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読者のみなさんから届いたお便り #116

 
祖父はラッキーでした。
だから自分が生まれ、ここにいるわけですが。
徴兵検査の際、なにかが引っかかり、
祖父は乙種区分だったそうです。
そのため戦う兵士にはならずに
衛生兵となったそうです
(小学校しか出ていない祖父は
薬屋に丁稚に行っていたので、その経験からでしょう)。
そのときは甲種でなかったのが悔しかったと、
言っていました。
太平洋戦争前半に、フィリピンと中国に行き、
前線基地で傷病兵の手当をしたそうです。
戦局が悪くなる前に兵役を終え、甲府へ帰ってきました。
1944年、祖母と結婚。
空襲の中、二人で逃げ回ったと聞きました。
甲府も焼け野原となりました。
新婚の家は、焼けてしまったそうです。
祖父は大八車を曵いて家財道具を取りに行ったそうです。
終戦を迎え、経験を活かして薬屋を開きました。
キャバレーの御用聞きで
栄養ドリンクを配達するなどしながら、
必死に働いたそうです。
時間は飛んで、1994年。
ぼくが神戸の大学に受かり、家を出る数週間前、
近所に住む祖父が家に来て、
とつぜん神戸の思い出を話してくれました。
フィリピンに行く際、
広島の呉から大きな輸送船に乗ったそうですが、
そのときに
神戸に寄港した思い出があるとのことでした。
短い話でしたが、
その話を聞いたのは家族みなはじめてでした。
祖父の名前は静雄といいます。
ちいさなころから物静かで優しかったそうで、
粗野なところのまるでない人でした。
ぼくは、祖父が大好きでした。
(匿名さん)

2026-01-31-SAT

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶