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読者のみなさんから届いたお便り #115

 
「孫らぁは
『おばあちゃん、田舎だから食べ物はあったんでしょ?』
なんて言います。
けど、前の家も
ここみたいなマチウチ(住宅街のなかの家)ですさけ、
肥料も入れてない庭ぁほじっても、なんの野菜ができますか。
近所も土なんか触ったこともないもんらばっかですわ。
皆ぃんなマチの育ちですもの。
建物疎開やって、ずっと住んできたとこも退かされてね。
わからんなりになんかかんか工夫して、
石だらけんとこおこしてみても、
植えるもんあったらお腹に入ってしまいますがね。
ずぅっとお腹が空いてましたわ。
配給だけが頼りでしたけど、
だんだん(戦争が)ひどなってきたら
あれ、カロリーだけ足りてればいいってことやろねぇ、
配給が砂糖だけになってねぇ。
今の白いお砂糖じゃなくて、赤ザラメ。
なんか混じった
ぜんっぜんあまくもなんともない、悪い砂糖を人数分。
今の子わかるんか知らんけど、カルメ焼きってね。
砂糖を溶かしてプッと膨らすやつ。
あれが膨らまんかったら、
もうお腹にたまるもんなんもないからね。
膨らんだかってたまるもんでもないけど、かさは出るでね。
カーッとかいて、『一球入魂!』でハッと重曹入れて‥‥
戦争終わって、
思い出してやったことあるけど、
一回も膨らまんかったね。
必死さが足らんのやろね。
よくもまぁあんな栄養状態で生きてこれましたわ。
‥‥あんなもん食料の配給あったって言えんわね。
算盤の上のカロリーはあったんやろけどね。
覚えとぉきね。
お国はそういうことをします」
わたしの育った福井県福井市は
大規模な空襲のあった街です。
「火事で防空壕におれんくなって、
 町内の人たちと足羽山のトンネルに逃げ込んで、
 そこもあかんくなって、
 うちは右に出て助かったけど、左に出た人は誰も戻ってこんかった」
「川に浸かって一晩過ごして、
 家どうなったか見に行ったら
 見覚えのない杭が庭にいっぱい刺さってて、
 近づいたら全部焼夷弾やった」
夏になると、小学校で戦争の話を聞く機会があったなぁと
思い出しながら連載を読んでいました。
戦後80年、
あの頃お話をしてくださっていた祖父母の世代は、
もうほとんど故人なのだな。
と気づき、
今、身近で聞ける話を書き留めれれば、と思いました。
当時学生だったわたしのお稽古事の先生からお聞きした話です。
(北の庄)

2026-01-24-SAT

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
    読者のみなさんからのお便りを募集いたします。

     

    ご自身の戦争体験はもちろん、
    おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
    ご友人・知人の方、
    地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
    感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶