
糸井重里の突然のポストが、ことの始まりでした。
「ぼくはCASIOって会社に弱くてさー。
今日も『カシオ最高峰の電卓』って
お知らせメールを真剣に読んじゃった。」
このポストを目に留めてくださった
カシオ計算機株式会社のみなさんが、
「もしよければ、実際にさわっていただけたら」と、
ほぼ日にやってきてくれました。
なんと、約80台の「電卓」を引き連れて!
社内で誰よりも電卓を使っている
経理チームの乗組員たちも、
黙っちゃいられないと集まりました。
電卓を囲んで大いに盛り上がった、
なかなかほかになさそうな、濃い1時間。
技術力や価格だけが理由ではない、
どうにも惹かれる「CASIOらしさ」を垣間見ました。
(カシオ計算機さんより、
「カシオ計算機のサイトでも『ほぼ日』訪問記を書いています。
電卓の詳しい情報も見られます」とのことです!
本記事と合わせて、ぜひご覧ください)
- 糸井
- きょう持ってきていただいた電卓は、
いま生産している製品ですか。
- CASIO
- はい。きょうは、
現在販売しているものを持ってきました。
ただ、例外として
「過去にはこんなものもありました」という、
アーカイブ的な電卓もいくつかお持ちしました。
こちらにある「カシオミニ」などは、
1970年代から80年代にかけて販売していた製品です。
- 乗組員
- あれ、昔持ってました!
- 糸井
- デジタル時計と電卓が組み合わさったものも
ありましたよね。
これでしょうか。
- CASIO
- そうです。
身に着けて時計としても利用できる
電卓があったらいいのでは、
と考えてつくったものです。
- 糸井
- ぼく、当時これ買いました。
- CASIO
- えっ、本当ですか!
ありがとうございます。
- CASIO
- この電卓はライターなんです。火が出ます。
- 乗組員
- わっ! ほんとに火がつきました。
- CASIO
- 1978年につくられたものです。
- 糸井
- 電卓も、少々荒っぽい時代だったんですね。
- CASIO
- さまざまな技術の進化があり、
新しいことができるようになった時代だったので、
こんなことをやってみよう、
あんなことをやってみようと、
とにかくチャレンジ精神にあふれていました。
時計やライターとの組み合わせは、
そのチャレンジ精神の現れですね。
- 乗組員
- この電卓ではゲームができるんですか?
- CASIO
- そうなんです。パチンコで遊べるんです。
- 糸井
- たしか、野球ゲームができるものもありましたよね。
- 乗組員
- キーを押して、球を投げて‥‥。
- 糸井
- そう、そう。
言ってしまえば「そんなことしてなにになるんだ」
みたいなものもつくってきたわけですよね。
- CASIO
- おっしゃるとおりです(笑)。
- 糸井
- いやいや、そういうことをやるのが大事です、
やっぱり。
- CASIO
- 昔、体温計がついている電卓もありました。
- 糸井
- おーっ!
- CASIO
- 測温部が、アンテナのように
ビューっと伸びて。
- 乗組員
- 失礼ですが、なんのために、電卓に体温計を?
- CASIO
- ‥‥なんでだったんでしょう。
- 糸井
- ゲームをつけるにしても、
「こんなゲームがおもしろいと思うんですよ」と
いろんな種類をつくって‥‥
なんていう努力をしていたんだ(笑)。
- CASIO
- 努力なのか、よくわからないですけど(笑)。
つくっちゃった、みたいなものがいっぱいあります。
とにかく「やってみっか」というのが、
昔の社風だったんです。
- 糸井
- ああ、そうか。
そこが「CASIO」なんだ。
- CASIO
- はい、「やってみっか」の精神は
だいぶ強かったです。
- 乗組員
- これだけたくさん挑戦してきてるんですもんね。
- 糸井
- これは、ラジオかなにかと
組み合わさっているんですか?
- CASIO
- いえ、これはですね、1972年に発売しました、
1年間で100万台売れた伝説的な電卓のカシオミニです。
1965年に発売した、一番初期型の電卓は、
古いお店に置いてあるレジスターくらい
大きいものだったんです。
それが、70年代くらいから
キューっと小さくなって。
当時、価格も画期的に安くなったので、
爆発的に普及しました。
そしてどんどん小さくなっていって、
1983年にはこのカード型の電卓が出ました。
CASIOのなかで一番薄い電卓で、
厚さは0.8ミリです。
- 乗組員
- わぁ、これ、80年代によく見かけました。
- CASIO
- 電卓に使うLSI(大規模集積回路)が進化したり、
蛍光管表示だった画面が液晶表示になったりして、
だんだん消費電力も小さくなっていきました。
そしてソーラー電池が使えるようになり、
電池を積まなくてよくなったので、
さらに本体を薄くできて、
どんどんどんどん小型化していったというのが、
70年代から80年代の電卓の歴史です。
- 糸井
- 当時、ここまで小さくなったあとに、
またいまの大きさになっていったんですね。
きっと「あの機能も入れてくれ、
この機能も入れてくれ」
と言われる時代もあったでしょう?
- CASIO
- まさに、進化の過程ではそうでした。
- 糸井
- 会社として「これからは、
あまり変わった機能は入れず、
電卓としてやっていく」と決めたのは
いつごろですか。
「うちはラーメン一筋でいく」みたいな。
- CASIO
- シンプルな計算機に変わっていったのは、
80年代ぐらいからですね。
ただ、80、90年代、電卓に
「電話帳メモリー機能」というのがついたんですよ。
その機能は電卓と相性がよかったみたいで、
90年代までは、ずっとついていました。
- 糸井
- 「電話の機能をつけて」っていう要望は
なかったんですか?
- CASIO
- 電話をかけられる電卓はありました。
- 糸井
- やっぱり、あったんだ(笑)。
- CASIO
- 「数式を入力するためのボタンと、
その答えを表示する画面と、
それらを包む持ち運びできるサイズの外装」
という、電卓の基本的な構造は、
1972年くらいにほぼ完成していたんですよ。
なので、72年以降の電卓は、
形が変わったり、より使いやすくなったり、
なにか新しい機能を組み合わせたり‥‥
そういったプラスアルファの進化を続けてきました。
(明日に続きます)
2025-10-18-SAT


