
- 戦争の語り部がいなくなると最近よく聞きますが、
これも亡父から聞いた話です。 - 太平洋戦争で父は通信部隊に所属していて、
その日、昭和20年8月6日は、
列車で九州から関西に戻るところでした。
広島駅で、学徒動員された女子学生から
手づくりのおにぎりを窓越しに手渡され、
午前8時きっかりに出発した直後、
車内にいたにもかかわらず
経験したことのない光と爆音爆風にさらされました。
体も吹き飛ばされ、起き上がって外を見ると、
散り散りになり、かつ黒く焼け焦がれた世界が
一面に広がっていたといいます。
人も物も。
「つくっていただいたおにぎりを
食べることができなかった」
と語っていたことが印象に残っています。
因果関係はわかりかねますが、
父は健康診断で
いつも白血球が少ないと言っていました。
父は、このあとのことも話しただろうと思いますが、
幼かったわたしの記憶はここまでです。 - (まさや)
2025-12-17-WED

