
- 小学生のころ、家の人に戦争の話を聞いてくる、
という宿題で、
祖父に従軍とシベリア抑留の話を聞きました。 - 祖父は、日本が戦争に負ける数ヶ月前に従軍して、
通信兵として中国に渡りました。
戦闘に加わることなく、シベリアに連行されたそうです。
舞鶴に帰国するまでの4年間、
移動した経路は教えてくれましたが、
危ない目に合った話はしませんでした。 - 話してくれたのは、まず、
軍隊には「員数をつける」という仕事があること。
作業に使う靴などの装備品を人数分調達することで、
几帳面な祖父の得意な仕事だったそうです。
品物はみんなに行き渡る数はないから、
部隊の担当者同士で折り合いをつけながら
貸し借りすること、
そして何より
物を大事にして保たせることが大切だと言っていました。 - 祖父が畳んだ服、束ねたコードは、
いつもきっちり角がそろっていました。
そうと知っていても、
新しく買ってきたものと勘違いするほどでした。
祖父の手元で、
貸した物が大事に扱われていないのではと疑う人は、
いなかったと思います。 - 次に話してくれたのは、ロシアのご婦人のこと。
ロシア人の宿舎で番兵していると、
中にいるご婦人に「ヤポンスキ」と呼ばれ、
手招きされる。
それは黒いパンや缶詰などの食べ物をくれる合図で、
そういうときにもらったものは、いそいで食っちまう、と。
「みんなと分けたりはしないの?」と言ったわたしに、
そりゃそういうもんだ、
ハラショウ、スパシーボってね、と祖父は笑いました。
祖父はふだんから、
「スパシーボ」(ありがとう)と
「ハラショウ」(最高だ)が口をついて出る人でした。
とくにハラショウはよく使っていたので、
笑顔とセットで覚えています。 - 戦争のことを思うとき、
あちこちで目にするたくさんの悲しい話と一緒に、
祖父のことを思い出します。 - 下着までピシッと畳まれた洗濯物、
いいお酒をすすった後の「ハラショウ」。 - 祖父は数年前に97才で他界しました。
晩年は認知症が進んで施設に入っていましたが、
お風呂上がりに「いかがでしたかー」と聞かれたら、
「ハラショウ!」と答える習慣は長く残っていたそうです。 - (匿名さん)
2026-01-03-SAT

