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読者のみなさんから届いたお便り #112

 
小学生のころ、家の人に戦争の話を聞いてくる、
という宿題で、
祖父に従軍とシベリア抑留の話を聞きました。
祖父は、日本が戦争に負ける数ヶ月前に従軍して、
通信兵として中国に渡りました。
戦闘に加わることなく、シベリアに連行されたそうです。
舞鶴に帰国するまでの4年間、
移動した経路は教えてくれましたが、
危ない目に合った話はしませんでした。
話してくれたのは、まず、
軍隊には「員数をつける」という仕事があること。
作業に使う靴などの装備品を人数分調達することで、
几帳面な祖父の得意な仕事だったそうです。
品物はみんなに行き渡る数はないから、
部隊の担当者同士で折り合いをつけながら
貸し借りすること、
そして何より
物を大事にして保たせることが大切だと言っていました。
祖父が畳んだ服、束ねたコードは、
いつもきっちり角がそろっていました。
そうと知っていても、
新しく買ってきたものと勘違いするほどでした。
祖父の手元で、
貸した物が大事に扱われていないのではと疑う人は、
いなかったと思います。
次に話してくれたのは、ロシアのご婦人のこと。
ロシア人の宿舎で番兵していると、
中にいるご婦人に「ヤポンスキ」と呼ばれ、
手招きされる。
それは黒いパンや缶詰などの食べ物をくれる合図で、
そういうときにもらったものは、いそいで食っちまう、と。
「みんなと分けたりはしないの?」と言ったわたしに、
そりゃそういうもんだ、
ハラショウ、スパシーボってね、と祖父は笑いました。
祖父はふだんから、
「スパシーボ」(ありがとう)と
「ハラショウ」(最高だ)が口をついて出る人でした。
とくにハラショウはよく使っていたので、
笑顔とセットで覚えています。
戦争のことを思うとき、
あちこちで目にするたくさんの悲しい話と一緒に、
祖父のことを思い出します。
下着までピシッと畳まれた洗濯物、
いいお酒をすすった後の「ハラショウ」。
祖父は数年前に97才で他界しました。
晩年は認知症が進んで施設に入っていましたが、
お風呂上がりに「いかがでしたかー」と聞かれたら、
「ハラショウ!」と答える習慣は長く残っていたそうです。
(匿名さん)

2026-01-03-SAT

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶