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読者のみなさんから届いたお便り #96

 
わたしの在籍していた大学では、
ベトナムからの留学生を受け入れていた。
そこまで昔のことではないが、
彼が九州にある特攻記念館を訪れたときに語った話は、
これからも決して忘れることはないだろう。
その記念館には、復元された軍用機、
たくさんの戦死された将兵の顔写真、
家族たちへの手紙が残されている。
内外からやって来る多くの来館者は、
人々がたしかに生きていたそのような証しを目にし、
先の大戦で失われた若い命、
平和の貴さをかみしめて帰る。そういった場である。
彼は長いこと、その記念館を訪れたかったそうであり、
感傷的にその場に長くとどまり、
展示物を目にして帰ってきた。
わたしは当然、その場を訪れた多くの者と同じように、
彼もまた戦争の悲惨さと不戦の誓いとを、
新たにしているのだろうと思っていた。
その予想は、いささか異なる方向から覆される。
彼は言った。これまで、自らの死を前提に
爆弾を身につけて敵に飛び込んで戦ったのは、
ベトナム人だけだと思っていた。
今、彼は、
彼らだけが特別な存在ではなかったことを実感し、
先人たちの姿に感銘をうけ、涙を流したのだ、と。
少し後に知ったことだが、
いわゆる「ベトコン」である南ベトナム民族解放戦線や、
北ベトナム政府の正規軍たるベトナム人民軍は、
地雷や鉄条網などの障害で守られた米軍や
南ベトナム軍の拠点に対し、
くじ引きなどで選ばれたとされる要員を
自爆させる戦い方をしていたのだという。
悲しみとは元来相対的なものではあるが、
先の大戦の悲惨さを鑑みても、
あまりにも凄絶な歴史である。
今は分からないが、当時の学生や教員には、
ベトナムの人民にとって、
戦争の歴史は神聖と言ってもよいほど
特別なものであるため、
話題は避けるのが無難と喚起されていたのだが、
なるほどうなずける話であった。
彼が特攻記念館で見ていたのは、
紛れもなく1945年夏の敗戦までに
自らの命を捧げて散った帝国陸海軍将兵の姿であった。
もちろんそれは、わたしが見ていたものと同じである。
だが彼は、先の大戦に関する展示物を通じ、
彼の認識では、特攻隊員と同じように、
戦争を戦っていたベトナム人民の歴史をも
追体験していたのだ。
彼の紡ぐ言葉は、
おそらくは日本の一般的な平和教育を受けてきた
わたしを混乱させるのに十分であった。
「特攻隊員」か「革命闘士」か。
それは「聖戦」なのか「解放戦争」なのか。
背負っていたのは「祖国」か「国体」か、
「人民」か「臣民」か、はたまた「家族」のであったのか。
特攻隊員の遺書は、家族に対する思いがあふれている。
果たしてベトナム戦争で自爆して
敵と戦った人々もまた、そうであったのだろうか。
また、そのときわたしは愚かにも、彼が日本で
「平和の大切さ」を学んで帰ってくれるだろうと、
無意識に思い込んでいた自分自身に気づいたのである。
この誇り高き異邦人に対し、
なんと不遜かつ礼を失した啓蒙的姿勢であったことか。
平和を大切に、
命を大切にという言葉を口にするのは容易い。
果たして我々はどれ程さの言葉が放つ意味について
考えられているのか。
考える努力をしてるといえるだろうか。
わたしは日本にしか発信できない
平和の貴さがやはりあると考えているが、
それが我々の意図しているように伝わっているとは、
必ずしも限らないことを知ることができた。
あれから、いくらか時が流れたが、
未だ世界からは戦争も飢餓になくなっておらず、
各国各地域に、それぞれの悲劇と、
その受け止め方とがあるのだろう。
国境を超えたネットが星を覆い尽くし、
グローバル化されたからこそ、
より気がつきやすくなったといえるかもしれない。
当時の大学にはアメリカからの留学生も当然おり、
国名のアルファベット順から、
アメリカとベトナム両国の国旗は隣り合っていた。
戦争はもう何十年も前の話であり、
留学生間のわだかまりはないと言った職員もいた。
わたしのまわりでも、
ベトナムの留学生と米国の留学生の交流は
ごく一般的なものであり、
時にはアメリカ軍の兵士と
ふつうにやり取りをする姿さえ珍しくはなかった。
そんな時代の出来事であった。
(Tさんの後輩)

2025-11-14-FRI

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