こんにちは。ほぼ日の永田泰大です。
オリンピックのたびに、
たくさんの投稿を編集して更新する
「観たぞ、オリンピック」という
コンテンツをつくっていました。
東京オリンピックでそれもひと区切りして、
この北京オリンピックはものすごく久しぶりに
ひとりでのんびり観戦しようと思っていたのですが、
なにもしないのも、なんだかちょっと落ち着かない。
そこで、このオリンピックの期間中、
自由に更新できる場所をつくっておくことにしました。
いつ、なにを、どのくらい書くか、決めてません。
一日に何度も更新するかもしれません。
意外にあんまり書かないかもしれません。
観ながら「 #mitazo 」のハッシュタグで、
あれこれTweetはすると思います。
とりあえず、やっぱりたのしみです、オリンピック。

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05 スピードスケートとジャンプ混合団体

いまなにをしているだろう。

 
ぼくは、オリンピックを観ていると、
「いま、選手はどうしているだろうなぁ」と思う。
驚くことに、というか、当たり前なんだけど、
いま、こうしてぼくが原稿を書いているいま、
たとえば羽生結弦選手はどこかでなにかをしている。
明日のショートプログラムに備えて寝ているのか、
寝る支度をしているのか。
音楽を聴いているのか、本を読んでいるのか。
当たり前なんだけど、驚くことに、
北京2022オリンピックに出ているどの選手も、
いま、なにかしている。
なにか見ていたり、なにか考えていたり。
人間離れした記録を叩き出したあの選手も、
奇跡みたいなパフォーマンスをみせたあの選手も、
あなたや私と同じように、いま、なにかしている。
この勝手な共感覚は、
オリンピック以外ではあまり生じない。
たぶんリアルタイムの観戦を数日間続けることで
まるで選手と同じ時間を過ごしているような、
いえ、たしかに同じ時間は流れているわけだけど、
ともかく、隣の部屋の延長に選手の部屋があるような、
そういう感覚をぼくは味わうのです。
とりわけ、時差のない開催では、
「この夜を選手も過ごしているんだな」と思う。
身体能力も精神力も努力も到達地点も、
まるっきりぼくらとはかけ離れたあの人たちが、
ぼくらと同じように
シャワーを浴びたりなにか食べたりしている。
窓を開けたり爪を切ったりしている。
そういうことを強く思うのは、
オリンピックのなかでもとりわけ今日みたいな夜だ。
悔しい結果が出たり、
不条理に思えることが起こったり、
なんだかやりきれなくて落ち着かない、
今日みたいな夜だ。
もちろん彼らはそんなことは現実的に
何度も何度も乗り越えてきたわけだし、
ここに至るまで最悪の想定だって
幾重にもしてきているわけだから、
こんなことを思うだけでも失礼なのかもしれない。
でも、オリンピックを観ていると、ぼくは思う。
金メダルに届かなかった高木美帆選手は、
いまなにをしているだろう。
じぶんのレース直後のインタビューなのに
妹に金をとらせたかったと言っていた
高木菜那選手はいまなにをしているだろう。
わずか0.1秒差で4位となり
銅メダルにあと一歩という悔しさを抱えているはずなのに、
高木美帆選手が滑り終えた瞬間、
競技場のフェンスを叩いて悔しがっていた
佐藤綾乃選手はいまなにをしているだろう。
高木美帆選手はつぎのレースの準備をしているだろうか。
今日のレースを振り返ったりするのだろうか。
誰かと話すだろうか。ひとりでいるのだろうか。
高木美帆選手は、いまなにをしているだろう。
思いが現地へ勝手に飛んでいくような、
こういう夜がオリンピックには何度かある。
高梨沙羅選手は、いまなにをしているだろう。
堂々とチャンピオンのジャンプをみせた
小林陵侑選手はいまなにをしているだろう。
ジャンプ1本分の得点を失っても
自分のパフォーマンスに集中し続けた
佐藤幸椰選手と伊藤有希選手はなにをしているだろう。
高梨選手のスーツを管理していたコーチは
いまなにをしているだろう。
そして、やっぱり、今夜いちばん思うのは、
高梨沙羅選手はいまなにをしているだろう、ということだ。
どういう気持ちだろう、ということだ。
1本目のジャンプがスーツの規定違反によって
得点を認められなかったとき、
当たり前だけどメダル争いは終わったと思った。
その後の3選手が飛んでいるときも、
結果に関わらず最後まで競技を続けるアスリートたち、
というような感じでぼくは観ていた。
しかし、他国にも失格者が出たことと、
なにより3人がベストなパフォーマンスをみせたことで、
日本に2本目を飛ぶチャンスが訪れた。
この展開では誰も奇跡なんていわないけど、
ちょっとした奇跡だと思う。
しかしぼくはこれは行けるぞとはとても思えなくて、
正直に表現すれば、ああ、高梨沙羅選手が
2本目を飛ばなくてはならないのか、と思った。
競技中、ときどき映像に映る高梨選手は
うつむいたりうずくまったりしていて、
とてもベストな状態にいるとは思えなかった。
なんなら危険じゃないのかなとさえぼくは思った。
けれども高梨沙羅選手は2本目を飛んだ。
高梨選手独特のうつくしい飛行型が夜空を斜めに行き、
結果は98.5メートルの大ジャンプだった。
(1本目は103メートルで会心の笑顔だった!)
あの精神状態で100メートル近くのジャンプ、
すごい、これがオリンピックアスリートだと
思ったぼくはやはり間違っていて、
飛び終えた彼女の目にみるみる涙があふれていくのが
ヘルメットのシールド越しにもよくわかった。
そして彼女はカメラに向かって深く頭をさげた。
しばしば、オリンピックを応援するぼくらは言う。
負けてすみませんと謝る選手に、
謝らなくていいよ、と。
あなたは謝るようなことはなにもしてない、
胸を張ってください、と。
でも、目指す結果を出すために
すべてをかけてきた選手がそこに到達できなくて、
ぎりぎりまで張り詰めてきたものを
ついにもう張り詰めなくてよくなったという瞬間に、
胸を張ることって、
なによりたいへんなんじゃないだろうか。
ぜんぶをそこに注ぎ込んできた選手ほど、
胸を張る余力すら残ってないんじゃないだろうか。
高梨沙羅選手は深く長く頭をさげた。
高梨沙羅選手は、いまなにをしているだろう。
オリンピックを観るぼくらは、
ただテレビの前にいるだけなのだけれど、
集中して、気持ちを込めて、
強い思いを込めて競技を観る。
昨夜は多くの人が経験したと思うけど、
そういうふうに観ていると、ほんとうに鼓動が速まる。
最終組の高梨沙羅選手がスタートラインについたときは
この北京でいちばん心臓がやばかった。
ドキドキするということばが比喩じゃないのって、
年に何度も経験しないことだ。
そういう集中を何日も続けているからこそ、
夜、競技がぜんぶ終わったあと、
隣の部屋の延長の部屋に選手がいることを
ふと感じてしまう。
なんというか、
それは集中と情熱の余韻のような共感覚だ。
なにもかも観るものの勝手な錯覚なのだけれど、
これもまたオリンピックを観る醍醐味だとぼくは思う。
すべてうまくはいかなくても。

(つづきます)

2022-02-08-TUE

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