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読者のみなさんから届いたお便り #114

 
父は2度、戦争に行きました。
中国と南方(と呼んでいましたがフィリピンやインドネシア)
でした。
最初に中国に行ったときには
髪を切らないものだから
よく上官からビンタを食らったと笑っていました。
そして日本兵士による中国の人の首切りも目撃したとも‥‥。
それを聞かされたのは、たしか小学校の低学年で、
それが恐ろしいことだとは思ったものの、
その話の重さには十分思い至りませんでした。
フィリピンやインドネシアでは
軍医として仕事をしていました。
何枚かの当時の写真には、
髪を撫でつけ現地や日本の看護婦さんたちと一緒に
写っている父がいました。
傷を負った兵士を麻酔なしで手術したり、
傷病兵とともに輸送船に乗ったりしていましたが、
輸送船では爆撃を受けることもあったようです。
軍医であったせいかもしれませんが、
幸い父自身は無事で帰国しました。
「あんな若い奴らが死んでいくんやで。可哀想にのう」
というのが父の口癖でした。
父は夜よくうなされていましたが、
母は子どもたちに心配させないように、
それは「患者さんのことが気になっているから」と
言っていました。
わたしは能天気にずっとそう思っていましたが、
ある日ふとそれは
戦争の傷跡ではないかと思うようになりました。
今でこそPTSDが一般的な知識となりましたが、
当時はみんながなすすべもなく、
心を開くこともできず、
重い過去を引きずって生きていたのでしょう。
戦争は人を殺し、誰の心をも傷つけるものなのです。
(佐の知子)

2026-01-17-SAT

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶