
湿ってるな~」と思ってました。
で、「ねんねんころりよ」が終わったら、
今度は「母のお経」がはじまるんです。
- ──
- 世界観がすごい。それにしても
「赤ちゃんのときに聴いていた音楽は」
という珍妙な質問への答えが、
「ねんねんころりよ」と「母のお経」。
- ROLLY
- わたしが、まだオムツだったころやね。
- 「湿っぽいわ、もうイヤやな」
「何という家に生まれてしまったんだ」
‥‥と。
- ──
- ベビーベッドの中で、むずかりながら。
- ROLLY
- そう思ってクサクサしていたところに、
今度はテレビから、梓みちよさんの歌声で
「こんにちは、赤ちゃん」と。
- ──
- おお。「わたしがママよ~♪」と。
- ROLLY
- じつに気持ちがよくなりました。
ほわん、ほわん、ほわん、ほわわわ~んと。 - そのときに気がついたんです、たぶん。
音楽というものには、
人の心をあやつる力があるんだなあと。
- ──
- 「ねんねんころりよ」とか
「お母さまのお経」に辟易としていた
赤ん坊の気分まで、
音楽が、明るく照らし出してくれたと。
- ROLLY
- ええ。あの「こんにちは赤ちゃん」を
聴いただけでいい気分になって
にやにや笑ってたら、
大人たちも「あら〜、にやにや笑ってるわ」と。
- ──
- 音楽の力のすごさを知った。
- ROLLY
- ただ当時、家庭の事情によってですね、
ある一時期、わたくしは
裏のパーマ屋のおばさんのところにね、
もらわれていたことがあるんですよ。
- ──
- え、あ、お父さまとご懇意の?
- ROLLY
- あのね、ちょっとここさわって、ほら。
- ──
- あ、親指の付け根のとこらが、何やら。
- ROLLY
- そう、ボコボコしてるでしょ。
生まれつき骨が変形しているんだなと
思ってたんです、5年前までは。
- ──
- つい最近まで、ですね。
- ROLLY
- はい。55年ほど、そう思ってたんです。
- でも、5年前に、
整形外科でレントゲンを撮ったら先生に
「ROLLYさんね、これは、
ちっちゃいときに骨が折れたのを
治療しないでいて、くっついたものだよ」
と言われたんです。
- ──
- つまり、自然治癒?
- ROLLY
- そのときに、ぼくはピンときましたよ。
ははぁ~ん、なるほどな‥‥と。 - 自分のなかで、完全に、
あるストーリーができあがったんです。
- ──
- と、おっしゃいますと。
- ROLLY
- おそらく、こういうことなんです。
- 裏手のパーマ屋のおばさんのところに
もらわれていったぼくが
あんまり泣くもんやから、
「ぎゃーぎゃーよく泣く子だよ。
あの女にそっくりだね!」とか何とか、
ここんとこ「ボキーッ!」やられて。
- ──
- ひええ。
- ROLLY
- その場面を目撃した父親が
「あああ、ごめんなあ」って言って、
連れて帰って、
本家に戻ることができたんだろうと。
- ──
- そんなROLLY物語。
どこかシャンソンの世界の話のようです。
- ROLLY
- もう信じ切ってます。
- まあ、とにかく、あの当時の音楽では、
「リリー・マルレーン」が好きでした。
- ──
- あ、戻ってきた。その話でしたよね。
- でも、まだ幼すぎて、
それが「シャンソン」だとは知らずに。
- ROLLY
- あとは「夢見るフランス人形」とか。
シルヴィ・ヴァルタンの、
映画にもなった「アイドルを探せ」とかね。
フレンチポップスが流行ってたんです。
ラジオからどんどん流れてくる。 - 同じ家に住んでた女性店員さんたちも、
シルヴィ・ヴァルタンみたいに、
前髪をこんなふうにしてたと思います。
- ──
- 「アイドルを探せ」って名前でピンとこなくても、
検索してみたら、
きっと聴いたことある曲ですよね。 - ともあれつまり、人生最初期の音楽的体験として、
ROLLYさんは、
シャンソンと出会っているわけですね。
- ROLLY
- そうみたいです。
- そのあと‥‥小学校2年生のときには、
山本リンダさんの
1回目のリバイバルがあったんですよ。
- ──
- リバイバルなんですか。その時点で。
- ROLLY
- リバイバルです。山本リンダさんって、
1960年代に
「こまっちゃうナ」というデビュー曲が
大ヒットしたんです。
「こまっちゃうナ~デイトに誘われて~」
のね、あの人だったわけ。 - でも、そのあとが、うまく続かなかった。
だから低迷していた時期もあったんです。
でも「どうにもとまらない」で
イメージチェンジして大ヒットしたのが、
1972年です。
- ──
- なるほど。そういう時系列ですか。
- ROLLY
- そう。こまっちゃうナ~のリンダさんが
ガラッとイメージチェンジしたのが、
「じんじんさせて」「狙いうち」です。
- ──
- 「ウララ、ウララ、ウラウラよ」と。
- ROLLY
- そして、そのあとにリンダさん、
シャンソンになった瞬間があったんですよ。 - たとえば「きりきり舞い」という曲なんて、
完全に、ミッシェル・ポルナレフの
「シェリーにくちづけ」だし。
「トゥートゥートゥマシェリーマシェリー」
と「きりきり舞い」のイントロを、
聴きくらべてみてください。そっくりです。
- ──
- (聴く)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ほんとだ。
- ROLLY
- で、その「きりきり舞い」を聴いたときに、
3歳のときに感じた、
あの電撃的な興奮が蘇って「これだ!」と。 - なにしろ、そのときのリンダさんは
黄緑色のジャンプスーツを着ていたんです。
栗色の長い髪でね。
ソフトな感じでフレンチポップスを歌った。
生まれてはじめて自分のお金で買った
レコードは、「きりきり舞い」なんですよ。
- ──
- それが‥‥小学生のとき。
- ROLLY
- 小学校3年生ですね。
- そう考えると、ぼくはロックよりも先に、
シャンソンを好きになっているんですよ。
山本リンダ
きりきり舞い
60年代に「こまっちゃうナ」で一世を風靡した山本リンダさんは、以降ヒットに恵まれませんでしたが、70年代に「どうにもとまらない」「じんじんさせて」で2回目のリンダさんブームが到来。ワイルドでセクシー、女豹のようなお姉さまとなって帰ってきました。ただわたくしは、その女豹時代、ヘソ出しルックで激しく腰をふるリンダさんを見ても、まだ下半身にビビッとはこなかったんですが、この「きりきり巻い」でとろけてしまいました。女豹時代のあとの、リンダさんのフレンチポップス時代の名曲です。
(つづきます)
写真:福冨ちはる
2025-10-11-SAT
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これまでジャズやロックに挑戦してきた演歌歌手の神野美伽さんが、今度はシャンソンを歌います! ただいま絶賛準備中、チケットはもう発売中。本番までに「ほぼ日」でシャンソンを楽しく学んで、当日はみんなで「オー・シャンゼリゼ」を歌いましょう! きっと素敵なコンサートになります。ぜひ、足をお運びください。
