
- 祖父は、日中戦争が始まって間もなく応召し、
中国を奥へ奥へと転戦、
生涯忘れることのできない戦争体験をしてきたそうです。
川柳を愛し、音楽を愛し、山を愛し、スキーの名手で、
センスのいい冗談を飛ばすおじいちゃんでしたが、
戦争の話を直接聞いたことはありませんでした。
復員後はお酒をよく飲み、
眠ると苦し気にうなされることが
何年経ってもよくあったと、祖母から聞きました。
30年前、祖父の十三回忌を機に、
祖母と叔父が、祖父の従軍中の陣中日記や
内地との往復書簡などを
「前進千里」として小冊子にまとめました。
毎年夏に読んでいます。
長くなりますが、一部を少し転記させていただきます。 - 「今日我は第一線、銃声活発なり。
此の日を記憶せよ。永久に忘れる事なかれ。
午後三時、我の前方二米を前進セル大里軍曹、南出軍曹、
二口一等兵、中島上等兵が○○の為に倒れたる日なり。
城門攻撃の命を受けたる我等は、
陣地に就くべく軍公路を前進中なりし。
○○橋梁にかかる時、突如敵砲弾来たりて、
百米左に落下す。我等を狙いたるなり。
橋梁の通過危険なりと、急ぎ通過を促して、
我は隊長と共に急ぎ渡らんとする刹那、
天地も砕くる爆音目前に起こる。
すわ、砲弾落下して、我は最早此の世の者ならずと思い、
或いは全身弾創を負いたるものと思い、
頭を撫で、胸をさすり、腕を振り動かすも異常なし。
只何処から出たるか、我の全身血に塗れ、
肉片また全身に付着す。只呆然たり。
ふと我に返れば目前の地は裂かれ、四つの大穴あり。
その前方十米には、ああ何たる事ぞ。
大里軍曹、血にまみれて倒れあり。
駈けよりて「軍曹!… 軍曹!…」と呼べども既に意識なく、
ただかすかに呻く声と共に、咽喉に込み上げる血潮を吐きたり。
振り向けば堤防の大柳の木の下に俯向きて、
腰に汚き手拭をぶら下げたるまま、倒れたる兵あり。
見覚えのある南出軍曹の手拭なり。
揺り動かして名を呼べども答えなし。
更に対岸に瞳を移せば、一人川中に半身を入れて倒れる者あり。
二口一等兵なり。ああ、其の対岸には森井一等兵
又同じく川中に半身を入れて倒る。橋梁には中島一等兵……。
何処ともなく人の呻く声聞こゆ。見れば大里軍曹最後の時なり。
涙無闇に出でて泣くより外に術なし。
顔は血に蔽われ、足も手も砕け、血を吐く咽喉より
かすかに洩るる息と共に、尚も唸り続く。
心を取り直して水筒の水を口に注げば、
咽喉は血と共にゴロゴロと鳴る。
神となれ軍曹!…。再び我は彼に取り縋りたり。
横には常に朗らかなりし南出軍曹。
彼はいつもの居眠りの姿にて、こと切れたり。
高田軍曹は何処! 高田軍曹!と呼べども答えなく、何処にも姿無し。
身体砕け散って川中に落ちたるに違い無し。
二口よ!森井よ!可愛い部下なりし。
君等の仇はきっと取ってやるよ。
耳がガンガン鳴るばかりにて何も聞こえざる如し。
空虚の様な此の日、露営なり。
終夜寒さの為、まんじりともせず。
霊火しきりに走る。敵砲弾しきりなり。」 - 「昨日山を越えて、
三日振りに飯にありついた時の感激は、忘れられない。
兵隊が見つけてきた菜葉の漬物で食った飯の味、
あの時には大里軍曹も南出軍曹も居た。高田軍曹も居た。
それに今日の此の身の辺りの淋しさはどうだろう。
今日は第一線陣地へ、大行李から握り飯が届いた。
いつも大行李を、引き連れてニコニコしながらやってくる
南出軍曹のいないのが、不思議でならない。
死んだのだ。そうだ死んだから居ないのだ。
昨日まであんなに元気でも死んでしまうのだ。
自分も死ぬのだ。
死と云うものがあんなに簡単なものなら、少しも恐ろしくない。
然し此の淋しさはどうだ。
再び此の瞳であらゆるものが見えなくなるのだ。
地上から消えてしまうのだ。
旗に埋もれた故郷の港が、瞳に浮かんできた。
小学校の時分、父母に離れて暮らした時の淋しかった思い出や、
アルプスの雲の色や、苦い思い出、甘い思い出が、
走馬灯の様に流れて行った。
(中略) 俺も死のう。いつか死ぬんだ。
冷たい握り飯にポロポロと涙がこぼれた。」 - (なお)
2025-11-30-SUN

