
- わたしの祖父母は大正生まれ、
祖父母は満州へ行っていたので、
幼い頃祖父母から何度か当時の話を聞いていました。 - 当時、兵士として満州に行った祖父は馬に乗って、
そのとき足首に弾が当たって、と言うことを
誇らしげに語っていてのに対し、
祖母の話は正反対で戦争の怖さでいっぱいだった、
その二人の口調の違いをよく覚えています。 - 祖母はわたしの母を妊娠中、
病院でもロシア兵が来るのではないかと怖くて、
お金を取られないように
お札を小さく折りたたんで服の裾に縫い隠しした、
と言った話や、
わたしの母を産んだ祖母は、
祖父を残して先に日本に帰ったのですが、
その船の上でも多くの人が飢えていたり、
病気になっていたり、
日本に帰ってからの先行きも明るくなく、
悲観になって
子どもを海に投げ出す人もいたそうです。
祖母も、生まれても栄養失調で痩せ干せて
死にそうになっていた赤ん坊のときのわたしの母を、
海に投げ捨ててしまうか、
と思ったこともあったそうです。
あのとき、祖母がわたしの母をそうしていたら、
今のわたしはいないんだなあと思うと、
やはり複雑な思いになります。 - 祖母には
神と称えられていた天皇をどう思っていたのか、
終戦の時もどう思ったのか、
など聞いたことがありますが、
どのときもあまり当時の話をしたがらず、
渋い顔で話していたのを幼心にも覚えています。 - 満州から東京に戻ってきたものの、
結局疎開で祖父の田舎の青森に行き、
農家だったので野菜はあって、
「あなたのお母さんが小さいころは、
おやつなんて甘いものはなくて、
大根をかじったりしていたのよ」とか
「戦中はとにかく食べるものがなくて、
カボチャばかり食べていたから、
今はもう食べたいと思わないのよ」
なんて言ったりしていました。
おばあちゃんっ子だったわたしは、
この祖母から「お米は一粒残さず食べなさい」と
言われて育ったので、
いまでもごはんは残してはいけないという気持ちが
とても強いです。 - 高校でも修学旅行が長崎で、
それに繋がって
長崎関係の本を国語の授業で読んだりしました。 - 今、わたしはカナダに移住して20年以上が経ちます。
わたしがこうしてカナダで暮らせるのも、平和な印。
とはいえ、未だに世界では争いが絶えず、
複雑な気持ちになります。 - 小さいころ、祖母から聞いた話や
高校のときに学んだことからの思いはひとつ、
「戦争はいけない」。 - 戦争と言うと、なんとなく国や政府がやっていること、
みたいに思ってしまいがちですが、
やはり国民がしっかりと「戦争はしない!」と
言わなければいけないのですよね。 - 誰でも自分を含め、自分の家族、
友人などを戦争に送り出したくはないはずだし、
そこで命を落としてほしくないはず。
いま起こっている戦争も早く終結し、
この先新しい戦争が起こらないといいなと
思うばかりです。 - (hana)
2025-11-15-SAT

