
こんにちは。ほぼ日の松本です。
大学で受けた授業がきっかけで、
障害を持つ方の生活支援について調べるなか、
作家の安達茉莉子さんによる、
福祉施設で働く人々のインタビュー集を読みました。
これまで、エッセイをとおして
「生活することは、尊厳を守るための意地だ」
と発信してきた安達さんは、福祉の現場で
「生活の最先端の取り組み」を目の当たりにしたといいます。
「門外漢」として福祉の世界に触れた安達さんのお話は、
同じく「福祉は別の世界の話」と感じていた私の、
障害、社会、そして自分自身への見方を
ぐるっと変えてくれました。
福祉にとって生活とはなんなのか、
「人が生活できる社会」とはどんなものか。
安達さんとお話ししながら考えました。
安達茉莉子(あだち・まりこ)
作家、文筆家。東京外国語大学英語専攻卒業、
防衛省勤務、篠山の限界集落での生活、
イギリスの大学院留学などを経て、
言葉と絵を用いた作品の制作・発表を始める。
『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』
(三輪舎)、
『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、
『世界に放りこまれた』(twililight)、
『らせんの日々 作家、福祉に出会う』(ぼくみん出版会)、
『とりあえず話そう、お悩み相談の森
解決しようとしないで対話をひらく』
(エムディエヌコーポレーション)などの著書がある。
Instagram: andmariobooks
- ──
- 福祉に関わるみなさんが目指していることって、
大きく言ってしまうと、
「利用者さんの生活の自主性を守り、
尊厳や権利を守ること」なのかなと思います。
安達さんは『私の生活改善運動』で、
「生活は選択の連続だけど、
選択することや決断することは、
ときに、というか大体ストレスだ」といったことを
書かれていました。
私はその部分にすごく共感したんです。
でも、そのあとに『らせんの日々』を拝読して、
生活するうえで「自分が選択する」ということの
ストレスを味わうのも、
ひとつの権利みたいなものなのかな、と感じて。
- 安達
- あ、たしかにそうですね。
- ──
- よかれと思って、の場合が多いと思うのですが、
「これを食べて」「こういうところに住んで」
というふうに、介助する側が
障害当事者の生活の全部を決めるのは、
権利を奪うことにもなるのかなと気づきました。
むしろ、そこで一緒に悩むみたいな‥‥
「どっちの色の服がいいだろうね」
などと考えるようなことが、
福祉のいち側面なんだ、と感じました。
- 安達
- そのとおりだと思います。
南山城学園では、
職員さんたちによる実践研究集を毎年発行しています。
読んでいたら、何十年も前に発行されたある号に、
栄養士さんが書かれたエッセイが載っていたんです。
「サラダはやっぱり、ガラスの器で食べるものだ」
って。
- ──
- わぁ‥‥カッコいいですね。
- 安達
- 以前は、障害をもつ方に出す食事は、
「これでいいだろう」という感じの
お仕着せの「給食」が多かった、とありました。
でも「給食という言葉は私たちは使いません」と。
「給食は、食をたまわるという意味であり、
『出されたものに文句は言わせない』
という意味を含んでいるから。
食事は、利用者さん自身が
『いいな』と思えるものを、
『いいな』と思える食器で食べていただきたい」
といった思いが書かれていました。
現在はまた違う素材の食器を使用されているようですが、
あらゆることを、このレベルで考えながら
働いてこられたんだ、と感銘を受けました。
そのような考えが連鎖して、
福祉のあり方が変化して、
いまの福祉ができてきたんだなと。
- ──
- 安達さんは『私の生活改善運動』に
「自分にとっての生活を見つけようとする。
それは、贅沢ではない。意地なのだ」と
書かれていました。
ガラスの器でサラダを出したいという思いをもって
決めておられた職員さんにも、
「意地」を感じますね。
- 安達
- ひとつひとつは小さなことでも、
その意地を持ち続けるか否かが、
最終的に「人が生きられる環境か否か」に
つながるのだろうと思います。
もちろん、「自分は紙コップでじゅうぶん」
という方に対しては、私はなにも思いません。
ただ、最初から
「あなたはこれでいいでしょ」と決められるのは、
やっぱり、苦しいものがあります。
しかも、ものごとを決める権利のある人と、
それに言い返せない人の力の差があるとき、
「生活をつくる機会」を奪わないことに
意識的になるのは大事だなと感じます。 - 私にも、自分が「当然だ」と思っていることを
人にも押しつけてしまいそうになるところがあります。
自分の考えに対して、
ほかの人に「これじゃ嫌だ」と言われたら、
「わがままだな」と
感じてしまうかもしれません。
でも、自分が意地をもって選択していると、
ほかの人に「私はこっちがいい」と主張されても、
「そうだよね、お互いに、選択の権利があるもの」
と、思える気がするんです。
- ──
- 障害の分野の話だと、
「障害のある方がスムーズに使えるように、
施設や仕組みの形を変えていきましょう」という
「合理的配慮(※)」の動きに対して、
「わがままだ」とか、「なんで障害のある人に
自分たちの税金が使われなきゃいけないんだ」
といった意見も出ます。
でも、人が生活をするための取り組みは、
そもそもわがままではなくて、
当然の権利なんですよね。
※障害をもつ人から
「障壁となっている建物の構造や、
制度、仕組みを取り除いてほしい」
との意思が示されたとき、
事業者の側は、過度な負担がかからない範囲で
障壁を取り除く対応をすることを、
「合理的配慮」といいます。
「事業者にとって過度な負担にならない範囲」
を探るために、当事者どうしの対話が
重要とされます。
- 安達
- 「わがまま」と言う人がいるのは、
いま「みんなで社会をつくっている」
という感覚が持ちづらいからかなと思っています。
障害のある方にとって不便な施設や仕組みは、
自分を含め、誰にとっても
使う可能性があるものです。
誰かが不自由を感じている社会は、
結果的に、誰もが不自由を感じる社会に
なってしまうのではないでしょうか。
- ──
- たしかに。能力主義や、
自己責任論にのっとった考え方で
「それぐらいの不自由は
頑張って乗り越えればいいじゃないか、
頑張れないほうが悪い」と考える人も
いると思うのですが、
「能力がある、ない」の基準で
人の価値を決める考え方をしてしまう人ほど、
自分自身を「能力がなきゃダメだ」と
縛っている気もします。
そのような人こそ、福祉の現場での考え方を
知ってほしいなと思いました。
- 安達
- そうですね。
「能力を高めたい」という気持ちは、
当然、あっていいものですが、
そのひとつの価値観しかないのは
偏っていると思います。
すごく息苦しい社会になってしまいそうだから、
「やめてー」って思います(笑)、普通に。
(明日に続きます)
2026-04-01-WED
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『らせんの日々
作家、福祉に出会う』
安達茉莉子(ぼくみん出版会)安達さんが、社会福祉法人「南山城学園」に滞在し、
職員のみなさまにインタビューをした記録。
福祉の現場のひとつの例として、
リアルな希望を示してくれる本です。
お求めはこちらから。 -
『大和田慧と安達茉莉子の
もちよりRadio』 -
『土門蘭と安達茉莉子の
生きてみるチャンネル』ポッドキャスト
『大和田慧と安達茉莉子のもちよりRadio』
『土門蘭と安達茉莉子の
生きてみるチャンネル』では、
安達さんのお話を聞くことができます。
連載と合わせて、ぜひご聴取ください!


