
- 父は大正15年生れ。志願して陸軍に入隊し満州に渡った。
わたしは中学生のころに、
なぜ父が志願などしてしまったのか知りたくて、
「国民の多くが戦争に反対していれば、
太平洋戦争は起こらなかったのではないか」
などとわかったようなことを言ってしまった。
終戦後、捕虜となった。
父は
「上官がとても頭の良い人で、
この隊はバラバラにならなければ、
力を合わせて建築をする能力があると説明したので、
部隊ごとウズベキスタンに送られて
『ナボイ劇場』を建設した」と言っていた。 - 「演芸大会があり、
『待ちぼうけ』とか『江戸子守歌』などの歌を、
貧しい少女が地主に搾取され‥‥と、
向こうが喜びそうなストーリーの劇にして演じた」とか、
「花札やトランプを器用に作る者がいて
みんなで楽しんだ」とか、
「木彫りの飾り物などをつくって、
現地の人に食べ物と交換してもらった」とか話していた。
捕虜がそんなことできたのかな、
よく聞くシベリア抑留の話とずいぶん違うなと、
半信半疑で聞いていた。
父が捕虜時代のことを悪く言わないので、
親戚の者が
「ロシアに捕虜に取られて洗脳された」
「赤になって帰って来た」と言っているのを
聞いたことがある。
後に『日本兵は砂漠に劇場を建てた』(嶌信彦著)他、
何冊かの本が出版され、
父の言っていたことがみんな本当だったとわかった。
認知症が少しはじまっていたころ、
2005年「愛・地球博」のウズベキスタン館に
姉とわたしで父母を連れて行った。
父がウズベキスタン人スタッフの人と、
突然ロシア語で話しはじめてビックリした。
父のロシア語をそのとき、はじめて聞いた。
日本人通訳の方がわたしたちに
「ナボイ劇場が大きな地震の際も無傷で、
避難所となったことに感謝している」
というような話をしていると教えてくれた。
父は92歳で亡くなった。
志願を責めるのではなく、
よく聞く話と違うからと言って半信半疑になるのではなく、
もっともっと話を聞いておけばよかったなぁと
今でも後悔している。
(匿名さん)
2026-01-10-SAT

