
- 祖父はラッキーでした。
だから自分が生まれ、ここにいるわけですが。 - 徴兵検査の際、なにかが引っかかり、
祖父は乙種区分だったそうです。
そのため戦う兵士にはならずに
衛生兵となったそうです
(小学校しか出ていない祖父は
薬屋に丁稚に行っていたので、その経験からでしょう)。
そのときは甲種でなかったのが悔しかったと、
言っていました。 - 太平洋戦争前半に、フィリピンと中国に行き、
前線基地で傷病兵の手当をしたそうです。
戦局が悪くなる前に兵役を終え、甲府へ帰ってきました。
1944年、祖母と結婚。
空襲の中、二人で逃げ回ったと聞きました。
甲府も焼け野原となりました。
新婚の家は、焼けてしまったそうです。
祖父は大八車を曵いて家財道具を取りに行ったそうです。
終戦を迎え、経験を活かして薬屋を開きました。
キャバレーの御用聞きで
栄養ドリンクを配達するなどしながら、
必死に働いたそうです。 - 時間は飛んで、1994年。
ぼくが神戸の大学に受かり、家を出る数週間前、
近所に住む祖父が家に来て、
とつぜん神戸の思い出を話してくれました。 - フィリピンに行く際、
広島の呉から大きな輸送船に乗ったそうですが、
そのときに
神戸に寄港した思い出があるとのことでした。
短い話でしたが、
その話を聞いたのは家族みなはじめてでした。 - 祖父の名前は静雄といいます。
ちいさなころから物静かで優しかったそうで、
粗野なところのまるでない人でした。 - ぼくは、祖父が大好きでした。
- (匿名さん)
2026-01-31-SAT

