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読者のみなさんから届いたお便り #126

 
わたしの父は、樺太、
いまのロシア・サハリンの生まれでした。
祖父が樺太で、
土地開発の現場監督のような仕事をしていたので、
父は戦中の樺太で生まれて、
小学生のころまで暮らしたそうです。
敗戦で祖父は捕虜になりました。
乗る予定だった引き上げ船には、
幼かった叔母が体調を崩して
乗れなかったそうなのですが、
その船は攻撃されて沈没したそうです。
東京にいた親戚たちは、
一家全員亡くなったと思って家を処分したほど。
もしもその船に乗っていたら、
家族の歴史はそこで終わっていました。
祖父が解放されるまで、家族は樺太に残り、
父はロシア人と同じ小学校へ通ったそうです。
ロシア語の名前もつけてもらったと聞きました。
祖父も父も、
苦労したことはほとんど話してくれませんでした。
寒さが厳しかったこと。
じゃがいもをたくさん使ったシチューが
美味しかったこと。
繰り返し話してくれたのは、そんな思い出でした。
戦前、曽祖父が虎ノ門で写真館をしていた関係か、
カメラなどの機材を持っていたようで、
あの時代でも、祖父はよく写真を撮っていて、
押入れのなかで自分で現像していたそうです。
引き揚げのときに内緒で持ち帰った当時の樺太の写真が、
アルバムにたくさんありました。
赤ちゃんだった父の写真や、
若かった祖母のはにかんだ笑顔の写真、
住んでいた家の写真などがありました。
アルバムは、祖父母が亡くなったあと、
親戚の誰かが形見に持って行ったようで、
もう残っていないのが残念です。
話を聞ける人も、もういません。
もっとちゃんと聞いて、書き残しておけばよかった。
(丸山さん)

2026-09-05-SAT

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶