
- わたしの父は、樺太、
いまのロシア・サハリンの生まれでした。
祖父が樺太で、
土地開発の現場監督のような仕事をしていたので、
父は戦中の樺太で生まれて、
小学生のころまで暮らしたそうです。 - 敗戦で祖父は捕虜になりました。
- 乗る予定だった引き上げ船には、
幼かった叔母が体調を崩して
乗れなかったそうなのですが、
その船は攻撃されて沈没したそうです。 - 東京にいた親戚たちは、
一家全員亡くなったと思って家を処分したほど。 - もしもその船に乗っていたら、
家族の歴史はそこで終わっていました。 - 祖父が解放されるまで、家族は樺太に残り、
父はロシア人と同じ小学校へ通ったそうです。
ロシア語の名前もつけてもらったと聞きました。 - 祖父も父も、
苦労したことはほとんど話してくれませんでした。 - 寒さが厳しかったこと。
じゃがいもをたくさん使ったシチューが
美味しかったこと。
繰り返し話してくれたのは、そんな思い出でした。 - 戦前、曽祖父が虎ノ門で写真館をしていた関係か、
カメラなどの機材を持っていたようで、
あの時代でも、祖父はよく写真を撮っていて、
押入れのなかで自分で現像していたそうです。
引き揚げのときに内緒で持ち帰った当時の樺太の写真が、
アルバムにたくさんありました。 - 赤ちゃんだった父の写真や、
若かった祖母のはにかんだ笑顔の写真、
住んでいた家の写真などがありました。 - アルバムは、祖父母が亡くなったあと、
親戚の誰かが形見に持って行ったようで、
もう残っていないのが残念です。 - 話を聞ける人も、もういません。
- もっとちゃんと聞いて、書き残しておけばよかった。
- (丸山さん)
2026-09-05-SAT

