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読者のみなさんから届いたお便り #74

 
父は終戦のとき6歳だった。
東京から祖母の親戚を頼って疎開し山形へ。
祖父の戦死によって母子寮へ入ったが、
そこでの生活は楽しかったそうだ。
同じ境遇の母子家庭が集まって、
貧しいけれど賑やかだったと。
みんな貧しかったから惨めではなかったし、
戦争母子家庭ということで、
少しだが福祉の力添えがあり、
お寺の和尚さんが寮のまとめ役をしてくれて、
クリスマス会で美味しいお菓子が食べられて
美味しかった記憶があるそうだ。
父の一番上の兄(90歳)は
祖母の負担を減らすために
他県の親戚に預けられていたが、
その家で肩身が狭くいじめられたから、
仕返しに(豆腐売りをさせられていた)売り上げを
ちょろまかして、
母子寮の子どもたちに駄菓子を買って帰り、
ちょっとしたヒーローだったそうだ。
その親戚のある場所は懐かしいが
「もう行きたくねぇな!」と笑って話す。
母は終戦の次の年に生まれた。
祖父は戦争から無事に帰り大工として働いたものの、
貧しくて惨めだったそうだ。
クリスマスもお正月のご馳走も
自分には関係ないと思っていたそうだ。
「言えないけど母子寮の人が羨ましかった。
福祉の手が届かない貧乏ほど惨めなものはない」と言う。
長男と長姉が中卒で働いてくれたお陰で
高校に行けたんだと言って、
今もきょうだい皆んな仲が良い。
我が子が学校で平和学習をしているが、
どうしても遠い歴史上の出来事のような認識。
自分でさえもそうだった。
じいちゃんばあちゃんも、
年数回の帰省時にわざわざ戦争の話はしない。
でも、あなた達の大好きなじいちゃんばあちゃんが
本当に経験した話を聞いてごらん、と促そうと思う。
(匿名さん)

2025-10-23-THU

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶