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読者のみなさんから届いたお便り #97

 
わたしの祖父母は大正生まれ、
祖父母は満州へ行っていたので、
幼い頃祖父母から何度か当時の話を聞いていました。
当時、兵士として満州に行った祖父は馬に乗って、
そのとき足首に弾が当たって、と言うことを
誇らしげに語っていてのに対し、
祖母の話は正反対で戦争の怖さでいっぱいだった、
その二人の口調の違いをよく覚えています。
祖母はわたしの母を妊娠中、
病院でもロシア兵が来るのではないかと怖くて、
お金を取られないように
お札を小さく折りたたんで服の裾に縫い隠しした、
と言った話や、
わたしの母を産んだ祖母は、
祖父を残して先に日本に帰ったのですが、
その船の上でも多くの人が飢えていたり、
病気になっていたり、
日本に帰ってからの先行きも明るくなく、
悲観になって
子どもを海に投げ出す人もいたそうです。
祖母も、生まれても栄養失調で痩せ干せて
死にそうになっていた赤ん坊のときのわたしの母を、
海に投げ捨ててしまうか、
と思ったこともあったそうです。
あのとき、祖母がわたしの母をそうしていたら、
今のわたしはいないんだなあと思うと、
やはり複雑な思いになります。
祖母には
神と称えられていた天皇をどう思っていたのか、
終戦の時もどう思ったのか、
など聞いたことがありますが、
どのときもあまり当時の話をしたがらず、
渋い顔で話していたのを幼心にも覚えています。
満州から東京に戻ってきたものの、
結局疎開で祖父の田舎の青森に行き、
農家だったので野菜はあって、
「あなたのお母さんが小さいころは、
おやつなんて甘いものはなくて、
大根をかじったりしていたのよ」とか
「戦中はとにかく食べるものがなくて、
カボチャばかり食べていたから、
今はもう食べたいと思わないのよ」
なんて言ったりしていました。
おばあちゃんっ子だったわたしは、
この祖母から「お米は一粒残さず食べなさい」と
言われて育ったので、
いまでもごはんは残してはいけないという気持ちが
とても強いです。
高校でも修学旅行が長崎で、
それに繋がって
長崎関係の本を国語の授業で読んだりしました。
今、わたしはカナダに移住して20年以上が経ちます。
わたしがこうしてカナダで暮らせるのも、平和な印。
とはいえ、未だに世界では争いが絶えず、
複雑な気持ちになります。
小さいころ、祖母から聞いた話や
高校のときに学んだことからの思いはひとつ、
「戦争はいけない」。
戦争と言うと、なんとなく国や政府がやっていること、
みたいに思ってしまいがちですが、
やはり国民がしっかりと「戦争はしない!」と
言わなければいけないのですよね。
誰でも自分を含め、自分の家族、
友人などを戦争に送り出したくはないはずだし、
そこで命を落としてほしくないはず。
いま起こっている戦争も早く終結し、
この先新しい戦争が起こらないといいなと
思うばかりです。
(hana)

2025-11-15-SAT

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶