シャンソンの魅力について教えていただく連載、 
第3弾は、ごぞんじROLLYさんです!
わたくし「ほぼ日」奥野にとっての
あこがれのギターヒーローでありながら、
日本のシャンソン歌手が勢ぞろいする
「パリ祭」では司会進行役をつとめるなど、
シャンソンにも造詣の深いROLLYさん。
それもそのはず、ロックよりも先に、
シャンソンに出会っていたそうなのです。
お話は大好きなQueenから日本の歌謡曲、
山本リンダさん、
幼少時に聞いていた「母のお経」まで‥‥。
ROLLYさんの私的シャンソン論、
縦横無尽・自由自在に展開していきました。
どうぞ、お楽しみください。

>ROLLYさんのプロフィール

ROLLY(ローリー)

1963年生まれ、大阪府高槻市出身。
90年「すかんち」のヴォーカル&ギターとしてデビュー。グラムロックを彷彿とさせるビジュアルと、ポップで親しみやすい音楽性で人気を獲得。96年バンド解散後、ソロアーティストとして活動をスタート。音楽活動にとどまらず、ミュージカルや舞台などさまざまな分野でその才能を披露している。天性のキャラとキレのあるトーク、独特のサービス精神でテレビ番組でも活躍するロックスター。

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第3回  女性だらけの家に生まれて

ROLLY
今日はシャンソンの話と聞いていますが。
──
おっしゃるとおりです。
ROLLY
まだ、レ・ロマネスクさんの思い出話と、
群馬の思い出話しかしてないけど。
──
ですよね。たっぷりとしたプレリュード、
ありがとうございました。
それでは遅ればせながら、ご説明します。
きたる11月15日(土)に、
有名な演歌歌手・神野美伽さんが歌う
シャンソンのコンサートを、
赤坂の草月ホールで開催するんです。
ROLLYさんもよくご存知の
高泉淳子さんが、
構成・演出で入ってくださっていまして、
われわれ
シャンソンのド素人集団の「ほぼ日」が、
一丸となって制作企画しているところで。
ROLLY
なるほど。
──
演歌歌手の神野美伽さんは、
これまでにも、ジャズやロックをはじめ、
さまざまなジャンルに挑戦してきた人。
ROLLY
そんな神野さんが、今度はシャンソンを。
草月ホールでね。なるほど。
──
歌う神野さんも、われわれ制作チームも
「はじめて」ですし、
「シャンソンはじめて」のお客さんにも
気軽に来ていただきたいので、
勉強も兼ねて、
シャンソンの魅力などなどについて、
いろんな方に、
いま、お話を聞いてまわっているんです。
ROLLY
そこで、わたしのところにもいらしたと。
わかりました。
まずは全員が同じこと言うはずですが、
シャンソンというのは
フランス語で「歌」ということですよね。
フランスのポップスです。
わたしは、そのようにとらえております。
──
はい。それが、日本へと伝承され、
日本の歌手が歌うことで、
独自な感じに発達したと聞いております。
ROLLY
ちいさなシャンソニエで、
シャンソンおばさまの先生という人が
生徒さんに教えて、
全員が「愛の讃歌」とか
「サン・トワ・マミー」を歌ったりね。
エディット・ピアフからはじまって、
越路吹雪を経由して、
小森のおばちゃまにいたるまで。
それぞれが、いろんな流派にわかれて、
独自の発達をしてきました。
──
それが、日本的なシャンソンの風景。
そんな日本の大阪府高槻市で生まれた
ROLLYさんは、では、
シャンソンとどんなお付き合いを‥‥。
ROLLY
わたしは1963年、昭和38年の生まれ。
家族は、父、母、長男、姉2人。
わたしが生まれる前、
まだ4歳だった長男のヨシヒロが
交通事故で亡くなり、
わたしは「次男のカズオ」として、
この世に生を享けました。
──
そうだったのですか。
ROLLY
お兄ちゃんが亡くなったもんだから、
長女はわがまま放題。
両親は、長男を亡くした悲しみから
抜け出すために、
次の男児の誕生を望み、やがて妊娠。
オギャーと産まれてきたのが女の子。
男の子をと思っていたところに、
生まれた次女は、
ものすごく気を遣う人に育ちました。
──
なるほど。
ROLLY
すなわちわたしは、
いわゆる「待望の跡取り息子」でした。
当時、家は商売をやってましてね、
住み込みの女性店員さんがいたんです。
ヨネちゃん、ヒデコちゃん。
家の裏口を開けると路地に通じていて、
父親は、その路地の先の
パーマ屋のおばさんと住んでいました。
──
え、あ、そういった感じ。なるほど。
ROLLY
つまり、当時わが家で暮らしていたのは、
母、長女、次女、
ヨネちゃん、ヒデコちゃん、そしてぼく。
女性ばっかりなんです、まわりが。
お世話をしてくれる
ハルコさんという「ばあや」もいました。
女の中に男が1人という環境。
お風呂にもお姉さんたちと入ってました。
で、その女性たちがみんな、
映画誌『スクリーン』を読んでたんです。
当時、ぼくは3歳くらいだったのかな。
まだ幼稚園には通ってはいなかったので。
──
すごい記憶力ですね。
ROLLY
だから3歳のぼくも姉たちの雑誌を見て
マリリン・モンローや
グレタ・ガルボにあこがれていたんです。
マレーネ・ディートリッヒが
『上海特急』で見せたこのポーズに‥‥
しびれていました。

──
3歳で?
ROLLY
自分も、海外の映画女優さんみたいに
メイクをして、羽根飾りをつけて、
マレーネ・ディートリッヒみたいに
ポーズをとりたいという思いがつのり。
──
3歳で!
ROLLY
こっそりブラジャーとパンティをつけ、
メイクをし、鏡の前でポーズしました。
産まれて3年、
もっとも「ハイ」になった瞬間でした。
──
ハイハイではなく。
ROLLY
はい。ハイです。
禁断の果実をほおばってしまった気分。
──
3歳にして!
ROLLY
ふるえるほど興奮いたしました。
「これは、いけないことなんだ。
絶対に絶対にいけない‥‥でも最高!」
と酔いしれていたら、
ばあやに見つかってしまいましてね。
「奥さま~!」って母親に報告されて、
板の間に正座させられました。
──
お可哀想な3歳のROLLYさん‥‥。
ROLLY
「あなたの行為は、けがれています!」
「今後は、絶対にしてはなりません!」
ときつく言われて「はい」と。
あれは、1966年の出来事だったです。
──
1966年。当時の日本の世相というと。
ROLLY
ちょうど、シャンソンが大人気でした。
ツイッギー、フランス・ギャル。
テレビでマレーネ・ディートリッヒの
「リリー・マルレーン」を聴いたのも、
このころ。
ものすごいショックを、受けたんです。
──
3歳児の心をかき乱したのですね。
ROLLY
ときはナチスドイツ占領下のポーランド。
少年兵ジョニーは
明日、戦場へと旅立たなければならない。
その夜、彼は子どものように泣きながら、
娼婦リリー・マルレーンと出会い、
彼は男になった‥‥
みたいなところからはじまるわけですよ。
──
リリー・マルレーンの物語は。
ROLLY
星空のもと、戦地の塹壕の中で、
リリー・マルレーンの写真を眺めながら、
ジョニーがひとり呟く‥‥
まるで映画のようなストーリーだった。
一発で虜になってしまいました。
それが「シャンソン」であるってことは、
まだ、知りませんでしたが。

マレーネ・ディートリッヒ
リリー・マルレーン
3歳のときに、この人を見てね‥‥。

(つづきます)

写真:福冨ちはる

2025-10-10-FRI

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  • これまでジャズやロックに挑戦してきた演歌歌手の神野美伽さんが、今度はシャンソンを歌います! ただいま絶賛準備中、チケットはもう発売中。本番までに「ほぼ日」でシャンソンを楽しく学んで、当日はみんなで「オー・シャンゼリゼ」を歌いましょう! きっと素敵なコンサートになります。ぜひ、足をお運びください。

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