
- 昨年6月に85歳で亡くなった母は、
満6歳になる2週間前に太平洋戦争が終わった。
母は群馬県前橋市近郊
(昭和30年代の合併で前橋市になった)で、
お蚕(かいこ)さんと田畑で生計を立てていた
ごくごくふつうの農家の5人きょうだいの
下から2番目(次女)に生まれた。
そんな母にまつわる戦争の記憶を残したいと思う。 - 最初は、母が亡くなる数年前に、
母自身が幼いころに体験した機銃掃射の怖さを
わたしに教えてくれた。 - いつの時期か「忘れた」と言っていたが、
家から離れていた畑の帰りに、
母の両親と母の姉、母とで機銃掃射に遭遇した。 - 「農耕用の牛がいたから、逃げるのが大変だった」と。
- ただ、それを言ったあと、口をつぐんでしまった。
誰も亡くなってはいないし、
農耕の重要な働き手でもある牛も無事だった。
けれども、その話の続きをしてはくれなかった。
語れなかったのだ。 - 後日、調べてみると、畑があった場所の近くに
陸軍前橋飛行場があり、
推測でしかないが、
米軍がそれを襲った帰りだったのかもしれない。 - 機銃掃射の怖さをわからないままだったが、
ヴェトナム戦争を扱った映画『地獄の黙示録』で
機銃掃射をするシーンを見て得心した。
「ああ、これなのか!」 - 映画の中で機銃掃射されるヴェトナムの人たち
=母たちであった。
これは、語らないのではなくて、
語れなかったのだなと思うしかなかった。 - 最後まで語ることができなかった
母の戦争の体験を、わたしが書き残すことにした。
母はこの世からいなくなってしまったが、
戦争を経験した人がいなくても記憶は残る、
と思いたい。 - 二度と戦争を起こさないように、
また巻き込まれないように、
中学生の娘にも伝えることにしようと思う。 - (匿名さん)
2026-08-05-WED

