
- 父は終戦のとき6歳だった。
東京から祖母の親戚を頼って疎開し山形へ。
祖父の戦死によって母子寮へ入ったが、
そこでの生活は楽しかったそうだ。
同じ境遇の母子家庭が集まって、
貧しいけれど賑やかだったと。
みんな貧しかったから惨めではなかったし、
戦争母子家庭ということで、
少しだが福祉の力添えがあり、
お寺の和尚さんが寮のまとめ役をしてくれて、
クリスマス会で美味しいお菓子が食べられて
美味しかった記憶があるそうだ。 - 父の一番上の兄(90歳)は
祖母の負担を減らすために
他県の親戚に預けられていたが、
その家で肩身が狭くいじめられたから、
仕返しに(豆腐売りをさせられていた)売り上げを
ちょろまかして、
母子寮の子どもたちに駄菓子を買って帰り、
ちょっとしたヒーローだったそうだ。
その親戚のある場所は懐かしいが
「もう行きたくねぇな!」と笑って話す。 - 母は終戦の次の年に生まれた。
祖父は戦争から無事に帰り大工として働いたものの、
貧しくて惨めだったそうだ。
クリスマスもお正月のご馳走も
自分には関係ないと思っていたそうだ。
「言えないけど母子寮の人が羨ましかった。
福祉の手が届かない貧乏ほど惨めなものはない」と言う。
長男と長姉が中卒で働いてくれたお陰で
高校に行けたんだと言って、
今もきょうだい皆んな仲が良い。 - 我が子が学校で平和学習をしているが、
どうしても遠い歴史上の出来事のような認識。
自分でさえもそうだった。
じいちゃんばあちゃんも、
年数回の帰省時にわざわざ戦争の話はしない。
でも、あなた達の大好きなじいちゃんばあちゃんが
本当に経験した話を聞いてごらん、と促そうと思う。 - (匿名さん)
2025-10-23-THU

