
- 今は亡き祖母から聞いた話です。
- 大正13年生まれの祖母は、終戦当時21歳でした。
鹿児島県の農村に住んでいたので、
直接空襲を受けるようなことはありませんでしたが、
時折都市部の方角に立ちのぼる炎や煙を見て
「また空襲にやられたんだな」と感じていたそうです。 - 敗戦が近くなってくると、竹槍訓練をやらせれたり、
飛行機の燃料にするための松ヤニ取りにも
駆り出されたといいます。
さすがに「この戦争は負けだな」と思った、
と聞きました。 - 政府や軍隊がいかに勇ましいスローガンを叫んでも、
案外と冷めた目で戦争を見つめていた国民もいて、
祖母はその一人だったのかなと今にして思います。
米は軍隊に接収されないように
山に隠していたそうですし、
村全体がそんな雰囲気だったのかもしれません。 - 玉音放送は近所の人たち、
それから腰にサーベルを下げた兵隊さんと一緒に
聞いたそうです。
内容はほとんど聞き取れなかったものの、
声のトーンや、兵隊さんが泣いていたことから
「やっぱり負けたんだ」とわかった、と
語っていました。 - (匿名希望)
2025-12-27-SAT

