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読者のみなさんから届いたお便り #99

 
わたしはただいま40代、
両親は日本が敗戦して5、6年後くらいに生まれた世代、
祖父母は青春期が太平洋戦争真っ只中だった世代です。
うちの祖父たちは招集される寸前で戦争が終わりました。
正確にいうと、母方の祖父は招集されたものの
戦地に赴く前に8月15日を迎え、
わたしには
「南方に行く船のタラップに足をかけたところで
引き返せって命令が出た」と言っていました。
父方の祖父は大学で工学を勉強していたそうで、
文系の友だちが招集されるなか、
大学に残っていることが心苦しかったようです。
わたしが子どものころ、
夏になるたびに戦争の話をしてくれたのですが、
語り出すと間もなく感極まってポロポロ涙を流して、
あとが続かなくなってしまうのが常で、
当時の祖父の気持ちを想像して胸がキュッとなりながらも、
毎年のことだったので、
集まった叔父叔母や従兄弟たちと「もうまた‥‥」と
苦笑していました。
「おじいちゃんの友だちはなぁ、特攻でなぁ、
みんな帰ってこおへんかった」
そう言うか言わないかのところで涙が溢れて絶句、
しばらく嗚咽し、
落ち着いたところで「戦争はあかんで」と言う祖父でした。
親族の中にはもちろん、兵隊として戦地に赴いた人もいて、
お盆で集まると(田舎なので大集合)、
さまざまな話を聞かせてもらいました。
思えば、日本は太平洋戦争だけでなく、
それまでもずーっと戦時下にあったわけです。
祖母の父は軍医として3回も戦地に赴き、
毎回ちゃんと帰ってきた人で、
祖母は「お父さんが帰ってくるたんびに嬉しかったけれど、
無事に帰ってくるお父さんばっかりじゃないから。
仲良しの子のお父さんやお兄さんが亡くなったと聞いたら
申し訳なかった」と話していました。
わたしの小学校の教科書には
「ちいちゃんのかげおくり」が掲載されていて、
丸木位里さん丸木俊さんの原爆の図も
教科書で初めて目にしたと思います。
「はだしのゲン」は学級文庫でボロボロになるまで
みんなに読み込まれていましたし、
高学年になるとグループで
地域のお年寄りに戦時中のお話を聞きに行く活動もありました。
夏休みの登校日には全校生徒が体育館に集まって、
対馬丸をテーマにしたアニメ映画や、
広島長崎のドキュメンタリーの鑑賞会。
また「火垂るの墓」もみんなで観ました。
あのころは清太のおばさんが怖くて、
戦争になったら
親戚のおばさんたちもあんな風になるのかと思って、
ゾーッとした記憶があります。
いま、わたしはあのおばさんの年代。
明日の自分たちの食糧さえ不安な中、
なお親戚の子を家に招き入れることが
自分に出来るだろうかと思うと、
そんなギリギリの状況に陥らないことを祈るばかりです。
数年前、海外からのお客さんを連れて、
奈良を観光したことがありました。
歴史好きで接待好きの大叔父が案内をかって出てくれて、
若草山に登り、大仏を見て、平城宮跡を歩いたあと、
スイス人の16歳の青年が「おじさんに質問がある」と
言い出した場面がありました。
「おじさんは戦争を経験した世代ですか? 
戦争が終わったときはどうでしたか?」
という若者からの質問に、
80歳をとうに超えた大叔父は「明るかった!」と答え、
一同面食らって、
わたしは通訳が間違っていたかとヒヤッとしたのですが、
大叔父は満面の笑顔で
「夜でも電気つけ放題になってなぁ。明るかったんやー! 
嬉しかったで!」と言い放ち、
灯火管制について身振りを交えて説明してくれました。
この青年たちは奈良の前に広島を訪問し、
原爆資料館にも行っていたので、
戦争経験者の話を直に聞きたいと思ったようです。
彼とはその後も会うことがあるのですが、
そのたびに大叔父との会話が話題にのぼります。
大叔父は亡くなりましたが、
1945年のあのときの彼の気持ちを、
遠いスイスで知ってくれている人がいる不思議。
伝えるということはささやかだけれど強いですね。
とりとめもなく書きました。
(はみ)

2025-11-17-MON

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶