
- 終戦を二十歳で迎えた父(大正14年生まれ)や、
戦中に少女時代を過ごした母(昭和7年生まれ)から
聞いた話など思い出したりしました。
両親ともに他界し、わたしも引っ越しましたが、
古い荷物の中に「これ何だっけ?」と思った
A6判クリアファイルがありました。
中身は古い(絵)葉書二十数枚です。
母は、兄2人、妹1人の4人兄妹でした。
「お兄さまはね」と話しはじめる、
どうやら母の自慢だったらしい長兄は
陸軍だったか海軍だったか「通信員をやっていた」
と聞かされたことがあったような。
葉書は長崎の諫早か満州から届いています。
筆マメだったのかな?
母方の曾祖母、祖母、伯父、母、叔母、母たちの従妹、
それぞれ宛に送られていました。
その中の何枚かには
消印ではない2つのハンコが押してあります。
「軍事郵便」と「検閲済」です。
たぶんこれらの葉書には「何日」は書かれていても
「何年何月」の記載はないんです。
ルールでしょうか?
達筆?で、旧仮名遣い、旧漢字が使われていて、
わたしが読める範囲では
「御変わりありませんか」「元気ですか」
「満州の様子と云ってたいした事は書けませんが
寒い寒い冬よりいよいよ満州に春が来ました」
「米英をやっつけたいが入営通知が来ない」
「軍務に励んで居ります」
「内地の空襲は」
「重大時極」「時極は重大」
「硫黄島より京浜地域、鶴見、川崎、鎌田、
大森方面の空襲がありましたそうですが」
「沖縄が決戦場です空襲もひどいことでせう」等々。
家族を気遣う言葉や、
家族からの手紙・差し入れへの謝意、
可能な限りの近況ばかりですが、
肉筆の文言に反応する言葉が見つかりません。
「小生も元気一ぱい軍務に励んで居ります故
御休心ください」
とは書かれていますが、終戦で抑留されたんだったか
満州で胸を病んだんだったか?
二十代(前半?)で亡くなったそうです。
これらの葉書は母が保存していたものですが、
見る人が見たら時系列に並べられたり
何らかの資料にもなるんでしょうね。
同じクリアファイルの空きページに
「勅語勅諭集 附(戦陣訓)」という小冊子も入っていて、
海軍経験のある父の名前が書かれています。
これはわたしが引っ越しのゴタゴタのときに、
とっさに一緒にしちゃったのだと思われます。
存命なら今年100歳の父。
「お兄さまはね、パパと同い年だったのよ」って
母が話したときに「は~ん‥‥」と
娘のわたしが思ったのは言うまでもありません。
(ゆゆゆ)
2025-11-29-SAT

